中国科学院は、中華人民共和国の建国と同時期に設置され、大躍進政策、文化大革命、改革開放政策などの激動を乗り越えて、発展してきた。
前史

中国科学院の母体となった組織は中央研究院と北平研究院の二つである。
続きを読む設立

1949年10月1日に中華人民共和国が建国され、その直後の10月19日に政務院(現在の国務院)の下部組織として中国科学院を設置された。
続きを読むソ連との協力

成立直後の中国科学院が範としたのは、ソビエト連邦(ソ連)の科学技術・学術活動であった。
続きを読む大躍進政策の影響

1958年に大躍進政策が開始された。中国科学院は大躍進政策中に、機構・人員とも大きく膨張したが、同政策の失敗に伴い縮小を余儀なくされた。
続きを読む文化大革命

1966年に開始された文化大革命は、中国科学院にも大きな影響を及ぼした。
続きを読む文化大革命の終息

1976年末、四人組の逮捕に伴い、文化大革命は終焉した。
続きを読む文革による負の遺産からの回復

文革中の被害者の名誉回復がなされ、組織の再編が行われた。社会科学系の研究所が独立して社会科学院となった。国際交流が復活した。
続きを読む改革開放政策と第二次天安門事件

文革終了後に実権を掌握した鄧小平は、改革開放政策を推進した。ソ連の崩壊に伴う民主化運動が激化し、鄧小平の決断で第二次天安門事件が勃発した。ただ、中国科学院はこの第二次天安門事件の影響はそれほど大きくなかった。
続きを読む南巡講話と改革開放政策の加速

南巡講話 第二次天安門事件の後、欧米諸国は中国の改革政策に大きな疑念を持ち、当時の中国経済発展の頼みの綱であった外資導入が思うように進まなかった。鄧小平は1992年1月か...
続きを読むイノベーション(創新)に向けて

世界的な動向を受けて、中国科学院は1997年に知識創新プロジェクトを提案した。
続きを読む現在の方針

中国科学院の現在の基本的な方針は、イノベーション(創新)の推進である。
続きを読む歴代院長

中国科学院のこれまで歴代の院長は、郭沫若、方毅、盧嘉錫、周光召、路甬祥、白春礼の6名である。
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