第32回 mRNAワクチンを可能にした科学者にノーベル賞
2023年度のノーベル生理学・医学賞は、mRNAワクチンの基盤技術を開発した、米国ペンシルベニア大学の特任教授であるカタリン・カリコ(Katallin Kariko)博士と同大学教授のドリュー・ワイズマン(Drew Weissman)博士に与えられた。今回はその研究内容や背景、意義、今後の展望等について解説する。
まず基礎的な知識から。ヒトは細菌やウイルスのような病原体に感染すると、しばらくしてそれに対する抗体ができ、それが病原体に結合することで病原体を排除する。そのことは生体内に記憶され、次に同じ病原体に感染すると体内でその抗体がすばやく大量に産生されて病原体が入り口で排除される。
こうした免疫系の仕組みを利用してワクチンは作られる。つまり、ウイルスや細菌を不活化したもの(いわゆる死骸)や、弱毒化したもの、又は遺伝子操作技術等を用いて作製したその断片などをヒトに感染させる。
するとヒトは病気にならずにその病原体つまり抗原に対する抗体を作り、次の感染に備えることができるというわけである。このような、抗体を作らせるための不活化・弱毒化病原体やその断片などのことをワクチンと呼ぶ。
しかし、従来のワクチンにはいろいろ問題があった。
まず、作製までに時間がかかる。病原体を完全に不活化するとその表面の形が変わってしまい、効果のある抗体が作れない。かといって不活化が不十分だったり弱毒化したりしたものは元の生きた病原体に戻る可能性がある。
また病原体の一部を使おうとした場合、抗原として使える部分の解明や精製には大きな時間や労力を伴う。
さらに、既存のワクチンはニワトリの卵や細胞培養施設などで作る必要があるが、大規模な施設で長期間をかけて製造する必要がある。
こうした課題を克服したのがmRNAワクチンである。mRNAは、遺伝子の本体であるDNAから遺伝情報を写し取ったもので、それを基に、生体を構成するタンパク質が出来上がる。mRNAワクチンはこの働きを用いて、病原体の遺伝情報を持つmRNAを生体に直接投与し、体内でそれからタンパク質を生じさせ、それにより抗体を作らせるのである。
このようなmRNAは、わずか数日間で設計ができる。また、病原体全体ではなく一部を作るmRNAなので、それからできたタンパク質はあくまで病原体の一部で、それ自体が病原性を持つことはない。さらに、mRNAワクチンは、普通の実験室で、in vitro(試験管内)の系を使って大量に作り出すことができる。
こういうわけで、mRNAをワクチンに用いるというアイデアはかなり昔からあったのだが、一方、その実用化のためには問題があった。mRNAは一本鎖であり、二本鎖のDNAと違って非常に壊れやすく、扱いが難しかった。また、人為的に合成したmRNAを体内に入れると、人体はそれを異物と認識し、自然免疫のシステムが働いて炎症が起きて排除されてしまう。このためmRNAからタンパク質へ翻訳される効率も低かった。
こうした問題はなかなか克服しがたく、mRNAはやや非現実的なものとみなされていた。しかし、今回受賞した2人の科学者は、共同してそのような課題を解決するための重要な基盤技術を作り上げたのである。
彼らは、1990年代半ばからペンシルベニア大学で共同で研究を行ってきた。mRNAで薬を作る研究をしていたカリコ博士と、免疫学の専門家だったワイズマン博士は互いの不足部分を補い、うまくコラボし、mRNAの課題の一つである体内に入れたときに起きる炎症を防ぐためにどうすればよいか、あれこれ試行錯誤した。
そして2005年、mRNAを構成する文字(塩基+糖)の一つであるウリジンを、それによく似たシュードウリジンに置き換えたところ、自然免疫がほとんど活性化されず、炎症が起きないことを発見した。さらに2008年には、そのような置換を行ったmRNAを生体内に投与すると、タンパク質の生産量が大幅に増加することを見出したのである。
こうして、mRNAワクチンの基盤ができると、それを実際の疾患に対するワクチンづくりに利用するため、いくつかの企業が乗り出した。そのような中で、新型コロナ(COVID-19)が発生したのである。
このため、そうした企業はこの技術を新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンづくりに集中させた。そうして、BioNTech社と米国ファイザー社の「コミナティ」や、米国モデルナ社の「スパイクバックス」といった、新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンが、従来の技術からは信じられないほどの短期間で開発、実用化されたのである。
mRNAワクチンは、感染症に対するワクチン開発手法として定着したと言える。
インフルエンザウイルス等、毎年流行が変わるウイルスに対して、これまでは流行型をあらかじめ予測してワクチンを用意するしかなかったが、mRNAワクチンだと流行が始まってからでも、それに応じたワクチンを迅速に作ることができる。
新たな感染症が勃発した場合にも、mRNAのワクチンは迅速に対応できる最有力な手法となった。
さらに、前述のモデルナ社は、既にサル痘、ジカ、ニパウイルス、呼吸器合法体ウイルス(RSV)等に対するmRNAのワクチンの臨床試験を実施又は終了している。
一方、従来の手法では困難な病原体に対するワクチンを作れる可能性がある。
たとえば、サイトメガロウイルス(CMV)は、乳児に先天性欠損症を引き起こしたり、免疫系が低下している人に致死性の感染症を引き起こしたりすることで知られているが、これまで50年間の努力にもかかわらず、ワクチンはできていない。
CMVは5つのタンパク質のサブユニットからなる複合体を用いてヒトの細胞に出入りし、この部分が抗原になるが、各タンパク質を組み合わせてこの構成を模倣したワクチンを作るのは困難だった。
しかし、5つのタンパク質に対応する遺伝情報をもつmRNAワクチンをヒトに投与すると、CMVそのものが感染した時と同様に、細胞の中で5つのサブユニットが自動的に結びついて1つの抗原複合体が形成される。
現在、モデルナ社のCMVワクチンは第Ⅲ相の臨床試験中だが、野生型のウイルスと比較してもより強力な免疫反応が起きることが示唆されている。
mRNAの可能性は感染症だけではない。その大きなターゲットとしてがんがある。
研究者らは従来、がんに特有の抗原を模したワクチンを模索してきたが、これまでの臨床試験では成功に至っていない。というのはがん細胞は体内で急速に変異するため、せっかく作ったワクチンが効かなくなるのである。
しかし、がん細胞上の数十の抗原に対応するmRNAワクチンを同時に投与すれば、たとえがん細胞が変異しても、その全てに対する免疫による攻撃を回避できないと思われる。
こうした考え方により、新たながんワクチンの臨床試験が進行中である。
さらに、mRNAの欠点は、前述のように壊れやすいということだが、この性質を逆手に取ることができるかもしれない。
CRISPR/Cas9等のゲノム編集ツールについては、それを構成するDNA切断酵素が長く細胞内にとどまると、意図しない編集が行われてしまう。
細胞内にこの酵素をmRNAの形で導入して細胞内で酵素を作ってやれば、mRNAの消滅とともに酵素も作られなくなる。
ワイズマン博士が共同設立したキャプスタン・セラピューティクス社等は、免疫を強化する目的でmRNAを免疫細胞に導入しているが、mRNAから誘発されるタンパク質の量は、効率的なゲノム編集や再プログラミングを可能にするのにちょうど十分な量にするように調整している。
さらに、mRNAを体内の望ましい場所で働かせる方法も工夫されつつあり、これらは多くの新薬の開発につながると思われる。
以上、mRNAを体内に直接導入することができるようになったおかげで、医療分野に大きなイノベーションがもたらされるとともに、人類に大きな恩恵がもたらされることになった。
今回、両氏の業績にノーベル賞が与えられたのはまさしく時宜に適ったものと言えるだろう。
(参考文献)
・“They contributed to an unprecedented rate of vaccine development”, The official website of the Nobel Prize – NobelPrize. org.(2023/10/2)
(https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/2023/press-release/)
・E. Dolgin & H. Redford “mRNA COVID vaccines saved lives and won a Nobel ―what’s next for the technology?”, Nature (2023/10/3)
(https://www.nature.com/articles/d41586-023-03119-x)
・菊池結貴子「ノーベル生理学・医学賞、2023年の受賞者はmRNA医薬のKariko氏とWeissman氏」日経バイオテク(2023/10/3)
(https://news.yahoo.co.jp/articles/abbb171c1cbf378b4a83f424201589cd05457cf9)
・出村政杉「2023ノーベル生理学・医学賞:COVID-19に対するmRNAワクチンの開発を可能にした2氏に」(2023/10/2)
(https://www.nikkei-science.com/?p=71013)
ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔