第12回 現在の中国におけるライフサイエンス研究3~ヒト受精卵からのヒトの誕生その1~

 今回と次回は、2018年末に世界に衝撃を与えた、ゲノム編集ベビーについて紹介したい。なお、中国では本件の賀博士に対し2019年末、3年間の実刑と罰金判決を下しており、詳細は本ニュースレター記事の「遺伝子編集ベビーのその後」に詳しい。

1. ゲノム編集ベビーの誕生

(1)事実関係

 2018年11月25日、広東省深圳市にある南方科技大学の賀建奎・准教授により、ゲノム編集をした受精卵から赤ちゃんを誕生させる臨床研究が実施されているという記事が、MITテクノロジー誌に掲載された。そして翌11月26日には、AP通信が賀博士への独占インタビューをもとに、既に数週間前に双子が誕生した(ルルとナナと命名)旨の詳細なスクープ記事を報じた。また、賀博士が語る動画もインターネット上で公開された。

 同研究は、エイズウィルス(HIV)への感染防止を目的とした遺伝子改変だった。方法は2016年に実施された広州医科大学の例と同様に、CCR5と呼ばれる遺伝子(HIVが細胞に入るのを助けるタンパク質をコード)に変異をもたらすことで、細胞をHIV感染から保護しようとするものだった。

 同博士は2016年6月、生殖を目的としてヒト胚の遺伝子を編集するプロジェクトを立ち上げ、同博士のチームは2017年3月から、エイズ患者の支援団体を介し、夫だけがHIVに感染した夫婦を募集した。そうして集められた不妊治療中の7組のカップルについて、受精卵31個にゲノム編集を施した。実験の結果、7割で改変に成功、そのうち1組から双子が誕生したとのことだった。

 賀博士によると、生まれた双子のうち、1人は相同染色体上にあるCCR5遺伝子の両方のコピーが取り除かれており、HIVに耐性だが、もう1人はCCR5のコピーの一つが除去されていなかったとのこと。(このためその子には依然としてHIV感染の可能性は残っている。)また、双子から採取された細胞にHIVが感染できるか否かはまだ試験を行っていないとのことであった。

(2)賀博士の考え

 賀博士は、米国テキサス州のLice大学で、細胞防御機構としてのCRISPRの進化についての論文を発表し、博士号を取得した。その後、中国政府の人材政策である千人計画に選抜され、南方科技大学の准教授に就いた。

 AP通信によると、賀博士は「これが世界初となるだけでなく前例となることに、強い責任を感じている。」と語っており、また新華社通信によると、賀氏は世界初という「個人的な名声」を得ることを望んでいた。

 賀博士自身は、自分の中でゲノム編集を容認できる場合とそうでない場合に一定の線引きをしており、「胚でのゲノム編集の利用については、病気に関連する場合にのみ容認するが、知能を高めたり、髪の毛や目の色などの形質を選択するための遺伝的調整は禁止すべき。」と述べており、エンハンスメント(機能増強)でなく、病気の治療ならよいという考え方であった。

 なお、父親がHIV陽性で赤ちゃんへの感染を回避する方法として体外受精があり、それにより子への感染リスクはほぼゼロにできる。このため、両親からの感染防止のためにわざわざゲノム編集まで行う必要はない。実際、賀氏はAPからのインタビューに、中国でのHIV陽性の人々に対するさまざまな差別を指摘し、「自分の目標は人生の後半(つまり生まれた後)に起こりうる感染から赤ちゃんを守ることである」と語っている。

2. 発表後の対応

(1)国際サミットでの対応

 AP通信が賀博士への独占インタビューを実施した直後の11月27~29日、香港で「ヒトのゲノム編集に関する第2回国際サミット」が開催された。賀博士は2日目の28日に登壇、スライドでデータを示しつつ研究成果を発表した。同発表において、2人目の女性がゲノム編集された赤ん坊を妊娠していることも表明した。その後、Nature誌の記事(2019/2/28)では、2019年8月に3人目の赤ん坊が生まれることが予定されていると記載した。

 同サミットの最後に、8か国からの代表からなる同サミット組織委員会は「賀博士の実験は無責任であり、国際規範に違反し、倫理基準を満たさなかった。また十分な医学的正当性を持たず、透明性を欠いた。」とする見解を出した。なお同見解では生殖細胞系列の編集が極めて危険な旨表明したものの、厳重なモラトリアムを要請はせず、かかる臨床試験の実現に向けた厳格な責任ある行程を要求しただけだったため、一部参加者の失望を誘った。

(2)所属する南方科技大学

 賀博士の所属する南方科技大学は、「事前に報告を受けておらず、衝撃を受けた」として、「研究倫理及び研究規制に対する重大な違反の可能性がある」ことから、独立した調査委員会を設置すると発表した。

 また賀博士が同臨床研究について承認を得て登録・実施したという病院は11月27日になって、そのような承認はしていない旨発表した。同病院では本件に関し医療倫理委員会が開催されていないにもかかわらず承認フォームに署名がなされていたことから、同病院自体も調査対象になった。

 賀博士は約半年前の2018年2月から、準教授の職にある南方科技大を無給休職していたが、ゲノム編集ベビー誕生公表後の2018年11月以来、移動を制限され、大学のキャンパス内の彼のアパートの外には警備員が張り付いている状態になった。そして1月21日、同大学は、準教授としての賀博士との契約を取り消し、研究・教育活動を終わらせたと発表した。

(3)中国国内の研究者の対応

 中国国内では公表直後に、100人以上の生物医学研究者らが、賀氏の主張を強く非難する旨の声明をオンラインで発表し、中国当局にもこの事件を調査し、厳格な規制を導入するよう求めた。さらに、「生物医学研究の分野において、国際的な評判と中国の科学の発展にとって大きな打撃だ」であり、また、「倫理的限界を遵守しながら研究と革新を追求している中国の大多数の勤勉で良心的な研究者にとって極めて不公平である」との見解も表明している。

 中国の最有力研究機関である中国科学院は、賀博士の研究を非難する声明を発表した。また、中国遺伝学会と中国幹細胞研究学会は共同で、この実験は「ヒトの実験と人権法を規制する国際的に認められた倫理原則に違反する」との声明を出し、中国細胞生物学会は同研究を「中国政府の法規制や科学界のコンセンサスに対する重大な違反」であると批判した。

(4)中国政府の対応

 中国政府(国家健康衛生委員会)も事態を深刻に見て、11月26日には南方科技大学がある広東省の衛生委員会に調査を依頼し、さらに11月29日、賀博士に研究の中止を求めた。

 12月17日、中国政府の中国臨床試験登録センターは、賀氏がそれまでに同センターに同臨床試験のデータを提出しておらず、政府の規則違反であることを明らかにした。中国の研究者は一定の条件を満たす臨床試験について同センターへの申請が必要とされ、同センターは申請のあったものについて、科学性・安全性を審査している。同センターによると、賀博士に対し、試験データの提出を求めるとともに、被験者の同意状況についても問い合わせたが、同センターが期限を設けた11月下旬までに回答はなかった。

 2019年1月21日、国家健康衛生委員会の依頼で調査を行っていた広東省衛生委員会は、新華社通信のインタビューに答える形で、予備調査結果を明らかにし、賀博士は「意図的に監督を回避し、資金を調達し、関連する規制により明示的に禁止されている生殖を意図したヒト胚遺伝子編集を実行するために研究者を自ら組織した」と結論づけた。それを受け、国家健康衛生委員会は「本件は国内の法律・規制及び倫理的ガイドラインに対する重大な違反である」旨の意見を表明した。

 次回は、本件に対する世界の反響などについて述べる。

参考資料

○A. Regalado “Exclusive: Chinese scientists are creating CRISPR babies” MIT Technology Review, Nov. 25, 2018(https://www.technologyreview.com/2018/11/25/138962/exclusive-chinese-scientists-are-creating-crispr-babies/
○M. Marchione “First gene-edited babies claimed in China”, AP Exclusive, November 26, 2018(https://apnews.com/article/61291010ca0a4204855c46089ed1d0dd
○J. Choen (2018) “What now for human genome editing?”, Nature; Vol.362, 1090-1092
○D.Cyranoski (2018) “CRISPR-baby scientist fails to satisfy his critics”, Nature; Vol.564, 13-14
○D. Cyranoski (2019) “What’s next for CRISPR babies?”, Nature Vol.566, 440-442
○D. Normile (2019) “Government report blasts creator of CRISPR twins”, Science; Vol.363, 328
○M. Weisberger “Chinese Scientist Who Claimed to Edit Babies’ Genes May Be Under House Arrest”, Livescience; July 2. 2020 (update) (https://www.livescience.com/64412-crispr-babies-scientist-sighted.html)

ライフサイエンス振興財団理事長 林 幸秀
ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔