第72回 トランプ政権でNIHはどうなったか、どうなるか

1.はじめに

 トランプ政権の発足後、4か月余りが経過した。この間、同政権の意向により、世界最大の生命科学・医学研究機関である米国衛生研究所(NIH)は、幹部の解任、研究者・職員の大量解雇、出張・通信・調達の制限等が行われてきている。これにより、NIHは研究を阻害され、外部世界から遮断され、またコミュニティの士気は低下していると思われる。
 本ニューズレターでは、トランプ政権の発足後間もない時期、同政権の生命科学分野全体への影響について紹介した(第64回 トランプ大統領の生命科学政策)。今回は、その後の、特にNIHの動向に焦点を当てて紹介し、分析・考察を行いたい。
 なお、断片的な情報をつなぎあわせて整理したこともあり、細かい部分で事実関係に食い違いがある可能性があることを御容赦いただきたい。

2.NIHの幹部人事や職員の解雇

(1)幹部の人事

 まずNIHの幹部人事について、順を追って説明する。

 トランプ大統領は就任に際し、その数日前にNIH長官を辞任したM.ベルタニョーリ氏の後任として、M.メモリ氏を新たな長官代理に任命した。インフルエンザ研究者のメモリ氏は、パンデミック中のCOVID-19ワクチンの広範な接種の必要性には疑問を呈していた。このため当時国立アレルギー感染症研究所(NIAID)の所長でワクチン接種を推進していたA. ファウチ氏と対立した経緯があり、メモリ氏の登用はワクチンの効用を信じようとしないトランプ大統領にとって都合がよかったと思われる。 

 その結果、それまで長官代理を務め、NIHの業務に習熟していたL.A.タバック主席副長官は、辞職という形で事実上解任された。またその後、NIHの助成金政策を担当していた外部研究担当副長官のM.ラウアー氏も突然退職した。トランプ政権においてNIH助成金は凍結されていたが、裁判所はそれを違法と判断した。同氏はその判断に沿って凍結を解除するよう退職前に職員に指示したのだが、それと辞職との関係は分からない。

 また国立アレルギー感染症研究所(NIAID)他、NIHの研究所の所長4人と所長代行1人が休職処分となり、遠隔地の施設への異動を提示された。また、NIHの国際センターの所長やファウチ氏に近い人物等も解任された。

 さらに、かつてヒトゲノム計画を先導し、2009年~2021年までNIH長官を務めたF. コリンズ氏は、長官退任後もNIHに研究室を保持していたが、本年2月下旬に研究室を閉鎖した。その理由は不明だが、コリンズ氏の他にも、NIHに籍を置きつづけたり研究室を保持している元幹部も多く、安閑としてはいられないだろうと推察される。

 4月には、NIHの新(常任)長官として、J.バッタチャリア氏が着任した。同氏はパンデミック中のロックダウンに反対した経緯がある。同氏はNIHを傘下に持つ保健福祉省(HHS)の長官であるR.F.ケネディ・ジュニア氏が掲げる米国民の健康重視政策を支持し、NIHの重点を新型コロナ等の感染症から、糖尿病等の慢性疾患の治療法開発に移行することを目指すと言及している。また、トランプ政権の意向に沿って多様性支援プログラムの削減を支持する一方、南アフリカにおけるHIV助成金の削減についても、資源シフトの一環だとしている。これについては後述する。

(2)職員の解雇

 粛清はNIHの幹部だけでなく、当時2万人近くいた一般職員にも及んでいる。

 トランプ政権は2月中旬には、NIH職員を一挙に約1,200人も解雇しようとした。手を付けやすいものとして、いわゆる「試用期間」にあたる職員、すなわちNIHに新規に雇用された者や、既存の職員だが最近役職が変わったばかりの者が標的となった。これらも含め、退職金と引き換えに自主退職を促したが、これにはNIHの職員数百名が応じた。

 その中には、重要な臨床センターの職員や、12人以上のテニュア・トラック研究者、すなわち終身雇用に向けた軌道上にある研究者も含まれていた。また、NIHの臨床センターで薬剤、細胞療法、ワクチンの試験を主導する約320人の医師研究者のうち、少なくとも25人が退職することになった。

 しかし、こうした解雇が、その影響等について細かい検討をせずに行われたものであることは明らかだった。そのうち、臨床スタッフや動物飼育職員については円滑な進行に不可欠であることが露呈すると、すぐに再雇用され、またテニュア研究者の解雇も最終的に撤回された。なおこの他、任期付きの多くの機関内研究者の任期更新が突然停止されたが、これもその後撤回された。ただ、今後どうなるか分からない。

 NIHではその後も約1,300人の職員が相次いで解雇され、トランプ政権発足後、合計2,500名もの職員が解雇されたという報告がある。ただ、正確にはどうなっているか分からない。

3.NIHの現行施策への影響

(1)予算執行

 次に、NIHの現行施策への影響について述べる。これについても全般的な把握はできておらず、目についたものだけ述べる。

 まず、2025会計年度すなわち2024年10月から2025年9月までの、現在まさに施行されている予算の執行状況について。これは既に予算額自体は承認されており、本来NIH自体の考えにより、淡々と施行されてよいはずである。
 ところがトランプ政権においてはそうなっていない。大統領令等により、予算の具体的支出についてもNIHに干渉してきている。

 同政権は、政権発足後40日間で、約18億ドルの研究助成金を打ち切った。これにはまだ全く使われていない5億ドル余りの資金も含まれていた。
 標的となったのは、HIV研究、トランスジェンダーの健康、ワクチン接種への抵抗等、800件以上の助成金だった。特に、国立マイノリティ健康格差研究所(NIMHD)が大きな打撃を受け、同研究所の資金全体の約30%が削減された。1月の大統領令では、多様性、公平性、包摂性に焦点を当てたブログらの終了を求め、それが削減の根拠となっている。

 打ち切られたNIH助成金の大部分は研究プロジェクトに充てられていたものだが、約20%はフェローシップ、研修、キャリア開発のための助成金だった。これは、新たに研究者になったり海外から来たりしている若手研究者には厳しいものだった。

 さらにHHSの指示により、NIHは助成金を拠出する大学への間接費の支払いを大幅に削減しようとした。ただしこれはその通りになったかどうか分からない。

 なお、上述のトランプ政権発足後40日間での18億ドルの助成金打ち切りとは別に、同政権は本年3月までにNIHの研究資金を27億ドル削減したとの報告や、これまでに約40億ドルが凍結されたとの報告もあり、正確な状況は分からないが、とにかく大きな額であるのは間違いない。

 今のところ、生物医学研究コミュニティとNIH職員は、中止・停止させられていた助成金が再び支給されることを期待している。しかし、たとえ助成金のプロセスが再開しても、人員不足が障害となって、9月30日の会計年度末までにNIHの予算全額を支出することは不可能だとする意見もある。

(2)臨床研究への影響

 トランプ政権は本年5月1日、外国補助金の禁止方針を発表した。外国補助金とは、米国内の助成金受給者が、プロジェクトへの海外協力者に提供する資金である。このような補助金を含む助成金の交付が禁止されたのである。
 特にこの補助金は、海外の臨床研究協力者に対するものが多かった。疾患によっては国内だけでは臨床研究への参加者が十分確保できない場合があり、目的を達成するにはこうした海外の協力が必要だった。

 しかし、この方針に沿って、進行中の数十件~数百件もの臨床研究への資金提供が突然停止されることになった。それにより、数千人の臨床研究参加者と、それを管理・実施する海外研究者らが宙ぶらりんの状態に置かれることになった。
 NIHは2024年には、こうした海外協力を含むものとして、総額100億ドル、約1,800件のプロジェクトに助成金を提供している。こうした資金が途絶えることによる影響は計り知れない。

 NIHは、今回の禁止理由として、国家安全保障上の懸念と透明性の欠如を挙げている。そして、海外の施設への直接的な資金提供には影響はなく、10月までに代替の資金提供メカニズムを発表するとのことだが、はたしてどうなるであろうか。

(3)HIV研究の削減

 上記とも関連するが、特にHIVワクチン開発を巡る状況は厳しい。

 国立アレルギー研究所は、本年5月30日、HIVワクチン開発コンソーシアム(CHAVD)への資金提供を来年は更新しない旨関係者に通知した。

 2005年に創設されたCHAVDは、12以上の機関がパートナーとして参加しており、最先端のHIVワクチンの候補を開発し、それを臨床試験に移行させてきている。特に、免疫系を誘導して「広域中和体」と呼ばれる、幅広いHIV変異株に効果のある抗体を産生させるワクチンの開発を目指している。関係者によると、最近のHIVワクチン候補の臨床試験結果は非常に有望であるとのこと。

 NIAIDはCHAVDを率いるスクリスプ研究所とデューク大学に、2019年から7年間で、それぞれ1億7900万ドルの助成金を交付してきた。だが5月30日の通知により、これらの助成金は2026年6月に終了し、両者は資金を更新することができなくなる。

 また、NIAIDは傘下のサルワクチン評価を行うユニットに対し、本コンソーシアムやその他のNIH資金による助成金から生み出されるワクチンの試験にサルを使用する契約を行わないよう別途通知した。

 NIHはこれまでHIVワクチン開発研究に対する世界最大の支援者であり、その支援が失われることによる損失は極めて大きいと考えられる。

(4)推進される研究

 一方で推進される研究もある。特にケネディ氏の影響力が懸念される。

 ケネディ氏はNIHに対し、自閉症の原因に関する研究を開始するよう指示した。同氏は自閉症の原因をワクチンのせいだと考えており、上述HIVワクチン開発への資金拠出の停止も同氏の意向による可能性がある。同氏はワクチン以外に環境要因の可能性にも言及しており、今回の研究はその確認の意味もあるかもしれないい。

 また、同氏はNIHに対し、ホルモン注射を受けたトランスジェンダーの人たちの心境(後悔・反省)についても調査するよう命じた。

 しかし、これらの研究は、最初から結論ありきであり、政治的アジェンダを推進するために行われる可能性が高いとの批判がある。

4.NIHの今後

(1)組織改革

 トランプ政権はHHS全体の再編と資金見直しを進めている。その一環としてNIHの研究助成金の一部が突然停止又は中止された。この再編の一環として、HHSの28の機関を15の新たな部に統合することが想定されており、その中には新設の健康アメリカ局(AHA)も含まれている。これにより、HHSの重点は米国の慢性疾患対策に移行することとなり、NIHの研究もその方向にシフトしていくことが考えられる。

 そしてNIH自体は、現在の27の研究所とセンターを縮小し、8つの組織に再編することが想定されている。きわめてドラスティックな組織改編だが、はたしてどうなるか。

(2)NIHの2026会計年度予算への影響

 今年10月から始まる2026会計年度(FY2026)の予算はどうか。

 トランプ政権の発表によると、2026会計年度は275億ドルにすることが示されている。これは前年度に比べ180億ドル、40%もの大減額である。大まかな方針としてはジェンダーに焦点を当てた研究や気候変動に対する研究を削減し、一方で、慢性疾患や伝染病に関する研究を優先させる方針である。

 NIHの予算は下図のように、これまで政情には左右されず、比較的順調に伸びてきた。ただし、米国は長年インフレ傾向にあり、それを勘案した場合、上下はあるもののほぼ横ばいで、まずまず物価上昇に見合った伸び方をしている。
 第一次トランプ政権時にも、生命科学や医療を支援する超党派の働きかけがあったことで、議会で上乗せされ、結果的には伸びた。ただし、かなり強い覚悟でNIHの予算削減に臨んでいる第2次トランプ政権ではどうなるか分からない。今後の議会での検討は興味深い。

NIH予算の推移 上は実際額、下はFY23額を基準にインフレ率で調整(CONGRESS GOV. HPより)

5.おわりに

 冒頭で述べたように、トランプ政権によるNIHの状況についてはいろいろな情報が錯綜し、今一つ正確な内容が把握できていない。というのは一つには、信じられないほど大胆な政策の変更が行われたと思ったら、外部の圧力や行き過ぎの自覚から政策の撤回がしばしば行われ、目まぐるしく状況が変化しているからである。

 安定して研究が行える環境にないことを懸念した研究者が海外に移ったり、研究者になることを断念して、それ以外のキャリアパスを探したりすることも増えるだろう。
 日本がそれらの受け入れ先となれば、日本の生命科学・医学研究の発展に寄与するかもしれないが、地に根を下ろした研究の継続性や、臨床研究の参加者等のことを考えると、このような混乱ができるだけ早く鎮静化することを祈らざるを得ない。

 今後もフォローしていきたい。

参考文献(下記は一例。その他多くの文献・資料等を参考にした)

・J. Kaiser (2025), “NIH under siege”, Science; Vol.388 (6747), 578-580

・J. Tollefson et.al. “Will US science survive Trump 2.0?”, (2025/4/29), Nature HP

https://www.nature.com/articles/d41586-025-01295-6

・M. Kozlov, “NIH grant cuts will axe clinical trials abroad — and could leave thousands without care”, (2025/5/30), Nature HP

https://www.nature.com/articles/d41586-025-01721-9

・J. Cohen “‘Devastating’: NIH cancels future funding plans for HIV vaccine consortia”, (2025/5/30), Science HP

・“National Institutes of Health (NIH) Funding: FY1996-FY2025”, CONGRESS GOV. HP

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔