中国科学院は課題もある。以下に個人的な意見として、筆者が考える課題と留意点を列記する。

オリジナリティの不足

 中国科学院の課題として、まず挙げなければならないのは、オリジナリティの不足である。圧倒的な経済発展を背景に、世界トップレベルを目指している中国科学院であるが、一つ一つの研究でオリジナリティを出していくという点では、まだ欧米などの一流大学や研究機関に及ばない。

 優れた点としてあげた鉄系超伝導材料の研究であるが、新しいデータを大量に出し、論文を数多く投稿して世界に中国科学院の存在感を発揮したが、所詮は後追いの研究にすぎない。爆発的な研究活動のきっかけとなるオリジナルな研究については、中国科学院はまだ弱い。1の状況のものを10にする研究と、ゼロのものを1にする研究とは本質的に違う。新しいオリジナルな研究は、研究資金やマンパワーが豊富であったり研究設備が最新鋭であったり、さらには米国等の外国に行って研究をした経験があるなどという環境条件だけでは達成できない。オリジナリティが発揮できるようになるには、中国社会における研究開発の歴史と科学文化の蓄積が必要である。

 日本においても、欧米から自分たちの猿まねにすぎないと常に蔑まれながら、明治維新以降学術や基礎研究の経験を徐々に蓄積してきた結果、近年ようやくオリジナルと評価されるものが出てきている。その点、文化大革命以降極めて短期間に立ち上がった中国において、オリジナリティを支える学術や基礎研究の蓄積がまだ足りないのであろう。とはいえ時間が解決してくれる問題とも考えられ、将来それ程遠くない時期に中国科学院でもオリジナルと評価される研究が続々と出現すると期待される。

強すぎるイノベーションへの期待

 中国政府は、中国科学院が同院の成果を活かし中国の経済や社会にイノベーションを起こすことを強く期待している。世界的に見れば、国の科学技術活動が国民からの税金によって支えられているがゆえに、経済や社会への見返りを明示的に示さない限り科学技術への支出が正当化されなくなってきており、米国でも欧州でも日本でもイノベーション創出が常套句となっている。中国科学院もその方向に向かっているわけであり、これ自身は非難するべきことではない。ただ、杞憂かもしれないが、個人的な懸念を以下に述べたい。

 イノベーションが科学技術や研究開発と密接に関連することは事実であるが、その道筋は明確ではなく、定まったものがない。研究開発で良い成果が出ても、それが優れた実用化に結びつくとはいえず、イノベーションとなるとさらに関連がはっきりしなくなる。ゆえに、欧米でも日本でも、研究者、行政当局者、企業関係者が大いに苦しんできた。この状況をよく表している言葉が、魔の川、死の谷、ダーウィンの海などであるが、追加的な資金や人材の投入が必要であるにもかかわらず、前途の見通しが余りにも立たないことから、折角優れた研究開発の成果を持っていたとしても、活かされない状況でストップしてしまうことを指している。

 中国科学院を初めとする中国の研究機関や大学は、このような魔の川、死の谷、ダーウィンの海といった状況に陥った経験をほとんど持っていないというのが私の懸念である。中国は遅れて経済発展してきたため、既に欧米や日本で魔の川、死の谷、ダーウィンの海といった状況を克服して実用化された技術を上手に取り入れ、世界最大の市場をも味方にして様々な技術の国内での実用化・産業化に成功してきた。しかし、中国の経済が発展し世界の先頭に並んだ現在では、このような方式は通用しなくなりつつある。中国の政策当局者が自前のイノベーションを起こすべく中国科学院や枢要大学に期待をかけていることはよく理解できるが、同院や同院に所属する研究者に発破をかけるだけでは上手く行かない可能性が高い。

 中国科学院には、科学技術の研究が実用化に結びついた成功体験がある。それは、両弾一星に関わる軍事技術の研究開発である。この成果は赫々たるものであり、中国全土に中国科学院の存在意義を示したことは事実であるが、このような軍事技術の実用化はある意味特殊であって、一般的なイノベーションには必ずしも当てはまらない。軍事技術は経済的効率で他国と争うことはなく、当該の技術を所有しているかどうかが全てであるからである。したがって、軍事技術での成功体験を過大評価すべきではなかろう。

 現状では、国際競争力強化の観点からイノベーション創出への関心が高まっているが、どうすればイノベーションが成功するのかの「法則」はなく、各国ともに試行錯誤の段階にある。中国は研究者の企業との兼務条件が緩やかなこと、起業家への出資に積極的であること等は大きなアドバンテージである。結局は、イノベーションというものの性格を理解し、他国のイノベーションに対する施策を相対化・客観視しつつ、対応していくしかないであろう。

十分に活かされない世界レベルの施設

 近年中国科学院を始めとする中国の研究機関は、世界最大級とか世界最高とかといった科学技術関係の施設や装置をいくつも建設し、運用をしている。これは、前世紀末から始まった劇的な経済発展を受けてのものであるとともに、中国人が持つ大国意識を遺憾なく発揮している。

 しかしこれまでのところ、余りに急激に欧米に追いつき追い越せと施設や装置の建設を急ぎすぎたきらいがあり、これらの施設や装置を用いての研究成果が世界レベルになっているか疑問もある。例えばLAMOST望遠鏡の特徴は、同時に収集できる天体の可視光スペクトル数であり、視野角5度の範囲内で、4千個の恒星や銀河などの天体を同時観測できるとして世界一というのが誇りであるが、このような能力をどの様な天体現象の観測に使うかがはっきりしない。中国科学院の装置ではないが、日本の潜水調査船「しんかい6500」を追い越して潜水して調査できる「蛟竜」を中国は完成し、2012年6月にマリアナ海溝で7,062メートルの潜航に成功している。しかしこの「蛟竜」もその後の活動は国際的にほとんど報告されていない。おそらく、この「蛟竜」を使ってどの様な研究をするか、その研究は誰が担うのかといった詰めが十分になされていなかったのではと考えている。

 世界のどの国の研究機関もこれまで造ったことのない画期的な施設や装置であれば極めて大変であり、その場合には造ったこと自体が評価されるが、少なくともこれまでに中国が世界有数なり世界一としている施設や装置は、欧米や日本の施設や装置の類似的なものかその延長線上にあるものである。そして、これまでのところ施設装置のハードとしての性能は欧米に追いつきつつあるが、その利用・運用でまだ差があり、最終的な研究成果につながっていない。これらは科学技術でキャッチアップする際にどの国も通る道であり、中国もその段階にあると考えられる。

 しかし、ハードウエアだけが追いつき運用・利用が後回しになって研究成果が追いついていない状況は、徐々にではあるが解消するかもしれない。昨年、私が衝撃を受けたスパコンの例を紹介しておきたい。かつてのスパコン開発は米国の独壇場であったが、日本が「地球シミュレータ」で米国を驚愕させ、さらにこの日米の争いに中国が絡んで現在三つ巴の状況となっている。2010年11月には、湖南省長沙にある国防科学技術大学製造の「天河1A」が、TOP500ランキングで世界最速のスパコンとなる快挙を達成した。その後、日本の理研の「京」が2011年6月にトップを奪還したが、2013年6月には「天河1A」の改造版である「天河2」が再びトップとなった。筆者は、この「天河1A」と「天河2」を高く評価していなかった。その理由としては、スパコンに使用されている計算チップが米国製を主体としたものであることや、利用効率が高くなくソフトウェアも充実していないことであった。

ところが、2016年6月、江蘇省無錫の「神威・太湖之光」が「天河2」を抜いて、TOP500で1位となったのである。当局者の発表によれば、この「神威・太湖之光」を構成するチップは中国国産であるという。さらに2016年11月には、米国でスパコンの優れたソフトウェアに対して贈られるゴードン・ベル賞を、「神威・太湖之光」を用いて気象シミュレーションを行うソフトを開発したチームが獲得した。驚くべきことに同賞の候補は6チームあったが、その内の半分が「神威・太湖之光」用にソフトを開発したチームであったという。ゴードン・ベル賞を獲得した中国チームの中には、清華大学、北京師範大学や製造メーカ「神威」と共に、中国科学院ソフトウェア研究所の研究員も名を連ねていた。したがって、「神威・太湖之光」は「天河1A」や「天河2」と比べると質的な変化を遂げていると考えるべきであり、他の巨大施設などでこのような発展が見られるのであれば、中国科学院などが持つハードの巨大さ・素晴らしさが世界一流の研究成果につながっていくことになる。

強い縦割り意識と希薄な連携意識

 筆者は、いろんな機会を利用してこれまで中国科学院の研究所や大学を20ヶ所近く訪問してきた。その際の印象であるが、中国科学院傘下の研究所同士の協力体制が比較的弱く、また、研究所内でも研究室がそれぞれ分立している状況であった。おそらく、中国科学院は米国流のPI(Principal Investigator)制度を導入しており、研究の実験はPIが握り、人事権は各研究所の所長が握っているため、研究者同士の横のつながりが希薄なのであろう。これでは、研究者を同じ敷地内にある程度の数で束ねている意味がどこにあるかが気になるところである。

 中国科学院本部や中国政府もこのような懸念を持っているのであろう、一つの研究目的を与えて意識的に研究者を束ねようとして重点実験室の試みをしていると考えられる。一つの解決策であるが、このやり方はトップダウンであり、研究者同士の自主的な発送に基づく連携には結びつかない難点がある。科学技術部によって認められた国家実験室の建設が国務院レベルでなかなか許可されないのは、この辺の事情もあり、もう少し有機的なつながりを重視した組織を意図しているのではなかろうか。

研究と教育の関係

 最後に、課題というよりは留意点とでも考えられる点を挙げたい。それは、中国科学院が大学の運営や修士・博士の養成にどこまで関与するかという点である。

 中国では新中国建国前から、現在の有力大学である北京大学、清華大学などが既に存在していた。大学を傘下に持つことは、中国では人民解放軍や政府の機関などで普通に行われてきたことであり、中国科学院もそれに倣った。一方、中国の大学で博士制度が導入されたのは比較的遅く、文化大革命の後であった。その時点での中国科学院傘下の研究所の科学技術ポテンシャルが有力大学に十分に匹敵しうるレベルにあったことや、中国全体の巨大な人的需要に応えることなどから、大学だけではなく中国科学院の研究所でも博士を育成すべきという結論になったと想定される。

 欧米や日本では元々大学があり、その大学の研究機能を拡大強化する形で研究機関が設置された経緯がある。このため、大学の運営はもちろん修士・博士の養成も基本的には大学の任務であって、ごく一部に研究機関を関与させているのがほとんどである。例外はロシアで、ロシアは欧州の国では比較的遅れて科学技術や大学制度が立ち上がっており、キャッチアップを早める意味でロシア科学アカデミーをピョートル大帝が設置し、そのアカデミーから派生的に大学が出来た経緯がある。しかし、そのロシア科学アカデミーでも、自らは大学を有しておらず、傘下の研究機関で修士・博士の養成を行っているが、量的にはそれほど多くない。

 このように、中国の状況は他の先進諸国と違っている。また、中国の一流大学が、中国科学院の教育への進出拡大を人材獲得競争とみて懸念していることも事実である。しかし、世界的に例がないからといって一概に悪いという理論的根拠はない。また、中国科学院と有力大学が人材獲得競争を行うこと自体は、国家全体にメリットになる可能性もある。慎重に取り扱うべき課題であろう。