第66回 肥満治療薬の開発状況
1.はじめに
近年、新たなメカニズムを利用した肥満治療薬が開発されており、Science誌の2023年の10大ニュースでは第1位に輝いている。これを巡り激しい開発競争が行われている。今回はこのことについて、現状紹介とともに分析・考察を行いたい。
2.肥満について
肥満とは、WHOの定義では、BMI「ボディマス指数:体重・kg ÷(身長・m)2」が30を超えたものと定義される。最近ランセット誌に掲載された調査研究によると、世界では肥満の人は10億人以上いることが明らかになった。
肥満人口は、世界のほぼ全ての地域で増加している。たとえば米国では肥満率は過去50年で約3倍に増え、40%を超えている。また中国では過体重(BMI25以上)が34.8%、肥満が14.1%に達している。しかも、2030年までに中国成人の肥満率は65.3%に達するという予測もある。肥満は、先進国共通の問題といえそうである。
肥満は、心臓疾患や2型糖尿病、一部のがんといった深刻な病気を引き起こすリスクを高める。現代人にとって、肥満は最も大きな悩みの種のひとつだろう。
3.肥満治療薬の歴史
(1)肥満治療薬開発の停滞
肥満に関しては、これまで有効な治療薬は見つかっていなかった。有効だとされたものでも、効果がなかったり副作用が起きたりで、市場から撤退したものも多かった。
たとえば、1997年に米国食品医薬品局(FDA)で承認されたシブトラミンは、神経伝達物質であるノルアドレナリンとセロトニンの再取り込み阻害作用を有し、体重減少効果も顕著だったことから、日本でも治験が進み、発売が待たれていた。しかし欧米で血圧上昇、心筋梗塞や脳卒中のリスクが増加することが報告され、2010年に市場から撤退することとなった。
別の例として、カンナビノイド受容体CBIがある。マリファナが誘発する食欲刺激におけるCBIの役割が発見された後、研究が盛んに進められた。2006年、その受容体阻害効果を持つリモナバンが減量治療薬として承認され、ヨーロッパで短期間販売された。しかしほどなく、リモナバンが一部の人でうつ病、不安、自殺願望のリスクを増加させることが明らかになった。こうしてリモナバンは3年も経たないうちに市場から撤退し、ライバル企業も同様の候補薬を放棄した。
日本でも、2013年に武田薬品が開発した肥満症治療薬オブリーン(商品名「セチリスタット」)が承認されたが、体重減少があまり見られなかったこともあり、保険適用はされず、市場化されなかった。
(2)GLP-1作動薬の出現
このように、なかなか有効な肥満治療薬が開発できていなかったが、近年になって、画期的な薬が出現した。それがGLP-1作動薬である。GLP-1はグルカゴン様ペプチドであり、1980年代に、ヒトの腸内でインスリンの分泌を促し、血糖値を制御するホルモンとして発見された。そしてその後、主に糖尿病の治療薬として研究開発が行われた。だが、研究するうちにそれが食欲を抑制し、大きな体重減少効果を持つことが分かった。こうして肥満治療薬に転用されたのである。
2014年、GLP-1作動薬であるリラグルチド(商品名「サクセンダ」)が初の肥満症治療薬としてFDAに承認された。さらに、より性能が優れたセマグルチド(商品名「オゼンピック」)が、始めは2017年に糖尿病治療薬として承認され、さらに2021年には肥満治療薬「ウゴービ」として承認された。これを投与した参加者の体重は、何と元の体重から平均約15%も減少した。

肥満治療薬の開発は、これらリラグルチドやセマグルチドだけでなく、競合薬であるチルゼパチド(「ゼップバウンド」又は「マウンジャロ」として販売)によって一層加速された。チルゼパチドはセマグルチドなどと同じGLP-1作動薬だが、GLP-1だけでなく、胃抑制ポリペプチド(GIP)と呼ばれるホルモンの受容体も活性化する。このホルモンはエネルギー代謝をさらに活発にし、体が栄養素を蓄えて燃焼する方法に影響する。こうして、チルゼパチドを投与した患者は最高で21%もの減少を示した。
4.新たな肥満治療薬の開発の加速
(1)新たな肥満治療薬の開発の動機
これらGLP-1作動薬の開発・市場化が先駆けとなり、10年後には1,000億ドルを超えると予測される世界市場の可能性に向けて、熾烈な開発競争が起きている。
その競争の目標とされたのが、セマグルチドとチルゼパチドの欠点の克服である。
両薬は、現在は毎週の皮下注射が必要である。そして、不快な副作用が頻繁に起こり、特に吐き気、嘔吐、下痢がよく見られる。長期的には、筋肉量の減少や治療中止後の体重増加の可能性も問題となる。さらに、服用者の10~30%には十分な効果が得られない。
また、投薬費用は米国では月1,000ドル以上かかることがあり、保険でカバーできるとは限らない。さらにこれらGLP-1作動薬の供給不足が続いており、患者が処方通りに薬を使い続けることが難しい。
こうした欠点を克服することが、他のメーカーを開発競争に駆り立てている。結果的に市場に出回る商品が増えれば、患者の選択肢も増え、販売する企業の利益も上がることが期待される。
こうして、多くの企業がGLP-1受容体やGIP受容体に作用する様々な薬剤、またはその他独自の作用機序をもつ薬剤の開発を進めている。
(2)各種の肥満治療薬の開発状況
たとえばイーライリリー社では、現在のGLP-1作動薬の欠点である週1回の注射を克服すべく、オルフォルグリブロンと呼ばれるGLP-1作動薬の錠剤開発を進めている。第2相の臨床研究では、参加者は1日1回の経口投与により、体重は最大15%減少した。
また、現行のGLP-1作動薬を服用している人にとって、体重を減少することの副作用として筋肉の減少が起こることは大きな懸念事項である。イーライリリー社が開発しているビマグルマプと呼ばれる実験薬は、この筋肉の減少に対抗するようである。
さらに、カンナビノイド受容体CB1の阻害剤リモナバンについては、かつて市場から撤退した苦い経験があるが、再び脚光を浴びる可能性がある。米国アルコール乱用・依存研究所の研究により、これらCB1阻害剤リモナバンの抗肥満効果の多くが、肝臓、筋肉、脾臓等、脳以外の臓器の代謝経路から来ることがげっ歯類で証明された。するとリモナバンを化学的に改変して血液脳関門を通過できないようにすれば、うつ病や自殺願望等の副作用が抑えられることが期待される。ノボノルディスク社はこうした観点からモンルナバントという肥満治療薬を開発している。
これらは、開発段階がさまざまである100種類以上の抗肥満薬候補のうちの1つである。さらに数十種類が、異なる生物学的経路を狙ったもので、今後数十年で肥満治療を再定義する可能性がある。

(出典)Nature誌の記事より
5.おわりに
日本では、厚生労働省の令和5年(2023)「国民健康・栄養調査」によると、過体重(前述のようにBMI25。同調査ではこれを肥満と呼んでいるが混乱を防ぐため過体重とした)の割合は男性31.5%、女性21.1%である。この10年間でみると、女性では有意な増減はみられないのに対し、男性では平成25年から令和元年の間に有意に増加し、その後有意な増減はみられない。世界各国でこぞって肥満率が増加している中で、少し特別な状況にあるようだ。特に若い女性では痩せている割合が増加している。これは日本人の体質のせいか、やせ薬以外の努力(運動、減食等)のせいか、分からない。
実は著者としては薬に頼った減量は安易かつ不自然な感じがしてあまり好感を覚えない。むしろ薬に頼らない努力が有効ならそちらの方が望ましいと思う。だが、減食による減量は、栄養不足により健康を害するおそれがある。また、飲まず食わずで運動を行うのもよくない。肥満を病気だと考えるなら、治療薬によりその適正な治療を行い、健康を取り戻すというのは、理にかなったことであり、患者にとっては福音なのだろう。
特に、GLP-1作動薬については、呼吸器疾患や消化器疾患等、さまざまな病気のリスクを下げる効果が報告され、さらに認知症の予防効果があることも報告されている。これらについてはまた別の機会に分析を行いたいが、こうした可能性を秘めた肥満治療薬について、今後の開発状況を見守っていきたい。
参考文献
・E. Dolgin (2025) “Dozens of new obesity drugs are coming: these are the ones to watch”,Nature; Vol.638, 308-310
・中里雅光(2012)「抗肥満薬が辿ってきた「ずっしり重い」歴史」肥満研究Vol.18, 75
・E. Mullin「次の「オゼンピッグ」を探せ―肥満治療薬の新薬開発競争が加速」(2024/08/09)WIRED HP(https://wired.jp/article/age-of-ozempic-next-generation-new-weight-loss-drugs-ozempic-wegovy-zepbound-mounjaro/)
ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔