第96回 クルーズ船でのハンタウイルスの感染を巡る考察
1.はじめに
本年4月、大西洋を航行中のクルーズ船で、ハンタウイルスへの集団感染が発生した。現時点(5月末)では終息した感があるが、本件について、感染経緯、ハンタウイルスの性質、今後の展望や対策等について分析・考察を行うこととする。

2.感染の経緯
南極圏や南米を周遊するオランダ船籍のクルーズ船「MVホンディウス(Hondius)号」において、ハンタウイルスへの集団感染が発生した。
同船は4月1日にアルゼンチンのウシュアイアを出港。最終目的地のスペイン領カナリア諸島に、5月10日には到着する予定だった。
しかし、まず4月6日にオランダ人男性乗客が発症し、11日に死亡した。同じく発症していたその妻は、4月24日、英領セントヘレナ島に同船が寄港した際に他の数十人とともに下船し、その後南アフリカに搬送されたが、4月26日にヨハネスブルグで死亡した。さらに5月2日には別のドイツ人女性乗客が船内で死亡した。
クルーズ船は5月10日、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島に到着。厳重な感染対策の下、感染者やほかの乗客の下船と帰国が進められた。そして最終的には5月18日にオランダのロッテルダム港に到着、乗組員も全員下船した。
同ウイルスの潜伏期間は最長6週間に及ぶため、乗客等は下船後、母国に移送され、隔離措置がとられた。隔離方法は国により違いがあるが、42~45日の隔離期間が設けられている。なお5月25日に、 スペイン・マドリードの国防病院で隔離されていたスペイン人が、検査で陽性反応を示したことが分かった。この患者は、乗船していた14人のスペイン人のうちの1人であり、一行は5月10日から同病院で隔離生活を送っていた。
これまでの情報をまとめると、本件で確認された感染者は少なくとも10人、そのうち死者は3人になる。

3.ハンタウイルスについて
(1)ハンタウイルスの性質
ハンタウイルス(Hantavirus)は、1950年代初頭の朝鮮戦争で、3,000人もの国連軍兵士が感染した原因ウイルスだったとされる。ただ、その際にはウイルスは特定されなかった。その後、1976年に韓国の研究グループが、セスジネズミから初めてこのウイルスを単離・同定した。ネズミの捕獲場所近くを漢灘江(ハンタンガン)が流れていたことから、それにちなんでハンターンウイルス(Hantaanvirus)と名付けられ、後にハンタウイルスに変わった。
ハンタウイルスは、分類学的には、ハンタウイルス科オルソハンタウイルス属のウイルスの総称である。大きく2つに分類され、アフリカ、アジア、ヨーロッパに分布する旧世界ハンタウイルスは腎症候性出血熱(HFRS: Hemorrhagic Fever with Renal Syndrome)を、また南北アメリカ大陸に分布する新世界ハンタウイルスはハンタウイルス肺症候群(HPS: Hantavirus Pulmonary Syndrome)を、それぞれ引き起こすことが知られている。今回のクルーズ船で問題となったのは後者である。なお新世界ハンタウイルスとして、北アメリカで見られるシンノンブレウイルス、チリやアルゼンチンで確認されたアンデスウイルス等がある。
ハンタウイルスの性質としては、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)やインフルエンザウイルスと同じRNAウイルスの一種である。ネズミなどのげっ歯類を自然宿主とし、その尿、糞、唾液等が乾燥して空中に舞い上がり、それを吸い込むことで感染する。つまり空気感染・飛沫感染するウイルスである。一般的にはヒトからヒトへの感染は起こりにくいとされているが、アンデスウイルス等一部の種については、密接な接触のあるヒトの間で感染する。その場合、先述HPSのほか、発熱、倦怠感、筋肉痛、息切れ、腹痛、吐き気、嘔吐、下痢等の症状がみられることがあり、致死率は40~50%にもなることが分かってきている。
制度的には、日本の感染症法では、四類感染症に指定されている。これは鳥インフルエンザウイルスや結核菌、コレラ菌等と同じ分類で、診断した医師は、直ちに最寄りの保健所へ届出を行うことが義務付けられている。また、同ウイルスそのものを研究で扱う場合は通常、新型コロナウイルス等と同じ、前室や陰圧、安全キャビネット等を備えたBSL-3の高度な研究施設で扱う必要がある。

(2)ハンタウイルスに対する治療法・予防法
ハンタウイルスについては、現在、有効な治療法や予防法はない。
治療に関しては、有効性が明らかな抗ウイルス薬はなく、現在のところ、治療は対症療法が中心となる。つまり点滴による血圧維持、腎不全を発症した場合の透析、呼吸が苦しい場合の人工呼吸器の装着等により、患者自身の免疫がウイルスに打ち勝つのを待つしかない。
予防に関しては、HPSを引き起こす新世界ハンタウイルスに対するワクチンがない。現在、HFRSを引き起こす旧世界ハンタウイルスに対するワクチンは中国、韓国で不活化ワクチン使用されているが、HPSに対しては効果がないとされている。
4.本件を踏まえた考察
(1) 今回のクルーズ船での感染について
今回のクルーズ船でのハンタウイルスの感染で、誰もが真っ先に思い出すのは、新型コロナ蔓延の初期に起きた、ダイヤモンド・プリンセス号のことだろう。この時は乗客・乗員3,711人のうち712人が感染し、13名(のちに14名とも報告)が亡くなるという大きな被害を出した。
しかし、今回のクルーズ船では、これまでのところ、そのような大きな被害とはなっていない。それはなぜか。
まず、今回のクルーズ船は乗客・乗員数が240人と、ダイヤモンド・プリンセス号の約15分の1と小規模だったこと。それからハンタウイルスがコロナウイルスほど感染力が高くなく、感染には密接な接触が必要だったこと。
しかし、何よりも、感染が判明した以降、船内、そして接岸後も厳重な感染対策が行われてきたことが大きいだろう。今回の船内では限定的なヒト-ヒト感染の可能性も指摘され、各国の公衆衛生当局による厳格な監視・管理が実施された。これは、コロナでの教訓がいかされているといえるだろう。
こうして、今回の感染については、かなり早期から世界保健機関(WHO)や多くの専門家が、新型コロナと同じような感染拡大につながる可能性は極めて低い、と明言しており、事実そうなっている。
(2)今後の課題
しかし、まだいくつか課題が残されている。
まず、今回の感染の経路がまだ明確でないこと。前述のように、ハンタウイルスは一般的にヒトからヒトへは感染しない。しかし今回クルーズ船で感染が生じたのはヒトからヒトへも感染するハンタウイルスの一種、アンデスウイルスであることが分かった。アンデスウイルスは少し前にアルゼンチンで流行していた。また、今回のクルーズでは、人里離れた野生動物の生息地を訪れていた。このため科学者らは、乗客の一部がクルーズ船に乗船する前にアルゼンチンで感染した可能性を疑っているが、まだ明確には分かっていない。また船内での感染拡大も、ヒトからヒトへの感染ではなく、複数の人々が食堂等、同じ汚染区域を通ることによって、感染したげっ歯類から感染した可能性もあるとのこと。
次に、先述のように、ハンタウイルス、特にHPSに対する有効な治療薬や予防薬がないこと。米国においては、DNA型のワクチンが以前から開発中で、臨床試験も近いとのこと。しかし、コロナの教訓があった割には、あまり迅速な対応が図られているとは言いがたい。背景として、めったに感染しないようなウイルスに対してまで、ワクチンを準備しておくだけの資金が不足していることや、そのようなウイルスに対しては、患者が少なく被験者が集まらないため、臨床試験自体を行うことができないこと等がある。
実際には、どのようなウイルスが将来的にパンデミックを引き起こすかは分からない。だが、病原性の高いウイルスについてはあらかじめ、各国の協力の下、少量でよいのでRNAワクチン等を開発・保管しておき、パンデミックの兆候が現れた時には迅速に量産できる体制を整えておくことはできないだろうか。
さらに、自然界の動物を宿主とするウイルスが変異により、ヒトへと感染するようになる場合は少なくない。今回のハンタウイルスについては、スイス当局が患者から分離したウイルスのゲノム配列を公開したが、それは過去の感染症で見られたゲノムと類似しており、変異した可能性は低いとのこと。それが事実であれば当面は安全だろう。ただ、変異によっては増殖力、感染性、病原性等が大きく増強される可能性もある。今後も、最新の知見によるウイルスの詳細な性質の解明や、変異の監視を続けていく必要がある。
5.おわりに
著者は文部科学省に勤務していた最後のころ、カルタヘナ法、すなわち遺伝子組換え生物の規制を担当をしていた。全国の大学や研究機関から、特に安全性が問題となる実験については大臣の確認を受けるべくさまざまな申請を受けていた。特に、危険なクラス3や、クラス4のウイルス(エボラ出血熱ウイルス等)については変異を起こす実験も行われていた。
ただしその結果、さらに危険なウイルスが誕生して外部に出ていった場合、世界全体にとって大きな脅威になる。このため、組換えウイルスはできても増殖できないようにするとか、増殖力や感染性、病原性が増す可能性のある変異は導入しないとか、さまざまな工夫がなされていた。
ただそれでも、自然界においては、突然変異により、強力な病原性をもつ株が誕生してしまう可能性はある。
今回は幸い、そのような変異は起きていないようだが、AIも用いて、そのような可能性をしっかり予測し、防御していくという姿勢を持つことが大切だと思う。もちろん、その場合の国際連携やセキュリティ確保が重要になるのは言うまでもないが。
参考文献
・M. Basu et. al. “Hantavirus crops up on a cruise ship — what scientists are watching” (2026/5/4) Nature HP
https://www.nature.com/articles/d41586-026-01450-7
・M. Basu et. al. “Hantavirus outbreak exposes uncertainty about how disease spreads” (2026/5/11) Nature HP
https://www.nature.com/articles/d41586-026-01512-w
・T. McArthur “Worldwide race to trace passengers from hantavirus-hit cruise ship” (2026/5/9) BBC HP
https://www.bbc.com/news/articles/clyp1505p84o
・「「ハンタウイルス」の正体。”致死率50%のウイルス”が次のパンデミックを引き起こす可能性は?」 (2026/5/21) Yahoo Japan News.
週プレNEWS
https://news.yahoo.co.jp/articles/927bf3795d08200088a410bb8e734f323fdb3c03
ライフサイエンス振興財団理事兼嘱託研究員 佐藤真輔

