第85回 ヒトゲノム編集ベビーの作出を目指す企業が出現

1.はじめに

 米国において、ヒト胚のゲノム編集を行い、赤ん坊の作出を目指す企業が出現した。しかし、技術面、倫理面等からさまざまな物議を醸している。今回はその経緯や背景、問題点等について分析・考察を行う。

2.ヒト胚のゲノム編集治療を巡る背景

(1)生殖細胞以外のゲノム編集治療の進展

 ゲノム編集を用いたヒトの治療は、全般的には着実に進展している。

 世界で初めてゲノム編集治療が承認されたのは、2023年、英国においてである(第35回 ゲノム編集を用いた遺伝子治療が進展)。これは、CRISPR/Cas9を用いて鎌状赤血球症やβサラセミアといった血液疾患を治療するものだった。また米国において、家族性コレステロール血症の患者に対する臨床試験の結果が公表された
 今年5月には、米国において、ゲノム編集の一種であるプライム編集技術を用いて、慢性肉芽腫症(CGD)の臨床試験が行われたことが公表された(第73回 プライム編集による初の臨床試験が行われる)。
 また、同じく今年5月には、高アンモニア血症という代謝疾患を起こす重い遺伝病の乳児に、やはりゲノム編集の一種である塩基編集技術を用いた治療が行われたことが公表された。

 こうして、ゲノム編集を用いた治療は着実に進展してきていると言える。ただし、これらはヒトの血液中の幹細胞を取り出してそれにゲノム編集を施し、それを人体に戻すというものであり、ヒト生殖細胞、つまり精子、卵子、受精卵、胚そのものにゲノム編集を行ったわけではなかった。

(2)賀氏らによるゲノム編集ベビーの誕生

 一方、ヒト生殖細胞に対するゲノム編集については、正規の過程を経て承認されたものはないが、かつて中国で無許可で行われたものが一大センセーションを巻き起こした。

 2018年11月、中国の南方科技大学の副教授だった賀建奎(フー・ジェンクイ)氏らが、ゲノム編集を施した受精卵から赤ちゃんを誕生させたことが報道された。彼らは、HIVに感染歴のある父親の精子を体外受精させてできた受精卵に、ゲノム編集技術を用いてHIVに感染できなくする変異を与えた。彼らはそれを母親の子宮に戻し、双子の女児を誕生させた。さらに彼らは、翌2019年には同じ方法を用いて3人目の赤ちゃんも誕生させた。

(3)その後の反響

 しかし、このゲノム編集ベビーを巡って、国内外から大きな批判が起きた。中国政府は同氏を自宅に軟禁後、起訴した。そして2019年末、同大学のある深圳市の裁判所は同氏に3年間の禁固刑と罰金300人民元の有罪判決を下した。
 国際的にも生殖細胞系のゲノム編集による臨床利用に対するモラトリアムが求められ、現在はそのような利用は世界全域で法的又は実質的に禁止されている(第3回 遺伝子編集ベビーのその後)。

3.ヒト胚のゲノム編集を行う企業の出現

 ところが、最近になって、米国に、ゲノム編集を行ったベビーの誕生を目指す企業が出現した。マンハッタン・ゲノミクス社とプリベンティブ社である。

(1)マンハッタン・ゲノミクス社

 マンハッタン・ゲノミクス社は、米国ニューヨークに拠点を置くスタートアップ企業である。同社の目的は、遺伝子疾患を予防するために、ヒト胚のゲノムを改変することである。

 同社を設立したのは、C. タイという女性だ。彼女は18歳で大学を中退し、ゲノミクス検査サービス企業であるラノミクス社を創設した。彼女はそれから10年余りの間に複数の企業を創設し、今年の初めには、胚のゲノム編集による光るウサギ等のペットづくりを目指すロサンジェルス・プロジェクト社を創設した(同社はその後エンブリオ・コーポレーションに社名変更)。
 なおこの間、彼女は一時、上記2.(2)の賀氏とも親密な関係にあったとのことだが、その後関係を解消したとのこと。

図 C. タイ氏 (WIRED HPより)

 そして本年夏、彼女が満を持して創設したのがこのマンハッタン・ゲノミクス社である。彼女は、絶滅種の復活に取り組む企業であるコロッサル・バイオサイエンシズ社の生物学部門の責任者をしていたE. ヒソリ氏とともに、同社を設立した。

 タイ氏はこの事業を、かつて1940年代に米国が原子爆弾開発計画に用いた名称を模して、「マンハッタン計画」と呼ぶこともある。ただし秘密裡に進められたかのマンハッタン計画と異なり、事業の情報は公開し、透明ある運営を目指すとのこと。

 同社はゲノム編集ベビーの作製に着手する前に、広範な研究と安全性試験を実施することにしている。そのため同社は、科学的貢献者(scientific contributors)と呼ばれるコンサルタントを採用した。その中には、著名な体外受精専門の医師、先述コロッサル・バイオサイエンシズ社のデータサイエンティスト、霊長類研究を行う研究者、3人のDNAを組み合わせて胚を作る技術を開発した研究者などが含まれている。

(2)プリベンティブ社

 一方、本年10月、マンハッタン・ゲノミクス社と時を同じくして、米国サンフランシスコにスタートアップ企業であるプリベンティブ社が設立された。同社を設立したのは、ゲノム編集を行う遺伝学者のL. ハリントン氏だった。

 同社の目的もマンハッタン・ゲノミクス社と同様、遺伝性ゲノム編集の研究、すなわち有害な変異を修正したり、有益な遺伝子を導入したりすることで胚のDNAを改変することにより、疾患を予防するというものである。同社はそのための資金として3,000万ドルを確保したとのこと。

 同社も技術の実用化を急ぐのではなく、遺伝性ゲノム研究が安全かつ責任をもって実施可能かどうかを厳密に研究することに専念するとしている。ただし、実際に胚の編集を行うことになれば、それに係る費用は約5,000ドルと見積っている。

4.その活動の問題点と企業側の対応

 遺伝子編集により、胚から病気を引き起こす変異を取り除けば、先々の世代もその変異に悩まされることがなくなる。理論的には、わずかな遺伝的改編でも、心疾患やアルツハイマー病にかからない人々を創り出し、そうした形質を子孫に引き継がせることが可能になる。

 しかし、胚の遺伝子編集には、さまざまな技術的、法的、倫理的な問題点を伴う。

 まず、技術的問題点としては、導入した遺伝子が思うように働かなかったり、働きすぎたり、別の現象を引き起こしたりする可能性もある。このため、基本的には、疾病の原因となる変異がよく分かっている遺伝子を、正常な遺伝子に修正するゲノム編集を施すことになる。両社では、対象となる疾患として、ハンチントン病、嚢胞性線維症、鎌状赤血球症等、単一の遺伝子変異によって生じる単一遺伝子疾患を想定している。
 また、ゲノム編集技術には、「オフターゲット効果」つまり目的と異なる場所に作用することにより、影響が生じる恐れがある。たとえば、誤って別の遺伝を編集してしまえば、それががんの原因となる可能性がある。そして、そうした誤りも次の世代に受け継がれてしまう。このため両社は前述のようにゲノム編集ベビーの作製に着手する前に、マウスから始め、その後サルに進む等、十分研究や安全性試験を行うとしている。
 ただ、仮に胚編集の安全性が実証されたとしても、重篤な遺伝性疾患を防ぐという観点からは、その活用は限られるかもしれない。なぜなら、遺伝的に受け継がれる変異の大半は、胚編集ではなく、体外受精で用いられる着床前遺伝子診断を行うことにより、スクリーニングが可能である。つまり体外で培養した初期胚の一部を取り出して遺伝子を調べることで、生まれてくる子が遺伝子疾患を持つかどうかを判断できるのである。両親から受け継いだ2つの遺伝子がともに正常であるものを選択すればよいだけのことである。胚編集までしなければならないのは、どちらかの親が両方の遺伝子に変異を持ち、しかも変異が優性に遺伝する場合に限られることになる。

 次に、法的には、前述のように生殖細胞系のゲノム編集による臨床利用は禁止されている国が多いが、特に米国では食品医薬品局(FDA)が、妊娠を目的に意図的に改変されたヒト胚を用いる試験の承認を禁じている。これに対し両社は、まだまだ初期の段階にあり、今後FDAと連携しつつ準備を進めていくとしている。今後の規制動向が注目される。

 最後に、倫理的な問題としては、疾病の治療という本来の目的を超えて、機能増強、すなわち親の望む優れた特性を持つデザイナーベイビーの誕生を、現実のものにしかねないことである。これは優生思想への懸念を呼び起こす。
 前述のようにマンハッタン・ゲノミクス社もプリベンティブ社も、設立の目的は疾患の原因の修正であって能力の強化ではないと断言しており、両社の情報公開の姿勢もその方向の表れだろう。ただ、疾患の原因の修正というのが捉え方によっては拡大解釈される可能性もあり、概念をより明確化することが望まれる。

5.おわりに

 以下、著者自身の考えである。ちょっと偏向していることをお許しいただきたい。

 ヒト胚のゲノム編集は、疾病の克服というなら、一つの利用目的にはなりうると思う。ただ、疾病にも範囲がある。希少疾患なら、ならないに越したことはない。がんにならないようにするのも、理解できる。アルツハイマー病などもそうだろう。高血圧や高コレステロールだとどうか。著者はいずれも高いのだが、それで生活に支障をきたすかというと、そうではない。低身長の場合は? 疾病としての低身長というのはあるが、普通よりかなり低いというのは、疾病に分類できるだろうか? わざわざそのために胚の編集をする正当性はあるだろうか?

 もっと大きな問題がある。全ての人が老化し死んでいくのだが、将来、もし老化を防ぐ遺伝子や遺伝子変異が発見されたとしたらどうだろうか。自然の老化を疾病と呼ぶかどうかは分からないが、もし叶うなら、自分自身のゲノム編集を行うことにより、不老の体を得ようとする人々は多く、ほとんどの人々は最終的にはそれを目指すだろう。その場合、貧富の差により治療を受けられる者と受けられない者が出てくる可能性がある。また付随して、人口問題、食糧問題、資源・エネルギー問題等、議論は政治・社会の分野に移行するかもしれない。何とか生きている者の老化防止を図るため、結構、建設的な議論が行われる可能性もある。
 ただし、これは胚の編集であることに注意が必要であり、編集された胚により新たに作られるヒトやその子孫は不老に加えて不死になる可能性があるが、現在の人類は死んでいくわけである(ゲノム編集した血液幹細胞の注入で同等の効果が得られれば別であるが)。
 まさに世代間の分断、いや、現人類と新たな人類の分断が起きてしまうかもしれない。そうした想定も考慮した上でも、将来の人類を幸せにするために胚のゲノム編集を行うことに同意する人々がどれだけいるだろうか?

 ヒト胚編集の実用化が現実的になりつつある今、思考実験は大いに進めていくべきだと思う。

参考文献

・H Ledfold (2025) “‘Biotech Barbie’ says the time has come to consider CRISPR babies. Do scientists agree?”, Nature; Vol.647, 295-297

・A. Regalado「遺伝子編集ベビー研究に3000万ドル、タブーに挑む米新興企業が始動」(2025/11/6)MIT Technology Review HP
https://www.technologyreview.jp/s/371810/heres-the-latest-company-planning-for-gene-edited-babies/

・E. Mullin「遺伝性疾患のない未来を掲げるスタートアップ登場-胚編集を巡る議論が再燃」(2025/11/7)WIRED HP
https://wired.jp/article/startup-edit-human-embryos-manhattan-genomics-cathy-tie/