第16回 鳥インフルエンザによるパンデミックの可能性について

 日本国内では最近、鳥インフルエンザが猛威を振るっている。感染した鶏がいる養鶏場では大量に鶏の殺処分が行われ、鶏卵の価格も上昇している。だが、これが鳥だけでなく、哺乳類、さらにヒトにまで感染するようになったらどうなるだろうか。

 最近、スペインの飼育施設で多くのミンク(イタチ科の小動物)が鳥インフルエンザウイルスに感染したことが判り、これによりパンデミックにつながるのではとの懸念が生じている、との記事がNature誌とScience誌に掲載された。今回はこのことについて紹介し、研究のあり方も含めた考察を行いたい。

H5N1の新たな亜種は飼育されているミンクの中で広まった。Nature誌より引用

 昨年10月、スペイン北西部ガリシア州の大きな飼育施設で、ミンクが次々に死に始めた。ミンクは哺乳類なので、通常は鳥インフルエンザには感染しない。このため獣医師は当初、他のミンク飼育施設を襲った新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が原因ではないかと考えた。
 しかし検査をすると、原因はSARS-CoV-2ではなく、H5N1という高病原性の鳥インフルエンザウイルスの新たな亜種であることがわかった。当局はただちに、農場の労働者を検疫・監視下に置いた。そして同施設の5万匹以上のミンクが殺処分された。
 実際にはミンクと接触した11人の農場労働者は、一人もこのH5N1ウイルスに感染していなかった。しかし、哺乳類であるミンクに感染したことにより、同ウイルスが人間にパンデミックを起こす可能性があると懸念されたのである。

 鳥インフルエンザウイルスについて簡単に説明する。インフルエンザウイルスは抗原性の違いによりA型、B型、C型に分類される。そのうちA型ウイルスが鳥類に感染して起こる感染症は、鳥インフルエンザウイルスと呼ばれる。その中には家禽類に感染して強い毒性を示すものがあり、高病原性鳥インフルエンザと呼ばれる。
 インフルエンザウイルスの特徴は、表面抗原によって決まる。A型の場合、16種類のヘマグルチニン(HA)と9種類のノイラミダーゼ(NA)の2種の抗原の組合せによりウイルスの特徴が決定される。各抗原中にも小さな変異があるため、その種類は実に多様になる。
 H5N1鳥インフルエンザウイルスは通常、ヒトを含む哺乳類には感染しない。なぜなら哺乳類の感染受容体と鳥の感染受容体は、構造が異なっているからである。またヒトからヒトへの感染もしないと推測されている。ただ、まれに家禽に接触したヒトに感染することもあり、その場合、なんと致死率は50%以上になるとされている。

 さて、この鳥インフルエンザウイルスは、過去1年の間に、感染した鳥との接触により、アライグマ、キツネ、ネコ、アザラシ、イルカ、ハイイログマ等、多くの野生の哺乳類が感染していることが分かってきた。そして、ヒトも6人が感染し、うち1人が死亡したことも明らかになっている。インフルエンザウイルスの哺乳類への感染の大部分は、鳥を捕食することにより感染したものであり、そのような感染の場合、通常は感染個体から別の個体への感染は起こらない。
 しかし、スペインで見つかったウイルス亜種では場合、明らかにミンク個体間での感染が起きている。ただし、同ウイルス亜種がどれほど容易にヒトに感染するか、またヒトの間で広がるかは不明である。

 ミンクから採取された4つの試料からこのウイルス亜種の塩基配列を決定したところ、野生型の鳥インフルエンザウイルスと比較して、酵素ポリメラーゼの遺伝子の変異(T271A:271番目のアミノ酸がトレオニンからアラニンに変化)を含むいくつかの変異が生じていた。T271Aは、同ウイルスに感染した他の哺乳類の試料にも見られ、H5N1が哺乳類の組織で複製するのを助けている。ただ、ポリメラーゼの最も懸念される変異であるE627K(627番目のアミノ酸がグルタミン酸からリシ変化)は出現していなかった。もし当該変異が起これば、細胞内でのウイルス複製能力が顕著に高められていたところだった。また、受容体に結合するHAの遺伝子は変化していなかった。これは不幸中の幸いだったと思われる。

 今回、ミンクの殺処分が行われたことで、とりあえず広がりは抑えられた格好になっている。ただ、同ウイルス亜種にはカモメのインフルエンザの遺伝子が含まれており、ミンクに感染する前にカモメで発生し、変異を持ったウイルスが既に鳥で蔓延している可能性がある。そして、そのような変異では、今後もミンクに容易に感染し、ミンク自体が変異原・感染源となる懸念がある。ミンク飼育場ではミンクは集団生活をしており、一匹が感染すると蔓延する可能性は高い。そうしてそれがヒトにも感染すると、高い確率で死亡する可能性があるのである。

 高病原性鳥インフルエンザウイルスの哺乳類への感染性獲得、さらにヒトへの感染性獲得については、これまでも指摘はなされてはいたものの、現実的な問題となってはいなかった。しかし今回のことで、それが顕在化したのである。
 世界は新型コロナウイルスの蔓延を経験したことで、パンデミックがいかに大きな影響をもたらすか、人々の認識も変化した。次なるパンデミックにも備え、各種の研究を進めていく必要があると思われる。

 なお忘れてはならないのが、このような鳥インフルエンザに関する研究は重要ではあるが、一方でリスクを伴うということである。

 今からおよそ10年前のことである。東京大学の河岡義裕教授(米国ウィスコンシン大学マディソン校教授を兼任)のグループと、オランダのエラスムス医療センターのフーシェ博士のグループは、それぞれ異なる方法で、H5N1鳥インフルエンザウイルスを人工的に改変し、哺乳動物のフェレット(やはりイタチ科の小動物)に感染性を持たせることに成功した。しかしその結果を発表しようとしたところ、生物兵器への利用の可能性が指摘され、大きな問題となった。このように、軍事研究にも関係するような研究をデュアル・ユース研究と言う。また、たとえ積極的に軍事利用しなくても、それらが盗取されたり事故で漏洩したりすることでパンデミックにつながる可能性もある。

 これに関し、日本や米国でも検討が行われたほか、WHOでも国際的な検討が行われ、その間は世界的にこうした危険なウイルス研究の自粛措置が取られた。ただその後、研究成果は発表されるとともに、手続きの厳格化等の措置を行った上で、研究自体は継続されていると思われる。

 当時と異なり、インフルエンザに関してはタミフル等の治療薬が開発されてきており、新たに出現するタイプにも効果のある可能性は高い。また新型コロナの経験も踏まえ、RNAワクチン等の迅速な開発も期待される。このためパンデミックにはならず未然に防止される可能性もある。しかし、あらかじめ変異の可能性を調べ、対応した措置を検討することは必要であろう。ただそのためには、安全面やセキュリティ面にも十分配慮しつつ行っていくことが肝要だと思われる。

(参考文献)

・K. Kupferschmidt (2023), “Bird flu spread between mink is a ‘warning bell’”, Science; Vol.379, 316
・S. M. Sidik (2023), “Bird flu outbreak in mink sparks concern about spread in people”, Nature; Vol.614, 316
・佐藤真輔 (2013)「哺乳類感染性鳥インフルエンザウイルス作製研究の適切な進め方についての考察」生命倫理; Vol.23, 159-167

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔