第7回 武漢大学

1. はじめに(概要)

武漢大学の正門 百度HPより引用

・武漢大学は、湖北省武漢市にある総合大学である。

・武漢市が交通の要衝であり、農業、商業、工業の重要都市であることもあって、武漢大学も中国国内の有力大学として発展してきた。

・武漢市も武漢大学も、日本との関係が深いが、負の関係が多い。

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2. 名称と所管

(1)名称

・日本語表記 武漢大学 

・中国語表記 武汉大学  略称 武大

・英語表記 Wuhan University  WHU

(2)所管

 国務院教育部の直轄大学である。

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3. 本部の所在地

 武漢大学の本部は、湖北省武漢市にある。

 湖北省は、中国内陸部で中央に位置する省である。淡水湖として2番目に大きい洞庭湖の北にあるため「湖北」という名称がつけられた。北は河南省、陝西省、西は重慶市、東は安徽省、南は江西省、湖南省と接する。長江の中流にあり、世界最大の水力発電ダムである三峡ダムが同省内にある。亜熱帯に位置し、温暖湿潤気候に属する。冬季は乾燥低湿、夏季は多雨高湿であり、1月の平均気温は2〜4℃、7月の平均気温は27〜29℃で、最高気温は40℃以上に達することがある。

 湖北省の歴史は古く、殷の時代の都市遺跡が省内より発見されている。その後も、四川、上海、北京、広州を結ぶ水陸交通の要所として発展を続けた。現在の湖北省の人口は約5,800万人(中国第10位)、経済規模はGDPで約7,500億ドル(中国第8位)である。長江の広大な沖積平野を利用した農業や多数の河川・湖沼による漁業が盛んである。また湖北省は中国の工業基地の1つで、鉄鋼、自動車、造船などの大規模な製造業会社や工場がある。

 大学のある武漢市は湖北省の省都であり、長江と支流の漢江の合流地点に位置し、北京から南に約1,100キロメートル、上海から西に約700キロメートルの位置にある。人口は約1,200万人で、湖北省では最も多い。清代までは武昌が中心都市であり、その近辺に漢陽、漢口が発展し、武漢三鎮と呼ばれていた。清末の1911年10月に、武昌で武昌起義(武昌蜂起)と呼ばれる兵士たちの反乱が発生し、これが辛亥革命の幕開けとなった。国民政府の時代に、3つの地域が合体して武漢と呼ばれるようになった。

 黄鶴楼は武漢にある名勝の地で、古来多くの詩人が詩を残している。代表的な詩は李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」で、読み下し文で記述すると「故人西の方黄鶴楼を辞し、煙花三月揚州に下る 孤帆の遠影碧空に尽き、唯見る長江の天際に流るるを」である。

武漢市内にある黄鶴楼 百度HPより引用

 2019年末に新型コロナウイルスが武漢市内で発生、翌2020年1月23日に市全体が事実上封鎖されたことは、記憶に新しい。

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4. 規模

(1)学生数

・学部学生数29,450人(中国主要大学中21位 2022年)

 中国1位・鄭州大学(47,000人)、東京大学(13,962人)、ハーバード大学(約6,700人) 詳しくはこちらを参照。 

・大学院生数 28,701人(中国主要大学中5位 2022年)

 中国1位・中国科学院大学(57,375人)、中国2位・清華大学(38,783人)、東京大学(約13,341人)、ハーバード大学(約15,200人) 詳しくはこちらを参照。

(2)教員数

・専任教師数 3,862人(中国主要大学中7位 2022年)

  中国1位・吉林大学(6,506人)、東京大学(約4,000人)、ハーバード大学(約2,400人) 詳しくはこちらを参照。

(3)予算額

・予算経費 118.93億元(約2,500億円)(中国主要大学中15位 2022年)

  中国1位・清華大学(約6,900億円)、東京大学(約2,600億円)、スタンフォード大学(約6,500億円) 詳しくはこちらを参照。

(4)キャンパス

 武漢大学は、武漢市武昌区に本部とメインキャンパスがあり、その近くで湖を挟んで北側に医学部のキャンパスがある。メインキャンパスは、特記事項に後述するように桜の名所としても有名である。

(5)学部

 武漢大学は、政府の教育部が定めている12の大分類(日本の大学の学部に相当)のうち、哲学、経済学、法学、教育学、文学、歴史学、理学、工学、医学、管理学、芸術の大分類を有しており、無い大分類は農学のみである。したがって、典型的な総合大学と言える。

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5. 沿革

(1)自強学堂の設置

 武漢大学の母体は、1893年に張之洞(张之洞)によって武昌に設立された「自強学堂」である。張之洞は、清末の政府高官として湖北・湖南で富国強兵・殖産興業に務めた。中国では、1895年の日清戦争前後に西欧式の高等教育機関が相次いで設置されており、自強学堂はその先駆けである。同学堂は、設置時から外国語、数学、物理、商務を教え、3年後に鉱山学、化学を追加した。

(2)国立武漢大学

 辛亥革命で自強学堂は閉鎖されたが、1913年に新政府により「国立武昌高等師範学校」として再建された。1926年には、近隣の商科、法科などの単科大学と統合され、「国立武昌中山大学」となった。1928年に再度改名され「国立武漢大学」となり、1936年には農科も設置されて文、法、理、工、農の5学部を有する総合大学となった。

 日中戦争が始まり、1938年には武漢が日本軍に占領されたため、西部の四川省楽山に疎開した。占領された国立武漢大学のキャンパスには、日本軍の司令部や病院が設置された。太平洋戦争で日本軍が敗北し、国立武漢大学は1946年に武昌に復帰した。

(3)院系調整

 1952年に、中国全土の大学で、学部再編政策である「院系調整」が実施された。武漢大学では、水利学では南昌大学などから教員や学生を引き継いだが、哲学科は北京大学へ、農学部は現在の華中農業学院へ、鉱業冶金学科は現在の中南大学へ編入となった。しかし、北京大学、清華大学などと異なり、武漢大学は引き続き総合大学に留まることができた。

(4)湖北医科大学

 現在の武漢大学医学部の発端には日本軍が関係している。日本は、日清戦争勝利後の1898年に湖北省の漢口に日本人租界を設置し、1906年に日本帝国陸軍が武昌に「湖北陸軍軍医学堂」を設置した。しかし、この学堂は1909年に停止となり、その後「湖北医学専門学校」として再建されたが、これも停止された。1921年に再度「湖北医学専門学校」が設置され、1926年には国立武漢大学に編入されたが、資金難で停止され教師や学生は他の大学に編入された。ただ、市内にあった臨床附属病院などはそのまま運営が継続された。

 現在の武漢大学医学部は、日中戦争中の1943年に湖北省の地方都市・恩施に設置された「湖北省立医学院」が直接の母体である。湖北医学院は、武漢市内にあった臨床病院を引き継ぎ、また看護学校も設置した。終戦後の1946年に武漢に移転し、「湖北省医学院」、「湖北医学院」などと改名の後、1993年に「湖北医科大学」となった。

(5)文革後の発展 

 文化大革命終了後、武漢大学は、哲学科、外国語学科、コンピューター サイエンス学科、宇宙物理学科、ウイルス学・分子生物学科などの学科を次々に設置してきた。2000年には、前記の湖北医科大学や武漢水力電力大学、武漢測絵科学技術大学と合併し、総合大学としての幅をより拡大した。

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6. 現在の指導部

(1)学長

 現学長の竇賢康(窦贤康)は、1966年安徽省生まれで、中国科学技術大学の地球・空間科学科を卒業し、フランスのパリ第7大学で1993年に博士号を取得した。その後、母校の中国科学技術大学の教員となり、同大学で副学長を務めた後、2016年に武漢大学の学長となった。専門は、中高層大気理論と実験である。2017年に中国科学院院士に当選している。

(2)共産党委員会書記

 共産党委員会書記の韓進(韩进)は、1959年に遼寧省に生まれ、1982年に北京師範大学物理学科で博士号を取得の後、現在の国務院教育部の職員となった。同部の発展計画局の課長や副局長などを務めた後、2004年に発展計画局長に昇任した。その後湖北省の地方幹部を務めた後、2013年から武漢大学共産党委員会の書記を務めている。なお、学長の竇賢康は共産党委員会副書記兼務であり、上下関係は明白である。

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7. 学問分野の特色

 武漢大学は、人文社会、理学、工学、医学で、バランスの取れた総合大学である。具体的な指標で見たい。

(1)双一流学科建設

 中国は2017年に、国内の大学とその学科を21世紀半ばまでに世界一流とすることを目標とする政策(双一流政策)を開始した。2022年に改訂された双一流学科建設において、武漢大学は全体で以下の11学科が選定されている。

○人文社会系(4) 法学、マルクス主義理論、理論経済学、図書情報・文献管理学  

○理学系(3) 化学、地球物理学、生物学、  

○工学系(3) 水利工学、土木工学、測絵科学・工学

○医学(1) 口腔医学(歯学) 

(2)国家重点実験室

 武漢大学には、以下の4か所の国家重点実験室がある。中国の大学で最も多いのは、清華大学の13か所である。各大学別の実験室数はこちらを参照。

・測量・地図リモートセンシング情報工学

・水資源・水力発電工学

・ウィルス学(中国科学院武漢ウィルス研究所と共同)

・ハイブリッド水稲(湖南省農業科学院などと共同)

(3)NSFC面上項目予算獲得

 日本の科研費に近い予算として、国家自然科学基金委員会(NSFC)が所管する面上項目予算がある。この予算をどの程度獲得するかで、当該大学の研究能力を判定しうる。2019年で武漢大学は中国全体で12位である。詳しくはこちらを参照。

(4)附属医院

 武漢大学医学部のHPによれば、2022年現在で、武漢大学人民医院、武漢大学中南医院、武漢大学口腔医院の3つの直属医院、武漢大学恩施臨床学院、武漢大学附属同仁医院、武漢大学附属愛爾眼科医院、武漢大学附属臨床学院の4つの非直属医院がある。

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8. 学問的な成果と国際的な評価

(1)SCI論文数と被引用数

 クラリベートアナリティックス社のSCIのデータによると、2022年5月までの過去10年間の論文数が57,512編、被引用数が998,185で、被引用数での世界順位が188位、中国大学での被引用数順位が11位である。詳しくはこちらを参照。

(2)ネイチャーインデックス

 ネイチャーインデックス(Nature Index)は、世界トップクラスの科学誌・学会誌に掲載された論文数をカウントし、国・機関別に分析した指標である。このネイチャーインデックス2022によると、武漢大学の論文数(分数カウント)が243.14編であり、世界順位が42位、中国大学での順位が12位である。ちなみに、世界1位は中国科学院(1,963.00編)で、中国大学1位は中国科学院大学(世界8位、530.20編)、日本1位は東京大学(世界14位、447.54編)である。詳しくはこちらを参照。

(3)中国国内の評価

 中国国内では大学のランキング評価が盛んである。武漢大学は、教育部の2022年のランキングで5位(1位は清華大学、詳しくはこちらを参照)、中国校友会2022でのランキングで10位(1位は北京大学、詳しくはこちらを参照)である。

(4)国際的な大学ランキングでの評価

 QS国際ランキング2023では世界194位、中国国内8位であり(詳しくはこちらを参照)、Times Higher Education(THE)国際ランキング2022では世界157位、中国国内8位である(詳しくはこちらを参照)。日本の東京大学は、QSで世界23位、THEで世界35位である。

(5)中国校友会傑出学術人材ランキング

 中国校友会は各大学の卒業生の中で、中国科学院院士、中国工程院院士、中国社会科学院学部委員、主要な科学技術賞受賞者、大学の学長、著名な医師などの数を指標としたランキングを毎年公表している。このランキングで武漢大学は、中国国内6位である。詳しくはこちらを参照。

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9. 国際性

(1)留学生

 外国からの留学生は、2019年時点で2,116名である。中国大学トップは北京大学の6,857名であり、他国の有力大学と比較すると、東京大学が4,623名、ハーバード大学が6,228名、カリフォルニア大学バークレー校が10,695名である。詳しくはこちらを参照。

(2)他国の大学等との協力

 現在ハーバード大学、イェール大学、スタンフォード大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、トロント大学など、世界の45か国・地域の415の大学や研究機関と協力協定を結んでいる。

(3)日本との協力

 日本では東京大学、神戸大学、立命館大学、同志社大学と交流協定を結んでいる。

(4)デューク昆山大学

 武漢大学は2013年に、米国ノースキャロライナ州にあるデューク大学と共同で、江蘇省昆山市に「デューク昆山大学(昆山杜克大学)」を設置している。教学方針は中国に根ざしたハイレベルなリベラルアーツ教育を特徴とし、学部生約2,000名、大学院生約1,000名の規模である。

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10. 特記事項

(1)日中戦争による武漢の占領と破壊

 1937年7月の盧溝橋事件により始まった日中戦争では、同年内に北京、上海、南京が日本軍に占領された。中国は首都機能を南京から重慶に移すこととし、移転準備のため武漢に臨時首都を置いたが、日本軍は翌1938年10月に武漢も占領した。

 第二次世界大戦が始まると、米軍が中国とともに日本軍に対峙することとなり、1944年12月、重慶の臨時基地から出撃した米軍のB-29編隊は、焼夷弾による大規模な絨毯爆撃を漢口に行った。この爆撃により、日本軍駐在部隊は壊滅的な打撃を受けたが、漢口の中国人居留地区でも焼夷弾による大火災が発生し3日間にわたって燃え続け、死亡者は2万人以上に達した。

(2)キャンパス内の桜と日本  

 武漢大学キャンパス内には約1,000株に上るサクラ並木があり、中国国内で桜の名所として有名である。日中戦争で日本軍が武漢に侵攻し、日本軍が武漢大学のキャンパスを占領し、その一部に軍の病院を設置した際、日本軍傷痍兵士を慰めるため日本から桜を持ち込んだという。当時の桜は枯れ、現在の桜はその後中国人が植えたものが中心であり、併せて1972年の日中国交正常化の際に田中角栄首相がプレゼントしたものが含まれている。この桜を巡り「植えたのは旧日本軍。侵略戦争のシンボル」とか「武漢大学の桜は中国の恥か」といった批判の声がネットに溢れたことがことがあったが、「今の桜は中日友好の桜」と言って批判をかわしたという。

キャンパス内の桜 百度HPより引用

(3)中国科学院武漢ウィルス研究所

 武漢市内には、今回の新型ウィルスの発生源ではないかと疑われた研究施設がある。それは、中国科学院の武漢ウィルス研究所(武汉病毒研究所)であり、ウイルス学の基礎研究と関連する技術開発を進める機関として1956 年 12 月に設立された。この研究所は、フランスの技術を元にしたBSL(Bio Safety Level)4の研究施設を有している。ここでの実験による新型ウィルスの拡散が疑われたのである。中国科学院も中国政府もこの様な嫌疑を真っ向から否定しているが、未だに関与を疑う声もある。

 武漢大学は、この中国科学院の武漢ウィルス研究所と、「ウィルス学国家重点実験室」を共同で設置運営している。

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参考資料

・武漢大学HP 

・武漢大学医学部HP

・百度HP

・中国版Wiki

【コラム】酔生夢死 武漢のサクラ 岡田 充 

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