第13回 現在の中国におけるライフサイエンス研究4~ヒト受精卵からのヒトの誕生その2~

 前回に続き、中国人研究者・賀博士によるゲノム編集ベビー誕生公表後の反応を取り上げる。

1. 国内外の研究者の反応

 賀博士による遺伝子編集ベビー誕生のニュースは、世界の研究者からだけではなく、中国国内の研究者からも批判の嵐に晒された。特に目立ったのは、父親がHIV陽性でも赤ちゃんへの感染を回避する方法は体外受精等で可能なため今回のゲノム編集は誕生後の感染の予防のみが目的ということになるが、多くの専門家が「医学的に正当でない」としたことである。

 以下、内外の専門家等による本研究に対するコメントを各記事から抽出した。

・「ゲノム編集技術に関して最も心配なのは、社会の反発を引き起こすような応用だ。」(米国California大学Berkeley校Daudna博士、まだ本件が報じられていない2018年7月段階でのコメント)

・HIVに感染した女性は、赤ちゃんが感染するのを避けるために帝王切開で出産すればよい。(北海道大学 石井博士)

・胚のゲノムとの交雑が害を及ぼすことがないことを証明するために長年の研究が必要。立法化や公開討議をあらかじめ行うべきである。(London大学Harper博士)

・CRISPRのエラー率はマウスやヒト培養細胞ではかなり分かっているが、ヒトの卵母細胞や胚での編集率はあまり分かっていない。(英国Bath大学Perry博士)

・胚の遺伝子を編集するという考えは倫理的でない。(米国アレルギー感染症研究所Fauci博士)

・CCR5は、ヒトが西ナイルウィルスその他の様々な感染を防御するのに役立ち、それが無効になった場合、その女の子は感染に対し脆弱になる可能性がある。(Cyranoski博士)

・胚のCCR5遺伝子を標的にするのは疑問。HIVのいくつかの株は細胞に侵入する際にCCR5タンパク質を使わず、CXCR4と呼ばれる別のタンパク質を用いる。CCR5陰性でも、CXCR4株に感染する可能性があり、HIVに対して完全に耐性ではない。(米国South California大学Cannon博士)

・賀博士の実験は無責任であり、透明性が欠如。科学界による自主規制の失敗だった。(サミット組織委員会委員長Baltimore博士)

・賀博士の行為により、遺伝子編集ベビーの責任ある開発を遅らせるおそれが高まる。(Daley博士)

・親しい知人たちからだけでなく、科学コミュニティ全体からのフィードバックが必要だった。他の研究者が自分でこれらデータを分析できるように、できるだけ早くBioRxiv等のウェブサイトに賀博士の実験データを投稿した方がいい。(米国Stanford大学Porteus博士)

・賀博士の事件により、科学とその管理に関する世界的な協力が進むことを期待する。(カナダMcGill大学Kimmelman博士)

・状況によっては遺伝子編集によってのみ避けられる疾病として、ハンチントン病やTay-Sachs病がある。(Harvard大学Daley博士)

・両親がともに、相同染色体に病気の突然変異を持っている時は、遺伝子編集が不妊医療の成功を確実にする唯一の方法かもしれない。(北海道大学 石井博士)

2. 本件は防げなかったのか

 本件に関しては、報道があるまで、賀博士の改変胚の移植について知っていた人はほとんどいなかった。また南方科技大学は、同研究が行われた場所は同大学の研究室ではなく、家族のプライバシーを保護するために関与する病院は開示しなかった。

 実は、賀博士の研究をあらかじめ知っていたものが何人かいた。特に、賀博士の元アドバイザーで、賀博士の実験を説明した未公表の論文の上席著者だと言われている米国Lice大学の生物物理学者Deem博士は、なぜ同博士の暴走を防げなかったのかについて批判を受けた。Deem博士の弁護団は、同博士が賀博士の論文に時々コメントしていたのは認めているが、Deem博士自身はヒトを用いた研究はしておらず、特に本件には関わっていないと主張した。

 また賀博士は、Stanford大学の3人の研究者やMassachusetts大学医学部のノーベル賞受賞者であるMello博士に、自身の研究を話したと述べた。これに対し、彼らのほとんどは賀博士が研究を慎重に進めることを忠告したと主張したが、米国Yale大学のKofler博士は彼らがもっと積極的に行動すべきだったと主張した。カナダMcGill大学Kimmelman博士も、「沈黙していることは共犯と同じであり、大きな失敗があって初めて認識される」と述べた。

 なお、Wisconsin大学で生命倫理を専攻するChao博士によると、もし同研究が米国で行われていたら、科学者なら政府の関連部局に連絡しただろうが、外国で行われているとその国の規制に精通していない可能性があり、特に中国にはさまざまな価値観や不透明な規制があるため、積極的な行動は難しかったかもしれないと述べている。

3. ゲノム編集により寿命が短くなる可能性

 Nature Medicine誌(2019/6/3)は、ゲノム編集ベビーがCCR5遺伝子の改変を行ったことにより寿命が短くなる可能性があるとした研究を発表した。英国のバイオ研究プロジェクトに参加している41万人の遺伝・健康データの分析によると、CCR5遺伝子が2つとも変異を起こし機能を失ったた人は、1つだけ変異を起こした人より76歳以下で死亡する確率が21%増加するとのことであった。

 CCR5は前述のように、HIVが免疫細胞に侵入するのを助ける働きがあり、それが変異を起こすことによりHIVの侵入は止められるが、一方でインフルエンザや西ナイルウィルスに感染しやすくなるという弊害もある。マウスではCCR5の機能を阻害することにより、脳卒中からの回復を早くさせたり、記憶力や学習能力の向上に寄与するという実験結果もあるが、このように本来働いている遺伝子を無効にすることは車のブレーキを外すことと同じで思わぬ弊害が生じるとする可能性もある。
 英国人ではCCR5遺伝子の変異の割合は11%と高いが、中国人では変異はほとんどない。これは同国では同遺伝子がアジア地域に特有の感染症の予防等、ヒトの生存にとって重要な役割を果たしている可能性も高く、より慎重に考えていく必要があったと考えられる。

 現在はたとえHIVに感染したとしても治療により老齢まで生きることが可能になっており、わざわざゲノム編集を行って別のリスクを増やす必要はないという専門家もいる。

4. 遺伝子編集ベビーの今後

 賀博士のチームは双子の健康を長期追跡していく計画があるとのことだったが、賀博士は誰にそれを提供してもらうか等詳細については言及していなかった。一方、中国政府は遺伝子編集ベビーの双子を医学的な観察下におくとしていたが、2023年時点でも健康状態についての言及はない。

 賀博士の実験は、基本的に第三者による裏付けがされておらず、また、他の専門家が査読する学術ジャーナルでの論文発表もしなかった。本件に関し、Nature誌は2019年最初の号で、今年の科学技術の展望についての記事の中で本件にも言及し、まずは双子でゲノム編集が本当になされたか否かの確認から始まるとした。さらに、2019年2月28日付のNatureの記事でも、「生物物理学者が実際に少女の遺伝子を修正することに成功したという明白な証拠はまだない」とした。

 なお、中国国内ではHIVの感染者数が急増しており、特に大学生の間でここ数年、毎年30~50%の割合で増加を続けていることが分かった。増加の原因は、HIVについて正確な知識なしに性交渉を行ったことによるものである。この傾向が続くと今後、HIV感染者の親からの子への感染の問題もいっそう深刻になる可能性がある。

 ゲノム編集ベビーの誕生を受けて、世界各国や国際機関において、それぞれの立場から検討が行われた。特にWHOでは2018年末、ヒトゲノム編集に関する科学的、倫理的、社会的、 法的課題等について検討するための委員会が設置された。同委員会において、ゲノム編集を用いた研究の登録サイト(レジストリー)の構築を含め、重要な原則、鍵となる組織や関係者 (政府、学術組織、研究者、市民etc.)、効果的な仕組み (mechanisms)など、多面的な内容を含む、ガバナンスのフ レームワークについて議論が続けられた。

 中国では2020年に刑法が改正され、ゲノム編集を施したヒト胚をヒトに移植すること等の行為については、罰則付きで禁止となった。

 ゲノム編集ベビーの誕生という一つの事件が世界にいかに衝撃を与え、そのための対応を加速させたかということが分かる。

 なお賀博士や遺伝子編集ベイビーのその後等、現在の状況は、本コーナーの世界のライフサイエンス研究の記事「第3回 遺伝子編集ベビーのその後」に詳しく述べられている。

 次回は、実験動物に係わるゲノム編集技術について述べる。

 

参考資料

・D. Cyranosky & H. Ledford (2018), “International outcry over genome-edited baby claim”, Nature; Vol.563, 607-608
・D. Cyranosky (2018), “CRISPR-baby scientist fails to satisfy his ccritics”, Nature; Vol.564, 13-14
・D. Cyranosky (2019), “What’ s next for CRISPR babies?”, Nature; Vol.566, 440-442 
・N. Kofler (2019), “Why were scientists silent over gene- edited babies?”, Nature; Vol.566, 427
・X. Wei & R. Nielsen (2019), “CCR5Δ32 is deleterious in the homozygous state in humans”, Nature Medicine; Vol.25, 909-910
・E. Gibney (2019), “What to expect in 2019: science in the new year”, Nature; Vol.565, 13-14 
・加藤和人「ヒトゲノム編集に関するWHOおよび ユネスコにおける取組み」第122回生命倫理専門調査会(2020年1月30日)(https://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/life/haihu122/siryo2-2.pdf)
・「ゲノム編集技術等を用いたヒト受精胚等の臨床利用に関する規制状況の比較表(案)」第6回ゲノム編集技術等を用いたヒト受精胚等の臨床利用のあり方に関する専門委員会(2022年3月16日)

ライフサイエンス振興財団理事長 林 幸秀
ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔