第13回 2022年のライフサイエンスの重大ニュース

 ライフサイエンスの世界で2022年にどんな大きな出来事があったか。Science誌やNature誌は、毎年年末になると科学の重大ニュースを発表している。今年もそうなので、その中からライフサイエンスのどんな記事がランクインしているか調べてみた。

2022年の重大ニュースが掲載されたScience誌

 Science誌は2022年のブレイクスルー・オブ・ザ・イヤーに、以下の10件のニュースを掲げた。そのうち〇を付けたのはライフサイエンス関連と思われるものである。

(第1位)
 ・世界最大の宇宙望遠鏡JWST(ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡)が稼働
(以下は次点(横並び))
 〇多年生イネの品種開発(1)
 ・画像生成等のより創造的なAIの進化
 〇巨大バクテリアの発見(2)
 〇RS(呼吸器合胞体)ウイルスワクチンの開発(3)
 〇多発性硬化症の原因ウイルスの解明(4)
 ・米国で画期的な気候変動対策法が可決
 〇中世のペストを通じてヨーロッパ人に起きた変異(5)
 ・宇宙機衝突による小惑星ディモルフォスの軌道変更
 〇200万年前のDNAから古代の生態系を復元(6)

以下、ライフサイエンス関係について簡単に説明する。
(1)中国の研究者はアジアのイネの商業品種と、アフリカ産の多年生のワイルドライスを交配することにより、PR23という、毎年生き残り、複数年にわたって生産を続ける多年生米を開発した。これにより2年目以降の田植えのステップが省略されることで農家の時間やコストが大幅に削減されることが期待される。
(2)フランス領アンティル諸島のマングローブ湿地の枯葉の表面から、巨大細菌Thiomargarita magnificia(仮称)が発見された。同細菌は直径が多くの細菌細胞の5,000倍あり、他の細菌と異なり、DNAがパッケージ化されてまとまっていたり、細胞のエネルギー源であるATPを生産できるよう内膜のネットワークを持つことが分かった。
(3)RS(呼吸器合胞体)ウイルスは乳児や高齢者に重篤な症状を引き起こすことがあり、ワクチン開発が期待されていたが、50年以上前の臨床試験での死亡事故以来、開発は頓挫していた。しかし最近、ワクチン候補についていくつかの臨床試験により、副作用は見られず、安全なものであることが分かった。2023年に実用化されることが期待される。
(4)多発性硬化症(MS)の原因ウイルスは一般的なヘルペスウイルスであるエプスタインバーウイルス(EBV)だと疑われてきたが、原因として特定することは困難だった。だが研究者は1,000万人以上の米軍新兵の20年以上の軍事医療記録に基づき、MSとEBVとの関係を解明された。
(5)今から約700年前に黒死病(ペスト(黒死病)が猛威を振るったが、その前後に埋葬された500人の人々のDNAを解析することにより、ペスト生存者はペストを引き起こすノミの媒介細菌に対する免疫応答を高める遺伝子変異を持っている確率が極めて高いことが報告された。そしてその遺伝子変異は黒死病の後に頻度が急増し、現代人にも引き継がれていることが分かった。
(6)これまで100万年以上前のDNAは劣化により解析できないとされていたが、北極の砂漠の凍土から少なくとも200万年前の小さなDNA断片が抽出されたことで、当時のグリーンランド北部の温暖な気候に存在していた生態系を形成していたトナカイ、レミング、マストドン(ゾウの先祖)等の各種生物についての新たな知見が得られた。
    
 なおScience誌はこれ以外にネガティブ面でのニュースも3つ掲げた。
 〇ゼロコロナ政策は機能不全(a)
 ・科学の連携が弱体化
 ・戦争によりCO2排出量が増加

(a)中国の厳格なゼロコロナ政策は同国の経済を圧迫し、市民の怒りを呼んだ。同国では独自開発した効果の低いワクチンを持っているが、コロナゼロを目標にしたため、大勢の市民が一日おきに検査を受け、陽性の場合、アパートの区画を閉鎖する等の措置がとられた。経済的に損害を与え、中国の国内総生産2021年8%から今年は3%に。中国政府は12月になって、ゼロコロナ戦略を正式終了することなく制限の緩和を始めた。

2022年の重大ニュース・重要人物が掲載されたNature誌


 一方、Nature誌には2022年の重大ニュースは掲載されていなかったが、Nature誌のHPを見ると、「2022年のNature誌の重大ニュース」というタイトルで以下の出来事が挙げられていた。

 ・ロシアがウクライナに侵攻
 ・世界最大のNASAの宇宙望遠鏡JWSTが稼働
 〇AIがタンパク質の構造を予測①
 〇サル痘が世界的にまん延②
 ・各国が月探索の試み
 ・国連気候変動枠組条約のCOP27で基金設立に合意
 〇オミクロンの子孫がパンデミックを引き起こす③
 〇ブタの臓器をヒトに移植④
 ・各国で極右勢力が躍進
 ・国連生物多様性条約COP15で資金調達を議論

①本ニューズレターの第8回で紹介したものである。英国のディープマインド社が、AIを利用して予測した2億種類以上のタンパク質の構造データベースを公開したが、これは既知のタンパク質のほぼ全てに相当し、生命科学の研究方法や創薬のプロセスを大きく変える可能性がある。
②サル痘の感染が見られたのは、以前は中央・西アフリカが中心だったが、2022年5月から、欧米・カナダ等で男性間で性交渉した若年・中年男性を中心に感染がおこり、WHOは7月に、同機関最高レベルの緊急事態宣言発出。その後可能な治療法の試験が開始され、やがてワクチン接種の取組みと行動の変化により欧米で感染拡大が抑制された。
③新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のオミクロン株は、2021年10月にアフリカ南部で最初に検出され、急速に世界中に広まった。オミクロン株は他の株に比べ免疫系をうまく回避でき、様々なグループが派生し、ワクチン効果が低い。そのため科学者が感染の波の予測をするのを困難にしている。しかしそれを克服すべく、いくつかのワクチンが開発されつつある。
④本ニューズレターの第1回で紹介したものである。本年1月、米国メリーランド大学医療センターで、遺伝子操作したブタから取り出した心臓を患者に移植した。ブタの細胞からは拒絶反応に関係する物質を取り除き、ヒトに移植しても拒絶反応が起こらずスムーズに癒着した。ただ患者はその後100日足らずで死亡した。

 また、同誌は2022年に科学の世界で目立った働きをした人物10名を「ブレイクスルー・オブ・ザ・イヤー」として挙げた。

 ・J.リクビー(上述JWSTの開発に尽力した天文学者)
 〇曹雲龍(SARS-CoV-2の変異の仕組みを追跡する中国研究者)(イ)
 ・S.ハク(上述COP27での気候変動基金設立に尽力)
 ・S.クラコフスカ(ロシアの侵攻を化石燃料戦争として国際社会に呼びかけたウクライナ科学者)
 〇D.オゴイナ(上述サル痘と戦うナイジェリアの研究者)(ロ)
 〇L.マコーケル(COVID-19に長期罹患し研究資金の増額に助力した米国研究者)(ハ)
 ・D.G.フォスター(中絶許可州での追跡調査に努める米国の人口統計学者)
 ・A.グテーレス(ロシアのウクライナ侵攻や気候変動等に積極的に立ち向かう姿勢を見せた国連事務総長)
 〇M.モヒウデン(ブタからの心臓移植を行った米国の外科医)(二)
 ・A.ネルソン(米国科学技術政策局で指揮をとり、米政権の科学アジェンダの重要項目を立案)

(イ)北京大学の研究者。SARS-CoV-2の各種変異体による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発症から回復した人々の抗体を研究することにより、現在流行している変異の多くの元になる重要な変異を予測した。それにより、免疫を回避する変異についても評価することができるようになった。
(ロ)ナイジェリアのニジェールデルタ大学の感染症医。従来、サル痘は野生動物との接触により感染することが知られていたが、今回はサル痘症例が若・中年男性に集中しており、感染者家族には発症しない場合も多かった。このことから、男性間の性的接触によって感染したことが、サル痘(Mpox)が世界的に広まった原因であると初めて提唱し、その予防を呼びかけた。
(ハ)COVID-19により長期衰弱を患ったことから、同じ症状の仲間とともにこの状態に関する研究を自ら実施、多くの情報を集めてレポートを発行、米国NIHのCOVID-19研究プロジェクトの諮問委員会委員としても活躍し、患者の立場に立った研究を行うことを主張。研究資金の増額に貢献した。
(ニ)米国メリーランド大学医学部の外科医。先述のブタの心臓移植をチームの中心となって行った。

 以上だが、感じたことをいくつか。
 まずScience誌の重大ニュースとNature誌の重大ニュースには重複がほとんど見られていない。両者がともに挙げたものは宇宙望遠鏡JWSTの記事のみである。
 Science誌は米国系、Nature誌は英国系の雑誌であるが、ともに自然科学の基礎研究の成果を発表する雑誌である。本来、科学に国境はなく、科学的価値やインパクトの大きさについて客観的かつ真摯に検討すれば、ほとんど選ばれたものが同じになってもおかしくない。
 しかしそうでなかったということは、科学の世界での価値観も多様であり、異なる研究、ましてや分野の異なる研究を一律に評価することの難しさを表していると思われる。ノーベル賞でも下馬評と全く異なる人物が受賞することが結構あるが、それと同じなのかもしれない。

 その中で、ライフサイエンスのトピックは多くの割合を占めた。Science誌では10件中6件、Nature誌ではトピック・人物ともに10件中4件がライフサイエンス関係だった。
 ライフサイエンスの定義は「生物が営む生命現象の複雑かつ精緻なメカニズムを解明することで、その成果を医療・創薬の飛躍的な発展や、食料・環境問題の解決など、国民生活の向上及び国民経済の発展に大きく寄与するものとして注目を浴びている分野」(文部科学省ライフサイエンスの広場)であり、そもそも対象領域としては広いものである。それでも重要なトピックの多くがライフサイエンス関連ということは、ライフサイエンスという分野自体の重要性が高いと言える。

 なおNature誌のトピック4つのうち、新型コロナとサル痘以外の2つ(ブタの心臓移植、AIのタンパク質構造予測)は本ニューズレターで言及したもので、著者としてはある程度留飲を下げたものの、一方でScience誌の方はライフサイエンスのトピックが多かったにもかかわらず、全く当たらなかった。これを戒めとし、2023年は真に重要なトピックを厳選・紹介していけるようにできたらと思う。

(参考文献)
・D. Clery et. al. (2022) “Breakthrough of the year”, Science; Vol.378, 1161-1168
・A. Witze et.al. (2022) “Nature’s 10 Ten people who helped shape science in 2022”, Nature Vol.612, 611-625
・“Nature’s biggest news stories of 2022”, nature HP; 15 December 2022
https://www.nature.com/articles/d41586-022-04384-y

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔