第83回 トランプ政権によるNIHへの影響その後

1.はじめに

 米国トランプ政権の発足から約10か月が経過した。
 本ニューズレターでは、2度にわたり、トランプ政権になってからの生命科学に対する政策やその影響をテーマとして、紹介・分析を行ってきたが(第64回トランプ大統領の生命科学政策第72回トランプ政権でNIHはどうなったか、どうなるか)、その後の状況ははたしてどうなっているだろうか。ここでは再び、世界最大の医学・生命科学研究機関であり資金提供機関でもある米国国立衛生研究所(NIH)に焦点を当てて、最新の動向を紹介、分析を行いたい。
 なお、断片的な情報をつなぎ合わせて整理したこともあり、細かい部分で事実関係に食い違いがある可能性があることを御容赦いただきたい。

2.NIHの予算執行の動向

 昨年10月から今年9月までの2025会計年度(FY2025)については、現在既に終了して1か月余りが経過しているが、トランプ政権発足後の予算執行の動向について、これまでニューズレターで紹介したことも含め、ポイントを述べる。

(1)助成金の大幅削減と大量解雇(前回ニューズレターで紹介済み)

 トランプ政権は政権発足後の1月下旬、NIHの研究助成金について、多様性・公平性・包括性(DEI)に関連するものを全て終了するよう大統領令を発令した。
 裁判上の手続きがいろいろあったものの、4月初めまでに、NIHが過去に交付した約800件の助成金が打ち切られた。その多くは健康格差への対処法に関する研究への助成金等、DEI関連のものだったが、それ以外にも、性的少数派(LGBTQ+)、COVID-19、気候変動の健康影響等、トランプ政権の意向に反するテーマも対象となった。
 その後さらに件数が増え、数千件のプロジェクトへの資金提供が中止されたという報道もある。

 また2月上旬、NIHは、機関への助成金における間接費の割合を助成金の額の15%以内に制限する旨発表した。間接費は直接の研究費ではなく、施設の賃貸料、暖房や電気等の公共料金、清掃員や事務職員等、各種研究支援のために支払われる費用である。その割合は通常、機関の30%~70%を占めており、グラントの獲得によりそのかなりの部分が補われていた。
 このため、間接費の削減は研究機関にとって大きな痛手となり、人員削減、採用凍結、研究プロジェクトの終了等につながる可能性があった。ただこれを受け、22の州司法長官が訴訟を起こし、削減は2月10日に一時停止された。

 トランプ政権の影響は、助成金の削減だけでなく、研究者やスタッフにも及んだ。NIHは2月中旬に、1,000人~1,200人の職員を解雇した。現在までに少なくとも2,500人が解雇されたと推測される。

 また大学はNIHの助成金減少に対応して、大学院での生物医学研究や医学部のプログラムへの入学、ポスドク研究者の採用を一時停止又は削減した。そしてNIHはそれと連動して、学部生のインターンシップやNIHの研究所での大学院課程を中止した。

(2)研究者や議会による抵抗

 こうした動きに対し、NIHの研究者やスタッフからは抵抗があった。NIHの各研究所・センターにおいて、彼らが行っている自分の研究が脅かされたこともある。

 本年6月には、NIHとHHS(米国保健福祉省、NIHを所管する省)の指導者に対し、学問の自由と科学的卓越性の約束を果たすよう求めるベセスダ宣言が出された。その中で、大量解雇とプログラム削減を非難し、NIHへの資金提供の回復が要請された。この書簡には500人近くのNIH職員のほか、世界中の何万人もの科学者と20人以上のノーベル賞受賞者が共同署名した。

 また、トランプ政権のNIHに対する圧力は議会において抵抗にあった。上院委員会では、助成金の交付の際に間接費に15%の上限を設けることにより数億ドルの予算を削減するというトランプ政権の計画を否定した。また、トランプ政権の提案した交付金の一括支払い(後述)について、それを事実上禁止する旨採択した。

 トランプ政権の政策は民主党議員からだけでなく、共和党議員からも非難を浴びた。共和党議員14人は7月下旬、ホワイトハウスに書簡を送り、NIHが2025年度予算を全額支出することを許可するよう要求した。

 一方、司法の世界では、2月以来、NIHの措置を違法だとして少なくとも5件の訴訟が起こった。このうち4月に起きた訴訟について、6月、担当していたマサチューセッツ州連邦地方裁判所のW. ヤング判事は、多様性・公平性・包括性(DEI)を重視するという理由でNIHの助成金が削減されたことは恣意的で気まぐれであるとして、約900件の助成金の復活を命じた。
 ただ、それにより資金は復活したものの、研究者らは中断したところから直ちに研究を再開・継続することはできなかった。各研究プロジェクトでは既にスタッフを解雇している場合も多く、また助成金交付通知書は期限切れで、資金を引き出すことができなかったのである。

 その後、8月下旬になって、米国最高裁判所は、多数意見としてトランプ政権を支持する姿勢を示した。それは先述ヤング判事の命令を覆すものではなかったが、同判決に対する控訴審が終わるまでは助成金の打ち切りは継続されると示唆した。つまり、同判事の判決の重要部分を保留し、政権が対象としていた最大20億ドルの予算削減を認めたのである。

3)予算執行との闘い

 NIHでは、先述のような助成金審査会議の中止、職員の大量解雇、裁判を巡るごたごた等から、審査プロセスが大きく遅延した。

 しかし、9月30日の会計年度末までに予算額を消化できなければ、未使用の資金は米国財務省に返還しなければならなかった。しかも一部プロジェクトへの資金提供を打ち切ったため、予算消化はいっそう難しかった。

 しかし、NIHの職員らは猛烈な勢いで作業を進めた。そして、何と480億ドルの予算を、期限通り会計年度末までに全額支出することができたようである(現在のところ、正確な事実関係は確認できていない)。

図 各年度における月毎の助成金予算の累計消化割合。2025年度は他の年度に比べ予算消化が遅れていたが、7月より複数年度の支出を始め急激に追いついた(ネイチャー誌HPより)

 実はそれにはからくりがあった。
 NIHは通常、研究プロジェクトに対して複数年にわたる資金交付を決定し、それに対応した各年度の予算から複数年にわたり資金を支出している。しかし、本年7月、ホワイトハウスの予算局は、一部の研究プロジェクトに対し、複数年にわたる分割払いではなく、前払いの一括払いで研究資金を交付するよう指示したのである。NIHはこれに対応し、少ない採択課題でも多額の研究資金が支出されることになった。そして、結果的に予算の消化が進んだのだった。
 ただ、それまでは各プロジェクトの進行状況を確認した上で次年度の助成金を交付していたのが、一挙に交付することで各研究プロジェクトに対する適切な管理ができなくなるとの批判がある。またそれは、NIHが資金提供できるプロジェクトの数が急激に減少することを意味した。実際、2025年度に資金を提供したプロジェクト数は前年度に比べ40%減少したと見積もられている。

3.NIHの新規予算の動向

(1)予算案を巡る対立

 今年10月1日から始まる予定だった2026会計年度(FY2026)の予算はどうか。

 トランプ政権はNIHの2026年度の予算について、大幅な削減案をいろいろ提示してきた。そのうち最も大規模なものの一つは5月初めに発表されたものだった。それによると、予算をを470億ドルから270億ドルに40%削減するとともに、研究体制として、2025年初頭の27の研究所・センターから以下の5つの研究所に統合し、国立マイノリティ・健康格差研究所(NIMHD)と国立看護研究所(NINR)を廃止するというものだった。
・国立身体システム研究所
・国立神経科学・脳研究所
・国立総合医学研究所
・国立障害関連研究所
・国立行動健康研究所
 (なお、5つではなく8つに統合するという案もあったようだが、著者としてはそれらの関係がよく把握できていない。)

 だが、同予算は7月末、上院の委員会で否決された。これは民主党だけでなく、共和党の議員らも反対に回り、代わりに、NIHの構造を維持し、予算は逆に4億ドル増額することが支持された。

(2)政府閉鎖とその後

 しかし、結局は政府予算全体として決着が着かず、10月1日になると、政府は閉鎖の事態に追い込まれた。

 その結果、現在どうなっているか。

 NIH全体として、職員の78%が一時帰休となり、新規基礎研究や新たな患者の受け入れが停止され、できるのはNIHの体制維持に最低限必要な活動のみとなった。

 NIH臨床センターの運営を維持するため、閉鎖期間中も同センターのスタッフは約4分の1のみ出勤している。既に入院している患者についてはケアを続ける必要があるが、このスタッフ数ではかなり厳しいと思われる。

 また、飼育中の実験動物の最低限の維持管理も行われているようである。

 なお、政府閉鎖中は、以下のような活動は認められていない。
・ピアレビューパネル、諮問委員会、新規助成金の交付、プログラム管理
・NIH臨床センターへの新規患者の入院(緊急の場合を除く)
・新たな緊急プロトコルとほとんどの所内基礎研究・トランスレーショナル研究の開始
・大学院及びポスドクの研修プログラム
・科学・研究での会議とスタッフの出張
・獣医や機器のサービス
・大部分の管理業務、新人研修、郵便業務、カフェテリア、来客対応

 NIH傘下の米国立医学図書館(NLM)が運営する世界最大の医学・生物学文献データベースPubMedが、政府予算の失効により更新を停止するという憶測が流れ、大きなニュースになった。だが実際に同サイトで調べてみると少なくとも10月末までは更新は行われているようである(ただし11月からの更新は確認できなかった)。このように、トランプ政権を巡る情報は錯綜しているものが結構あるようだ。

 本年10月から始まる予定だった2026年度予算については結局、この原稿を書いている11月4日時点では決着がついていない。閉鎖は1か月以上となり、研究や治療の停滞が懸念される。

 NIHの指導部は、彼らが「ゴールドスタンダード・サイエンス」と呼ぶものを含め、今後数年間の優先事項を策定し始めている。ただ、この計画の一部には、助成金の配分に対する政府的監視の強化が含まれており、批判する意見もある。

4.おわりに

 今回のトランプ政権による介入により、米国の生命科学研究の土台が大きく揺らいだのは間違いない。
 第一次トランプ政権時、予算要求に際し、たとえ大統領の予算要求では減額要求であっても、議会では超党派が結束してそれに反対し、むしろ最終的な予算としては増額になっていた。また、政権が予算の執行にまで細かい口出しをするようなことはほとんどなかった。
 このため、今回も同様だろうと思っていたが、そうではなかった。少なくとも予算執行においては助成金交付がストップされた分野があり、また単年度交付としたために採択率が大幅に減少した。また2025年度の予算も、議会の反発にもかかわらず大幅減額となる可能性がかなりある。

 これにより、米国において生命科学の研究の停滞、そしてそれを担う研究者の意欲減退や研究からの離脱は、将来的に必ず成果に如実に反映されるものと思われる。

 日本はその間に、生命科学分野ではるかに先を行く米国との研究ギャップを埋めたり、離脱研究者を受け入れたりすることで、有利に働く面もあるかもしれないが、研究協力や臨床試験の協力等が円滑に進まなくなることによるデメリットも大きいと思われる。何よりも、新たな診断や治療法を待ちわびる患者のことを考えると、世界的な損失だろう。

 その意味で、本件がうまく解決し、平穏に研究が採択され、実施される環境を少しでも早く取り戻せることを祈りつつ、引き続きフォローしていきたい。

参考文献(下記は一例。その他多くの文献、資料等を参考にした。)

・“Science policy of the second Trump administration” (2025/11/3) Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Science_policy_of_the_second_Trump_administration

・M. Kozlov, “NIH races to spend its 2025 grant money — but fewer projects win funding” (2025/9/29) Nature HP
https://www.nature.com/articles/d41586-025-03168-4

・A. Studna, “NIH Implements Contingency Plan as Government Shutdown Impacts Research Funding” (2025/10/7) Applied Clinical Trials HP
https://www.appliedclinicaltrialsonline.com/view/nih-implements-contingency-plan-government-shutdown-research-funding

ライフサイエンス振興財団理事兼嘱託研究員 佐藤真輔