職員数とその推移
2020年末の中国科学院全体の職員数が70,192名である。このように、現在は約7万名を擁する大研究機関であるが、必ずしも順調に職員数が推移してきたわけではない。
中国科学院は1949年に設立されたが、その時の職員数は575名であった。中国科学院が継承した国民政府の中央研究院や北平研究院にはかなりの数の職員がいたと考えられるが、これらは日中戦争やその後の国共内戦の犠牲になったり、蒋介石とともに台湾に移り住んだりしたため、実際に継承した職員は少なかった。新中国建国後の発展に伴い職員数が増加し、5年後の1954年に約7,000名、10年後の1959年に約46,000名、文革直前の1966年には約62,000名にまで増加した。
文化大革命中は、傘下の研究所が中国科学院から切り離されたり、残留した研究所の職員も下放されたりした。とりわけ文革の影響を大きく受けた1967年から1972年にかけては、中国科学院の公式統計にも職員数の記載がないほどである。その後文革期間中の1973年に、暴力的な自己批判や下放などが収まったことにより公式の統計が復活したが、その時の職員数は文革前の半分である約35,000名にまで減少していた。その後、共産党から派遣された胡耀邦らの努力もあって中国科学院の人員は徐々に増加に転じ、文革終了時の1976年には約52,000名にまで回復した。
文革が終了すると、中国科学院の組織人員の拡大政策により、1979年には約83,000名にまで膨れ上がる。その後約80,000名前後の規模で推移したが、1987年に就任した周光召第4代院長のイニシアティブの下、人員削減及び機構の簡素化、業務姿勢の改善などの抜本的な改革が進められ、1991年の約85,000名をピークとして、周院長が退任した1997年には約68,000名にまで減少した。
路甬祥第5代院長の時代の初期には、改革による人員削減が継続し、2005年には約43,000名になるが、その後中国の急激な経済発展もあり人員が徐々に増加し、路院長の退任時の2011年で約61,000名となった。そのあとを継いだ白院長の時代となっても漸増傾向が続いた。
2020年現在で見ると、職員数はやや漸増傾向ながら、約7万人で比較的安定している。
これらをグラフにしたものが、次の図である。

附属研究機関の研究者数
職員には、研究開発を担当する研究者だけではなく、事務的な業務を行う職員もいる。中国科学院で研究開発業務を主としてになっているのは、附属研究機関や大学に属する研究者である。2020年末現在、総勢70,192名に達する職員のうち、研究者総数は60,601名である。そのうち、附属の研究所に属する職員数は62,921名であり、研究者は55,425名である。附属の研究所に属さない研究員のほとんどは、中国科学院傘下の大学に所属している。
附属研究機関職員の年齢構成
中国科学院傘下の研究所全体の職員における年齢構成を示したのが下のグラフであり、35歳までが約40%、40歳まででも約62%と、非常に若い年齢構成となっている。

附属研究機関の研究者の学位取得状況
2020年末で、附属研究所の研究員の学位取得状況は次のグラフのとおりである。博士号と修士号を取得している職員が全体の約86%を占めている。
