第37回 2023年のライフサイエンスの重大ニュース

1.はじめに

 ライフサイエンスの世界で、2023年にどんな大きな出来事があったか。

 Science誌やNature誌は、毎年年末になると科学の重大ニュースを発表している。今年もそうなので、その中からライフサイエンスのどんな記事がランクインしているか調べてみた。

2.Science誌の評価

2023年の重大ニュースが掲載されたScience誌

(1)2023年の10大ニュース

 Science誌は、2023年のブレイクスルー・オブ・ザ・イヤーに、以下の10件のニュースを掲げた。そのうち〇を付けたのはライフサイエンス関連と思われるものである。

(第1位)
〇有効な肥満治療薬の開発(S1:下記参照、以下同様)

(以下は次点(横並び))
・炭酸ガスを吸収する地球のポンプのしくみが減弱
・地球の保有する水素ガスの探索
・AIで気象予報
〇有効なマラリアワクチンの開発(S2)
〇アルツハイマー病の進行を遅らせる薬が認可(S3)
・足跡の発見によりアメリカ大陸への人類到達が大幅に遡る
・巨大なブラックホールの衝突による重力波の音を観測
・若手研究者が待遇改善を求めて声を上げる
・エクサスケールのコンピュータが開発される

 以下、ライフサイエンス関係について簡単に説明する。

 (S1) 肥満に関しては、これまで有効な治療薬は見つかっていなかったが、グルカゴン様ペプチド(GLP-1)に、大幅な体重減少効果があることが分かった。GLP-1は、当初、糖尿病の治療薬として開発されたが、それが肥満治療薬に転用され、発展を遂げた。
 最近では、これをアルツハイマー病やパーキンソン病に対する治療薬にする試みもある。ただし、投与を続けると副作用の可能性が残ること、投与をやめると体重が元に戻ること等、課題も残る。

(S2) マラリアは、サハラ以南のアフリカだけで年間50万人もの幼児死亡をもたらす重大な感染症である。これに対するワクチンとしては、これまでGSK社のモスキリックス(Mosquirix/RTS,S)が唯一認められていたが、あまりワクチンとしての持続効果はなく、値段も高価なうえ、大量生産が困難だった。
 これに対し、オクスフォード大学で開発され、インド血清研究所にライセンス付与されているR21/MatrixMは、これまでの試験結果からモスキリックスと同等以上の効果が示され、また価格も半額以下で大量生産できることが期待される。

(S3) 米国で、アルツハイマー病による認知能力の低下を明確に遅らせる薬が承認された。
 同疾患では、脳にβアミロイドというタンパク質の塊ができ、これまでそれを除去する治療法が開発されてきたが、ことごとく失敗に終わっていた。
 今回承認されたレカネマブは、このアミロイドを標的とするモノクロナル抗体で、18か月の試験で認知機能の低下をプラセボに比べ27%遅らせた。同医薬はその後、日本でも承認された。
 ただし、脳の腫れや脳出血の副作用も認められ、血栓溶解剤を服用している患者にはリスクがある可能性も残る。現在、同様な働きをもつドナネマブという医薬も開発され、プラセボに比べ35%の認知能力低下遅延効果があるとするデータが出ている。

(2)2023年のネガティブなニュース

 なおScience誌は、ネガティブ面でのニュース(ブレイクダウン)も3つ掲げた。

〇新型コロナウイルスの起源についての対立
・室温超電導の論文が撤回
・ツイッター(X)が研究者にとり使いにくいものになる

 新型コロナのパンデミックの原因は、中国武漢の研究所からのウイルス漏洩だという疑惑があるが、一方、武漢の市場で販売されていた動物からの感染だとする研究者も多い。中国政府は、その原因を解明するための海外機関の調査を拒絶している。
 2023年になって、中国人以外の研究者がパンデミック初期に武漢市場から収集した試料から新型コロナウイルスの配列を発見し、決着がつくと思われたが反対意見も多い。
 また、武漢のウイルス研究に米国からの資金が用いられていたことを米国政府が隠蔽しているという話もあり、混乱をきたしている。米国ではかかるパンデミックを引き起こす可能性のあるウイルスに対する規制強化の動きがあるが、研究者の中にはそれにより感染症研究が妨げられるとする意見もある。

3.Nature誌の評価

2023年の重要人物などが掲載されたNature誌

(1)2023年の10人の人物(+1人の非人間)

 一方、Nature誌には2023年の重大ニュースは掲載されていなかったが、同誌は2023年に科学の世界で目立った働きをした人物10名を「ブレイクスルー・オブ・ザ・イヤー」として挙げた。

・K.カラハスティ(インドによる月面着陸に貢献した技術者・管理者)
・M.シルバ(森林破壊を抑制するための制度再建に取り組むブラジルの環境大臣)
〇林克彦(雄のマウスの細胞から生存可能な卵子を作出)(N1:下記参照、以下同様)
・A.クリッチャー(米国の核融合点火装置の開発に貢献した物理学者)
・E.ミリヴィリ(世界の気候変動の抑制に取り組む国連職員)
・I.スツケヴェル(ChatGPT等のAIシステムのパイオニア)
・J.ハムリン(常温超電導ができたとする主張の誤りを発見するのに貢献)
〇M.モジソフ(肥満治療薬の開発に貢献)(N2)
〇H.ティント(2番目のマラリアワクチンの開発に貢献)(N3)
〇T.パウルズ(膀胱がんの革新的な臨床試験を主導)(N4)
(なおこの他、人間ではないが「ChatGPT」がこれらと並び挙げられている。)

(N1) 大阪大学の研究者。雄マウス(XY染色体をもつ)から採取した細胞を幹細胞に変換し、そのうち自然にY染色体を失った細胞に化学物質を与えることでXXの染色体をもつ細胞を作出。それを用いて卵細胞を作出し、それを受精して得られた胚から胚移植によりマウスを誕生させた。
 なお同博士は現在、絶滅に瀕したキタシロサイ(雌2頭のみ生存)からの子孫づくりにも取り組んでいる。

(N2) ロックフェラー大学の研究者。ユーゴスラビア生まれで、(S1)の肥満治療薬につながるGLP-1の同定と特性の解明に重要な役割を果たした。
 だがその業績はあまり評価されなかったため、法廷闘争等を通じて自身の貢献について主張し、見直された。

(N3) ブルキナファソで診療所を運営し、(S2)のマラリアワクチンの臨床試験の実施体制づくり等、ワクチン普及に貢献している。

(N4) 英国クイーンメアリー大学の研究者。抗体薬物療法(ADC)を用いて進行性膀胱がんの生存期間を大幅に延ばした。ADCは、腫瘍細胞を特異的に標的とする抗体と化学療法薬で構成されている。
 同氏は、膀胱がん細胞中のネクチン-4と呼ばれるタンパク質を標的とするADC(エンフォルツマブと呼ばれる)を、別の免疫療法薬と併用することにより、膀胱がん患者の生存期間の中央値を1年4か月から2.5年に延長したとする結果を得た。

(2)2024年の注目すべき科学イベント

 また、同誌は2024年に注目すべき科学イベントとして、以下の9つを挙げた。

〇AIの進歩(N①:下記参照、以下同様)
・新たな望遠鏡の開発による天体観測の進展
〇病気を防ぐ蚊が実用化(N②)
〇次のパンデミックを防ぐためのワクチン開発(N③)
・月や惑星へのミッション
・暗黒物質や素粒子の探索
〇実験を通じ意識の仕組みについての論争が決着(N④)
・地球環境を守るための国際的な取組みが進む
・エクサスケールの超高速スパコンが稼働

(N①) ChatGPT等を支えるAIが進展することや、AIに関する規制の進展も見られるが、ライフサイエンス関連では、Google DeepMind社のAIツールであるAlphaFoldの新バージョンが来年公開予定である。
 AlphaFoldは研究者がタンパク質の立体構造を高精度で予測するのに役立つツールだが、タンパク質、核酸、その他の分子間の相互作用を原子の精度でモデル化できるため、医薬品の設計と発見における新たな可能性が開かれる。

(N②) NPO「世界蚊プログラム」は、2024年にブラジルの工場で病気を防ぐための蚊の製造を始める。この蚊は病原性のウイルスの伝播を防ぐ細菌株に感染させており、その放出により、最大7,000万人をデング熱やジカ熱などの病気から防ぐ可能性がある。
 同NPOは、今後10年間で、このような蚊を年間50億匹生産する予定である。

(N③) 新型コロナウイルス感染症のパンデミックは収束してきたが、米国政府は次なるワクチン開発に向けて資金拠出を行っている。
 うち2つは鼻腔内ワクチンで、気道組織に免疫を持たせることで感染を防ぐことを目的にする。
 残りの1つはmRNAワクチンで、抗体とT細胞との反応を強化して、広範囲のSARS-CoV-2の変異種に対し長期間持続する免疫を与えることが期待される。

(N④) 1998年の意識科学研究協会(ASSC)の年次総会で、神経科学者と哲学者が2023年までに脳のニューロンが意識を形成するメカニズムが発見されるかどうかで賭けがなされた。
 同メカニズムとして2つの理論が提唱され、それを実証するための実験が行われたが、これまでのところ脳画像データはいずれも理論と一致せず、当面哲学者の勝利となった。
 しかし2024年には新たな実験結果が得られることが予想される。

4.記事に対する著者の感想

 以上だが、感じたことをいくつか。

 まず、Science誌の10大ニュースのうちライフサイエンス関係は3つ(肥満治療薬開発、マラリアワクチン開発、アルツハイマー病治療(延命)薬開発)、またNature誌の10人のうちライフサイエンス関係は4人(雄マウスからの卵作出、肥満治療薬開発、マラリアワクチン開発、膀胱がん治療薬開発)である。
 ちなみに昨年(2022年)は、Science誌ではライフサイエンス関係は6つ(多年生イネ開発、巨大バクテリア発見、RSウイルスワクチン開発、多発性硬化症原因ウイルス解明、ペストによる異変追跡、古代生態系の復元)、Nature誌の重大ニュースではライフサイエンス関係は4つ(AIによるタンパク質構造予測、サル痘の蔓延、オミクロン系統によるパンデミック、ブタ心臓のヒト移植)、Nature誌の10人ではライフサイエンス関係は4人(SARS-CoV-2の変異追跡、サル痘対応、COVID-19の研究資金増額貢献、ブタ心臓のヒト移植)だった。

 今年と昨年の話題を比べると全く変わっており、同じものが一つもない。いかにライフサイエンスの進展が激しいかよく分かる。
 なお、Science誌のライフサイエンス関連の割合が減ったが、これは考古学分野を数に入れなかったことや、科学者の活動といった話題が選ばれたためであり、ライフサイエンスの比重が他の分野と比べ低くなったということでは決してないだろう。
 ただし、今回はAI分野が選ばれているが、その割合は今後増えていく予感がする。これも脳との比較ということで広くライフサイエンス分野と言えないこともないが。

 また、Nature誌では重大ニュースの掲載はHP上でもなかった(12/22時点)ので、Science誌の10大ニュースとNature誌の重要人物10人と比較するしかないが、このうち2つは共通していた(肥満治療薬開発、マラリアワクチン開発)。
 昨年は両記事で全く重複が見られず、著者としては、科学の世界での価値観も多様であり、異なる研究、ましてや分野の異なる研究を一律に評価することの難しさを表しているとの見解を述べた。
 しかし今年はそれに比べると、Science誌のライフサイエンス関係トピック3件のうち2件が共通しているということは、共通しているものは誰が見ても重要なニュースだということだろう。

 それにもかかわらず、著者としてはこの両トピックとも本ニューズレターでは掲載できなかった。いかに著者自身の見識が低いか明らかである。掲載できたのはアルツハイマー病治療薬開発(第14回ニューズレター)、雄マウスからの卵作出(第21回ニューズレター)のみである。著者にとっては1年間の活動の通知表のようなもので、忸怩たる思いである。

 弁解させてもらうと、著者の関心として、再生医療や遺伝子操作関係の基礎的な生命科学に少々偏りすぎていたのが原因かもしれない。一方で、選ばれたものは明らかに疾患の治療用や予防法の実用化というトピックが中心を占めていた。
 ライフサイエンス分野も基礎的な生命現象の発見ではなく、実用化の時代に入ってきたと感じるとともに、科学とは何のためにあるかというそもそも論について改めて考えさせられた。

 これを戒めとし、2024年は真に重要なトピックを厳選・紹介していけるようにできたらと思う。

参考文献

・J. Couzin-Frankel et. al. (2023) “Breakthrough of the year”, Science; Vol.382, 1227-1235
・J. Mehta et.al. (2023) “Nature’s 10 Ten people (and one non-human) who helped shape science in 2023”, Nature Vol.624, 496-508
・M. Naddaf “The science events to watch for in 2024”, Nature HP; 18 December 2023
https://www.nature.com/articles/d41586-023-04044-9

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔