第52回 生命科学の論文数から見た各国・研究機関の状況

1.はじめに

 少し前になるが本年6月、論文を基に各国の研究機関を評価するネイチャーインデックスの2024年のデータが公表された。今回はそのうちライフサイエンス分野はどのような状況になっているか、Nature誌の記事等を踏まえ、分析・考察することとする。

2.ネイチャーインデックスとは

 ネイチャーインデックス(Nature Index:NI)とは、シュプリンガーネイチャー社が行っている、研究機関のパフォーマンスを評価するための指標である。2014年11月にデーターベースとして公開され、各分野の主要雑誌に掲載された論文に関し、著者とその所属する機関や国の関係を調べられるようになっており、その分析が毎年行われている。

 分野としては、自然科学部門の生物科学(biological science)、化学、物理科学、環境・地球科学の4分野と、自然科学部門以外で健康科学(health science)を評価・追跡対象としている。なお健康科学は2022年より加わったもので、自然科学部門には分類されない臨床医学や外科の領域が中心になっている。(ここでは生物科学分野と健康科学分野をあわせてライフサイエンス分野と呼ぶことにする。)

 雑誌としては、自然科学部門75誌、健康科学65誌、学際分野5誌が、それぞれの分野の専門家によって選定されている。

 NIの指標としては「シェア」と「カウント」の2つがある。
 シェアは、一般に分数カウントとも呼ばれ、論文の著者の所属する機関や国・地域の割合を考慮して決められるもので、たとえばある論文の著者が1人だと、その著者の所属する国と機関に1ポイントが加算される。また著者が5人でそれぞれ別の国・別の機関に所属していたなら、それぞれの国・機関に0.2ポイントずつ加算される。
 これに対しカウントは、一般に整数カウントとも呼ばれるもので、多数の著者がいる論文でも、国又は機関に少なくとも1人の著者がいる場合、1ポイント加算される。
 つまり各機関や国の真のパフ―マンスはシェアで表されるが、他の機関や国々との協力関係を表すにはカウントで表した方がよい指標になると思われる。

 なお、各年の評価対象雑誌数には大きな変化がないため、論文の全体量はそれほど変わらないが、正確を期するため、シェアのほかに、NIに登録された論文総数の年間変動を考慮したパーセンテージ変化の指標とする調整シェア(adjusted share)も示されている。

3.NIによるライフサイエンス(生物科学分野と健康科学部門)の世界のトップ30機関

 以下、ライフサイエンスについて、NIの論文シェアからみた世界のトップ30機関を示す。

 まず、生物科学分野でのトップ30機関は次の通りである。

 つづいて、健康科学分野でのトップ30機関は次の通りである。

 これらを見るかぎり、ライフサイエンスでは米国が他国に圧倒的な差をつけていることが見てとれる。生物科学分野、健康科学分野ともに、トップ30機関のうち19機関が米国の機関になっている。
 それに続くのは中国で、生物科学分野では5機関、健康科学部門では4機関が中国の機関になっている。
 残念ながら日本はトップ30機関に1機関も入っていない(後述)。

4.2023年のNIの結果についての考察

(1)全般的傾向

 前述のように、今回公表された2023年の結果は、米国がこれまでと同様に上位機関の大部分を占めている。これは、中国が自然科学部門全体で米国を上回るようになり、特に化学分野や物理科学分野において圧倒的なパフォーマンスを示している現状を考えると、ライフサイエンス独自の傾向として特筆すべきことだろう。
 ライフサイエンスには、単に予算を投じたり研究人員を増やしたりするだけでは克服できない知識・ノウハウの蓄積、独自の発想に基づく部分等があるのかもしれない。

 ただし、最近はライフサイエンスにおいても状況が変化してきていることが示唆されている。
 下図は、生物科学分野における2022年と2023年のシェアを、各国別に示したものである。米国のシェアは減少し、中国は増加しているのが見て取れる。ここに示さなかったが、健康科学分野でも同様の状況である。

2022年と2023年の生物科学分野における各国のシェア(Nature Indexより)

(2)米国の漸減

 米国のシェアが下がった理由について、Nature誌の考察では、一つは2023年に対象とするジャーナルが変更されたことが挙げられている。たとえば米国研究者が多くの論文を掲載していた生物科学誌eLifeは、出版モデルを変更した後、NIから除外された。

 また、インフレによる米国での研究コストの高騰も挙げられている。2022年の調査では、研究室の備品のコストが2018年以降27%上昇していることが判明したが、研究資金がそれに追いついておらず、十分な研究が行えていないというのである。

 さらに、米国のライフサイエンス研究費に関して、インフレ抑制法という法案が注目されている。この法案の目的は、米国の医療費の高騰を抑えることで、法律が成立すると、2026年に政府運営の医療サービスであるメディケアが支払う10種類の医薬品の価格上限が導入され、2030年までに60種類の医薬品に拡大されることになる。
 まだ法案段階であるが、医薬品の価格上限設定の可能性が製薬会社の研究費の支出に影響を与えているという。ファイザー、ブリストル・マイヤーズスクイブ等の企業が、すでに研究施設を閉鎖したり大規模な人員削減を行ったりしているが、これは同法案成立による収益減少を見込んでのことだと思われる。

(3)中国の進展

 Nature誌のホームページにはその後、中国のための特集記事が掲載され、その中で行われたデータ分析によると、中国においては物理科学分野や化学分野は強く、両分野で2023年のNIにおける中国全体のシェアの85%を占めている。
 しかし、中国の生物科学分野の調整シェアは、2022年から2023年にかけて15.8%増加した。これは自然科学部門の中で最も高い割合になっている。

中国の各分野の調整シェアの推移(Nature Indexより)

 Nature誌の記事には、NIで調べている5分野のそれぞれについて、国ごとにトップの研究領域が示されているが、中国では生物科学分野では36%が生化学と細胞生物学で占められた。これらは健康科学分野における中国のトップ研究領域にも含まれており、生化学と細胞生物学は中国で強い領域だと言える。

 2023年のNIでは、自然科学部門における中国の国際共著論文による国際提携の割合は、他の主要国よりも全般的に低かったが、生物科学分野では54.1%で、米国の同分野の国際提携(52.7%)よりも高かった。
 最大の研究機関である中国科学院が、生物科学における同国の10大国際提携のうち5つを形成していることは、おそらく驚くことではないが、特筆すべきは、はるかに小規模な機関である香港大学が、健康科学部門の国際連携のトップ3を形成していることだろう。ただしこれは香港の政治体制の中国化により今後、変化が見られるかもしれない。

中国の各分野の国際提携の割合(Nature Indexより)

中国の生物科学分野における主要な機関間の国際提携(Nature Indexより)

中国の健康科学分野における主要な機関間の国際提携(Nature Indexより)

5.日本の状況

 今回公表された2023年のNIでは、生物科学分野では国としての順位は米国、中国、英国、ドイツに次いで日本は第5位になっているが、トップ100に入っている日本の機関は4つしかない。東京大学(37位)、京都大学(66位)、大阪大学(69位)、理化学研究所(92位)である。

 一方、健康科学分野での国としての順位は上位4か国は変わらず、5位カナダ、6位フランス、7位オーストラリア、8位オランダに続き、日本はやっと9位にランクされている。トップ100に入っている日本の機関は1つもない。

 NIの推移で見るかぎり、日本の研究パフォーマンスの落ち込みは激しい。ライフサイエンスに特化してはいないのだが、自然科学部門全体の調整シェアは、2017年から2022年の間に20%近く減少している。
 その原因はNature誌では言及はされていないが、競争的資金の拡充と運営費交付金の減少による自由な研究の阻害、ポスドク任期中に成果を出すためのチャレンジングな研究の回避等が挙げられるのではないだろうか。

 ただ、日本が凋落傾向に歯止めがかけられつつある徴候もある。2022年から2023年にかけて自然科学部門全体の調整シェアは1.7%減少しているが、その減少は多くの欧州や北米の国々と比較すると緩やかだった。

 Nature誌の記事によると、日本はスピンオフ企業の創出で相次いで成功を収めており、2021年には科学研究に資金を提供する750億ドルの基金制度の計画を発表した。しかし、これらの変化の影響が研究の現場で感じられるようになるまでにはもう少し時間がかかる可能性があり、日本の研究が危機を脱したと誰もが確信しているわけではないとのことである。

6.おわりに

 このようにNIで見ると、中国の研究者が発表している論文数は加速度的に増加しており、従来存在感が低かったライフサイエンスの分野でも世界のトップの米国に近づきつつある。

 ただし、中国はライフサイエンスの新しい地平を拓くような研究開発ではまだ米国や欧州諸国に劣るという意見もある。実際、これまでのノーベル賞受賞者をみると欧米の研究者が圧倒しており、日本の研究者にも劣っている。

 日本の行ってきた科学技術政策が、実際にどれほど有効であったのかも気になるところである。

 そういった点を勘案しつつ、NIなどの指標が今後どのように変化していくか、注目しつつフォローしていきたい。

参考文献

・B. Plackett “Nature Index 2024 research leaders: India follows in China’s footsteps as top ten changes again” (2024/06/18) nature index
https://www-nature-com.translate.goog/nature-index/news/nature-index-research-leaders-india-follows-china-footsteps?_gl=1*r8eq0o*_up*MQ..*_ga*MTU3NDc5ODg0MC4xNzIyMTkzNjIy*_ga_XGQ7D2DTGB*MTcyMjE5MzYyMS4xLjAuMTcyMjE5MzYyMS4wLjAuMA..&code=f318528c-bad6-4bbd-8b8a-3108b7bb05e7&code=27c852af-7280-4e33-b695-d424a5519203&error=cookies_not_supported&error=cookies_not_supported&_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

・“Chinese science still has room to grow”, Nature Index (2024/06/05)
https://www-nature-com.translate.goog/articles/d41586-024-01600-9?error=cookies_not_supported&code=950c04fb-461c-45b6-a90a-3a259113eb62&_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔