第54回 宇宙のオミックス

1.はじめに

 本年8月、Nature誌は「宇宙オミックスと医療アトラス(SOMA)」という活動について特集を組んだ。今回はこれについて解説する。

宇宙オミックスの特集が組まれたNature誌の表紙

2.SOMAとは

 近年、宇宙開発競争の激化や商業化により、宇宙での活動は活発化している。宇宙ロケットの打ち上げ数は急増しており、複数の国家・民間が、宇宙ステーション、月面基地、火星コロニー、その他地球外の施設を建設するためのロードマップを作成している。こうして宇宙活動は次第に身近な存在になりつつある。

 一方、人類は宇宙での継続的な活動に耐えられるかどうかは分からない。もともと、ヒトは、微小重力、宇宙線、閉鎖環境といった宇宙活動で生き残るように進化を遂げてきたわけではない。実際に、宇宙活動に伴い様々な影響、すなわち骨密度や筋肉量の減少、宇宙飛行関連神経眼症候群、免疫機構の低下、宇宙飛行貧血等が生じることが知られてきている。

 今後、宇宙活動を円滑に行っていくためには、その身体に及ぼす影響について、より深く知る必要がある。だが、これまでは宇宙での活動そのものが極めて特殊なものであり、そうしたデータ自体が少なかった。NASAやJAXAが部分的に収集・公表したものはあったが、網羅的・体系的なものではなかった。特に、分子・細胞レベルや生理学的データを詳細に測定して相互を関連付けて分析したものはあまりなく、最近の地上での精密医療の進展に比べ、遅れをとってきた。

 「宇宙オミックスと医療アトラス(Space Omics and Medical Atlas:SOMA)」は、これらの課題に取り組むため、様々な宇宙ミッションからの臨床・細胞・オミックスデータを収集・分析すること等により、宇宙活動の人体に与える影響についての分子アトラス(地図)を作成する活動である。
 オミックスとは生物個体や細胞中のゲノム、エピゲノム、RNA、タンパク質、代謝物等を網羅的に測定・分析するものであり、これを相互に関連付けることで宇宙活動による身体への影響をより明確化することが期待される。
 SOMAの活動には25か国以上の100を超える機関が協力してきている。

3.SOMAの手法

 SOMAでのデータ収集において、新たに活用されたのは、このところ急成長している商業宇宙飛行産業だった。
 スペースX社が2021年に行ったインスピレーション4(I4)というミッションで、民間の宇宙飛行士のコホート研究を行ったのである。彼らは高高度(575km)で地球を回る「ドラゴンカプセル」という閉鎖的環境で3日間過ごしたが、その飛行中や飛行前後の生体試料やデータを収集・分析した。それにより、宇宙飛行のストレス要因、たとえば微小重力や宇宙放射線が乗組員の生理機能や健康に及ぼす影響を詳細にプロファイリングした。
 また、これらの結果を、NASAがより低い軌道(420km)で周回する国際宇宙ステーション(ISS)で収集した、比較的長期間働く宇宙飛行士たちのデータ等と比較しつつとりまとめることで、これまでで最大の分子アトラスを作製した。

ISSの軌道と、スペースX社のI4の軌道 (Nature誌より)

4.今回の成果について

 今回、SOMAに関し、Nature誌に3報の論文が掲載されたほか、Nature誌のホームページには関連する40報以上のオープンアクセス論文が掲載されている。このため、その成果を網羅的に説明するのは難しいが、目についた主要なものを以下に述べる。

○今回のSOMA活動により、宇宙活動に伴う試料やデータが得られ、それらはコーネル大学医学部に立ち上げられた初の航空医学バイオバンクであるCAMbankに収められた。
 これにより、従来公表されているものに比べ、宇宙活動を行った人々の次世代シーケンスのデータが10倍以上、また分析された単細胞データが4倍増加した。さらに、同バンクには初のRNAシーケンシングデータや初の空間分解トランスクリプトームデータが含まれ、また、分析された生物試料は2,911になった。

○NASAによる、ISSに滞在した宇宙飛行士の検査結果では、ISS滞在後に染色体のテロメアの伸長が報告されている。テロメアとは染色体の端の部分にある繰り返し構造のことで、細胞が分裂をするとともに次第に短くなり、細胞老化と関係があるとされている。
 今回、I4の全乗組員の平均テロメア長は宇宙飛行中に増加し、NASAの結果を裏付けた。特に、宇宙での滞在時間がISSでの活動に比べはるかに短いにもかかわらずテロメア長が増加したことで、その伸長メカニズムの宇宙活動との密接な関係が示唆された。

○RNA分析により、宇宙活動での時間の経過とともにRNAの種類や量が変動を示し、そのことから肝細胞、腎内皮細胞、造血幹細胞、メラノサイト等の細胞が変化していることが示唆された。

○口腔、鼻腔、皮膚等の微生物叢(マイクロバイオーム)の変化を分析したところ、身体部位ごとに宇宙活動中とその前後で変動が高い微生物種が存在した。たとえば口腔と前腕ではRothia mucilaginosaとStaphylococcus epidermidisが主要変動株として示された。また各被験者によってもかなりの相違がみられた。

○宇宙活動終了後の数か月でマーカーの95%以上がベースラインに戻ったが、一部のタンパク質、遺伝子、サイトカインは、逆に、宇宙飛行後の回復期間に活性化され、少なくとも宇宙活動後3か月間は持続した。

5.考察とまとめ

 未知の部分が多い宇宙活動の生体影響について、今回、体系的に各種オミックスデータ等を集積し、これまでのデータも踏まえて比較しつつ、分析・考察が行われたのは画期的なことである。

 今後、このSOMAのデータ・ツール・リソースを活用していくことで、月、火星、探査ミッションのための健康モニタリング、リスク軽減、対策の加速が期待できる。
 また、これまでの分析結果全体を踏まえると、民間の乗組員にとっての短期の宇宙旅行は一応安全であることが示唆される。

 ただ、今回得られた宇宙活動に伴うオミックスデータ等の変動は、個人間の遺伝的差異、宇宙活動の期間、飛行高度、ドラゴンカプセルの独特の環境、又はこれらと他の要因の組み合わせ等により生じている可能性がある。それらの要因がそれぞれどの程度影響を及ぼしているかを明確化するには、より多くのデータ収集に基づく分析が必要となる。

 なお、これら宇宙活動での影響分析・評価において、AIや機械学習技術を利用することは有用である。宇宙飛行中や帰還後のデータをリアルタイムで分析し、健康状態のモニタリングやリスク評価を行うとともに、個々の宇宙飛行士に適した健康方策を提案することも可能になると思われる。このためデータ収集と合わせて、データ解析技術のさらなる発展も期待される。

参考文献

・E. G. Overbey et. al. (2024) “The Space Omics and Medical Atlas (SOMA) and international astronaut biobank”, Nature; Vol.632, 1145-1154
・“Space Omics and Medical Atlas (SOMA) across orbits”, Nature HP
https://www-nature-com.translate.goog/collections/ebdbcahdgc?error=cookies_not_supported&code=9704c7ed-bd24-4e88-9d38-3a4edf888070&_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔