中国科学院大学は、中国科学院所属の研究機関のポテンシャルを十分に活用して、科学研究と人材教育の融合を目指す教育機関である。

中国科学院大学雁栖湖キャンパス 出典:百度百科

 沿革

 中国科学院での人材教育は、発足直後の1951年夏に研究生を受け入れたことに始まっている。この時は教師育成のため大学への研究生受け入れも併せて行われ、中国科学院に95名、人民大学101名、その他の大学に80名の研究生が受け入れられた。この受け入れが成功裏に終わったことを受けて、その恒久化を目指して検討が進められ、1955年に呉有訓を委員長とする「中国科学院研究生招生委員会」が成立した。以降1965年までの招生研究生は1,518名に達した。1964年、当時北京の中関村にキャンパスの一部があった中国科学技術大学の協力を得て、中国科学院「研究生院」を立ち上げる等の試みを行った。しかし、文化大革命が始まると中国科学院の経営全体が混乱する中、この研究生の招生も1966年に中断した。

 文革終了後の1977年9月、中国科学院所属の研究所における研究生制度の再開が決定された。さらに翌1978年3月、研究生院が北京で正式に設立され、厳済慈が同院の院長に就任した。1981年には、中国科学技術大学を含む中国科学院は、1981年に博士号及び修士号の授与教育機関として認可を受け、翌年から博士号及び修士号の授与を開始した。中国科学院の教育機能の強化を目指し中国政府内で議論が進められた結果、2001年に国務院教育部などの承認を得て、研究生院は「中国科学技術大学研究生院(北京)」という名称となった。さらに2012年には、「中国科学院大学」と名称が再度変更され、2014年には同大学が本科生(学部学生)を募集することが教育部に承認され、数学・応用数学、物理学、化学、生物科学、材料科学・工学、計算機科学・技術の6学科に332名の学生を入学させた。

李树深現学長

 現在の中国科学院大学の学長は、李树深副院長(序列第6位)の兼務となっている。慣例としてこの大学の前身である中国科学院の研究院院長から数えることになっており、李学長は厳済慈初代院長から数えて8代目である。

李树深現学長 出典:百度百科

 李树深は、1963年に河北省保定に生まれ、1983年にやはり河北省の石家荘市にある河北師範大学物理学科を卒業して同校の教員となった。その後教員を務めるかたわら、1986年から四川省成都市にある西南交通大学大学院修士課程に在籍して固体物理学を学び、1989年に修士号を取得した。中国科学院の地質調査所に入り1988年に博士号を取得した。その後、河北師範大学を辞職し、1994年から北京にある中国科学院半導体研究所の研究生となり、1996年に博士号を取得した。

 博士号を取得した李树深は、日本のNECの研究所、イタリア・トリエステの理論物理研究所などで研究を行った後、2006年に半導体研究所の副所長に就任した。2011年に中国科学院院士に当選し、同年半導体研究所所長に就任した。さらに2017年には中国科学院の副院長に就任し、翌2018年から中国科学院大学の学長を兼務している。

学生数、教職員数など

 中国科学院大学は、2014年11月にAPEC首脳会議が開催された北京郊外の雁栖湖地区に大きなキャンパスを構えており、その他に北京市内の3か所(玉泉路、中関村、奥運村)や深圳、上海などにもキャンパスがある。

 2021年末の数字では、本科生(学部学生)が1,640名、研究生(大学院生)は57,375名であり、研究生のおよそ半分が博士課程の学生である。ちなみに、この研究生は他の大学と違って中国科学院傘下の研究所に所属する学生がほとんどである。教官は、大学の専任教官で3,155名、中国科学院傘下の研究所に所属する研究員が12,880名で、全体で約1.6万人が教官として名を連ねている。この教官のうち、中国科学院と工程院の院士は合わせて470名に達する。

 2014年に数学・応用数学、物理学、化学、生物科学、材料科学・工学、計算機科学・技術の6学科でスタートしたが、2021年現在大きく発展している。学部は、哲学、経済学、教育学、歴史学、理学、工学、農学、医学、管理学の9学部が設置され、その中で博士号を授与できる学科は46、修士号を授与できる学科は57に上っている。