第65回 遺伝子検査企業の衰退は何を意味するか

1.はじめに

 世界有数の消費者向け遺伝子検査企業である23andMe社は、かつて大きな躍進を遂げたが、最近は業績が上がらず、企業存続の危機に瀕しているという。今回はこのことについて、背景や影響等も含め分析・考察したい。

2.遺伝子検査とは

 ヒトの遺伝子DNAは個人によって違い、個人同士では、DNAをつくる文字である塩基(ATGC)は1,000個に1つ、つまり0.1%は異なっている。この0.1%の違いが個性につながっており、ポリモルフィズム(多型)と呼ばれている。

 遺伝子検査は、この違いを分析することで、がんや生活習慣病、皮膚、性格、太りやすさ等の遺伝的傾向や、ルーツや近縁関係等を知ることができる。特に、多くの病気の発症には遺伝要因と環境要因の両方が関係しているとされるが、遺伝子検査によって遺伝的なリスクを知ることで、病気の予防等に取り組みやすくなる。

 なお民間業者が実施する遺伝子検査サービスは、一般に消費者向け(DTC:Direct to Consumer)遺伝子検査と呼ばれ、医療機関で実施される遺伝子検査とは区別される。

 医療機関で実施される遺伝子検査は、診断や治療を目的として行われる「医療行為」である。すなわち、病気の診断の確定、治療方針の決定、医療機関での経過観察や治療を前提とした予測・予防等、医学的な判断のために実施される。

 これに対し、DTC遺伝子検査は医療行為ではない。消費者と遺伝子解析サービス提供業者の間で直接やり取りを行い、消費者が自主的に生活習慣を変えることにより、健康増進や生活改善を行うことを目的とする。

23andMe社の遺伝子検査キット(Nature誌HPより)

3.23andMe社の躍進と衰退

(1)23andMe社とその躍進

 23andMe社は、DTC遺伝子検査を行うことを目的に2006年、米国カリフォルニア州に創設された。顧客に有料で検査キットを送り、唾液を入れて送り返してもらい、そこからDNAを抽出して配列を解析し、先祖の特徴、潜在的な健康リスク等に関する情報を分析することで事業を展開してきた。同社に検査を依頼した人は世界中で1,500万人にのぼり、何人もの有名人を顧客として獲得し、宣伝にも利用してきた。著者は存じ上げないが、有名人として、スヌープ・ドッグ、オプラ・ウィンフリー、エヴァ・ロンゴリア、ウォーレン・バフェットらの名前が挙がっている。

 同社の検査の利用により、自分の祖先が思ったような家系ではなかったり、深刻な健康問題にかかりやすい遺伝的素因を持っていたりすることが判明した人々も多くおり、そうなると評判が高まり、検査希望者がどんどん増えた。

 23andMe社のような遺伝子検査を行う業者は、他にもいくつかある。アンセストリー(Ancestry)社、マイヘリテージ(myHeritage)社等は、顧客の祖先や民族の追跡に主な焦点を当てている。また、ミリアド・ジェネティクス(Myriad Genetics)社等は、乳がん等、特定の健康リスクの検査に実績を持っている。ただ、23andMe社は、顧客に祖先についての情報も提供する一方で、健康関連のレポートも提供するということで、大規模に事業を展開し、世界でも一、二を争う総合的な遺伝子検査企業になった。

 そして、同社は順調に各国での顧客を増やし、特に、2016年頃から売り上げは急増した。そして株価は2021年~2022年頃には321ドルまで達した。

カリフォルニア州マウンテンビューにある23andMe社の本社(The Conversation HPより)

(2)23andMe社の衰退

 ところがその後、同社の業績は急激に悪化した。大きな要因となったのは個人データの流出だった。実際には2023年4月頃から流出は始まっていたが同年10月になってはじめて、同社は一部のユーザーのデータが流出したことを認めた。流出した個人データは、少なくとも100万人以上だとされる。

 その後、同社の業績の悪化は続いた。2024年9月、同社の取締役8人のうち7人が辞任し、アン・ウォジスキ(CEOかつ共同創業者)が唯一の取締役として残留した。同年11月には、同社は従業員の40%(200人)を削減し、また臨床試験中の医薬品を抱える治療部門を廃止する計画を発表した。その頃には、株価はなんと5ドル以下まで下落し、資産価値はかつての2%にまで落ち込んだ。株式市場からの上場廃止をかろうじて免れている状態である。なお前述ウォジスキ氏は、同社の株式を非公開化し、第三者による買収を難しくする方針のようである。

4.データ流出の詳細とその意味すること

 データ流出は、23andMe社の保有する約600万人のユーザーの個人情報に、ハッカーがアクセスしたことにより起きた。これについて23andMe社は、顧客の家系図、生年月日、地理的位置等は漏洩したものの、ユーザーのDNA情報を保管しているデータベースのシステム自体は侵害されておらず、DNAデータそのものは流出していないとしている。ただ、確証はされていない。

 流出した家系図等のデータは、遺伝情報ほど機密性が高くないかもしれない。だが、それでも個人の詳細なプロフィールを作製するために十分活用できるものである。

 もしDNAデータが漏洩していたとしたら、場合により、銀行預金やクレジットカード等のデータ流出よりはるかに深刻だったかもしれない。なぜなら、他の情報は、銀行預金やクレジットカードを一度解約して取得しなおす、又は暗証番号を変えさえすればいい。一方DNA情報は一生もので、変えることはできないからである。

5.業績悪化の別の原因について

 上記のように、個人データの流出は、23andMe社の業績悪化の大きな要因であることは間違いない。だが、実は別の潜在的原因があり、個人データの流出が発覚する少し前から業績の悪化が起きていたようである。以下、それについて説明する。

(1)継続的なビジネスモデルの欠如

 23andMe社の業績悪化の潜在的原因として、DTC遺伝子検査の構造的な問題が挙げられる。すなわち、継続的なビジネスモデルがなかったのである。ヒトのDNAは通常、一生を通じて変わらないため、遺伝的傾向や祖先を調べるためには、一生に一度だけ、検査すればよい。DTC遺伝子検査企業が使い捨ての製品を販売して、いったん顧客にレポートを送ってしまうと、その後さらに行えることがほとんどなかった。

 DTC遺伝子検査を、遺伝的体質やルーツを知るために受けたいと思う人々は一定割合でいると思われ、そうした人々の需要を満たすことはできる。だが、顧客がいくらいようが、繰り返し利用するのではなく、一生に一回ならば、やがて需要はなくなる。新たな需要としては、新生児に対する検査くらいになる。さらにDNAの解析を充実させて新たな情報を提供したとしても、元のDNAが変わらず解釈が追加されるだけなら大した儲けにはならないだろう。また、RNAやエピゲノム、代謝物などの検査を行うことで、DNA検査と組み合わせてさまざまな疾患の可能性やその進度を予測するという方法もあるだろう。だがそうなると、それはまさに医療行為となり、DTC遺伝子検査の範疇ではなくなると思われる。

 それも含め、真に病気の原因を知り、治療したいと思っている者は、DTC遺伝子検査ではなく、医療行為としての本格的遺伝子検査を受けるだろう。

 実際に、祖先の探索の目的で世界の顧客を23andMe社とともに支配しているアンセストリー社も、データ流出等の問題を起こしていないにもかかわらず、23andMe社と時を同じくして業績が下がり始め、それに対応するため人員整理を行っている。つまり、現在のモデルでは、DTC業界全体として、縮小が起きる可能性があるのである。

(2)医薬開発の遅延

 23andMe社の遺伝子検査では、提供した遺伝情報を研究に用いることに同意したユーザーは80%もいた。このため、そのような莫大のDNAデータを匿名化し、それを用いた医薬開発が進められた。利益が出た場合には業績が安定化する計画だった。

 しかし、甘くはなかった。医薬品開発のプロセスは何年もかかる。このため、利益が出る前に業績の悪化を招いたのである。それが前述の治療部門の廃止の発表につながっている。

 このような医薬開発は、製薬企業等、大きな資金力を持っているところでないとなかなか難しい。

6.おわりに

 このように、23andMe社の業績悪化はひとえに同社だけにとどまらず、DTC遺伝子検査企業一般にも当てはまりそうである。

 日本のDTC遺伝子検査業者としてはエム・ビー・エル社、LDIメディエンス社、ディー・エヌ・エー社、宝ホールディングス社等、いくつかの企業が存在するが、23andMe社のような経営破綻に瀕しているという話は聞かない。この違いは何だろうか。

 個々の企業の活動を調べると、各種臨床検査等、別の業務も行っている。ディー・エヌ・エー社などが典型的だが、DTC遺伝子検査は、主体ではなく、あくまで他の業務を行う中でその一部を構成しているにすぎないのである。

 DTC遺伝子検査は業界としてはまだ新しく、それゆえ、23andMe社の例を他山の石として、先走りせず経営戦略を慎重に練りつつ進めていく必要があると考えられる。

参考文献

・D. Kwon,“What went wrong at 23andMe? Why the genetic-data giant risks collapse”,(2025/01/23), Nature HP

https://www.nature.com/articles/d41586-025-00118-y

・Z. Kleinman,“DNA-testing site 23andMe fights for survival”,(2024/11/03),

BBC HP(https://www.bbc.com/news/articles/c4gm08nlxr3o

・A. Edithia,“23andMe’s struggles are a sign that direct-to-consumer DNA testing needs stronger oversight”,(2024/12/11)The Conversation HP

 (https://theconversation.com/23andmes-struggles-are-a-sign-that-direct-to-consumer-dna-testing-needs-stronger-oversight-245325

・L. H Newman「遺伝子検査の23andMeから個人データが流出、DNA情報をデータベース化するリスクが浮き彫りに」(2023/10/09)WIRED HP

https://wired.jp/article/23andme-credential-stuffing-data-stolen/

・「遺伝子検査とは」Genequest HP(https://genequest.jp/about_gene/

・「DNA検査の会社・企業一覧」Baseconnect HP

https://baseconnect.in/companies/keyword/627b8a32-f78f-4eda-99b4-29bbb6ca269a

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔