第98回 ヒト胚の正確なゲノム編集のもたらす影響について
1.はじめに
ヒト胚のゲノム編集を巡っては、中国の研究者による初のゲノム編集ベビーの作出、各国での規制化の動き、ヒト胚ゲノム編集を行おうとする企業の出現等により、状況が変化してきている。そんな中、米国コロンビア大学の研究者らは驚くべき精度でヒト胚のゲノム編集を行ったことが報道された。今回はこのことについて、関連事項のアップデートも含めて現状を整理するとともに、分析・考察を行いたい。
2.ヒト胚のゲノム編集を巡る経緯のまとめ
(1)中国の研究者によるゲノム編集ベビーの作出とその後
ヒト胚に対するゲノム編集については、2018年、中国で、ゲノム編集を施した受精卵から赤ちゃんが誕生したことが報道されたことで、世界中に大きな衝撃を与えた。当時同国の南方科技大学の副教授だった賀建奎(フー・ジェンクイ)氏らが、HIVに感染歴のある父親の精子を体外受精させてできた受精卵に、ゲノム編集技術を用いてHIVに感染できなくする変異を与え、それを母親の子宮に戻し、双子の女児を誕生させたのである。なおその後、同氏らは翌2019年には同じ方法により3人目の赤ちゃん(女児)も誕生させた。(なお3人の赤ちゃんのその後の状況については報告されていない。)
賀氏はこれを無許可で行ったということで、3年の禁固刑と罰金300人民元の有罪判決を言い渡された。同氏は服役後、北京の研究所に勤務し、マウスを用いたアルツハイマー病や筋ジストロフィーの研究を続けている。そして、私生活では、ヒト胚ゲノム編集の実用化を目指す、C. タイ氏と結婚したが、その後離婚したとされる。(「第3回 遺伝子編集ベビーのその後」等参照。)
(2)ヒト胚のゲノム編集に関連する企業の興亡
ヒト胚のゲノム編集企業の動きも激しい。現在、存続が確認できているのはオリジン・ゲノミクス社とプリベンティブ社の2社である。
オリジン・ゲノミクス社は、前述のC.タイ氏が今年になってニューヨークを拠点として設立した企業である。同氏はその前身として、2025年夏にマンハッタン・ゲノミクス(MG)社をE.ヒソリ氏とともに創設していた。ヒソリ氏は、マンモス等絶滅種の復活を目指すコロッサル・バイオサイエンス社の生物学部門の責任者だった。だが2人は考え方の違いから不仲となり、MG社は閉鎖された。代わってタイ氏が設立したのがオリジン・ゲノミクス社である。同社は重篤な遺伝性疾患を防ぐために精子・卵子・胚の段階で遺伝子の修正を行う「精密ゲノム修正技術」の開発を謳っている。
一方、2025年10月にはゲノム編集を行う遺伝学者であるL.ハリントン氏により、プリベンティブ社が創設されている。同社にはオープンAI社のCEOであるS. アルトマン氏や、仮想通貨のコインベース社のCEOであるB. アームストロング氏なども出資している。
また、これ以外に、かつてカリフォルニアにブートストラップ・バイオ社が創設されていた。同社はシリコンバレーの投資家ら資金調達をし、ヒト胚のゲノム編集の開発をすべく、法的規制が緩いホンジュラス等で臨床試験を計画していたが、本年春に事業を停止し、閉鎖された。
これらの企業に共通するのは、いずれもスタートアップであるということ、当面は単一遺伝子による遺伝子疾患を予防に焦点を絞っていること、まずは広範な調査・研究や安全性の確認を行う意向を示していることである。
(「第85回 ヒトゲノム編集ベビーの作出を目指す企業が出現」等参照。)
(3)各国の規制動向
ヒト胚ゲノム編集の臨床利用(臨床試験・医療利用)は、安全性や倫理的懸念から世界保健機構(WHO)により現時点での実施は認められていない。各国でも概ね厳しい法規制を敷いており、日本も近く法制化により禁止措置を行う予定である。各国の規制状況は以下のとおり。
・米国: NIH等の連邦政府資金を用いたヒト胚の侵襲研究はデッキー・ウィッカー修正条項により禁止されており、食品医薬品局(FDA)も臨床試験の審査を受け付けない方針。臨床利用を無断で行った場合は連邦食品医薬品化粧品法(FDA法)により罰せられる。
・英国:ヒト受精・胚認可局(HFEA)による管理下で、研究目的でのみ一定のヒト胚操作が許可されているが、遺伝的改変を行った胚の子宮への移植・出産はヒト受精・胚研究法で罰則付きで禁止されている。
・ドイツ:胚保護法に基づき、生殖細胞の改変やヒト胚の子宮への移植は罰則付きで禁止されている。
・フランス:生命倫理法に基づき、生殖細胞の改変やヒト胚の子宮への移植は罰則付きで禁止されている。
・中国:ゲノム編集ベビー誕生を受け、現在は刑法等によってヒト生殖細胞のゲノム編集・移植が罰則付きで禁じられている。
・日本:ゲノム編集されたヒト胚の子宮への移植は、これまで遺伝子研究等臨死用研究に関する指針で禁止されていたが、現在は罰則付きの法規制を制定する準備が進められている。
3.ヒト胚のゲノム編集の安全性と代替法について
(1)ヒト胚のゲノム編集の安全性
ヒト胚のゲノム編集では、編集により生じたゲノムの変化が、将来個体となった場合の全ての細胞に、また生殖細胞を通じて子孫にも引き継がれることから、安全性の問題は特に重要である。
ゲノム編集は本来、外部から遺伝子をトランスフェクション、つまり細胞にふりかける形でアトランダムに組み込んでいく方法に比べ、はるかに正確で安全性の高いものである。
しかし、それでも安全性の懸念はある。よく知られているのがオフターゲット変異である。つまり、ゲノム中の標的とする部位と別の、配列がよく似た部位にもゲノム編集が行われてしまい、それによって細胞や生物の性質に影響を与えてしまうことである。
だが、胚のゲノム編集についてより問題視されるのが、標的部位やその近傍に直接もたらされる影響である。いくつかの研究によると、胚に通常のゲノム編集、すなわち二本鎖DNAを切断して修復させる過程で塩基の欠失を起こさせるタイプのゲノム編集(CRSPR/Cas9)を行ったところ、DNAの再編や、数千塩基対の大規模な欠失等が見られ、場合によっては標的遺伝子の存在する染色体そのものが失われることもあることが分かってきている。
(2)ヒト胚のゲノム編集の代替法
ヒト胚のゲノム編集には上記のような問題点があるため、ゲノム編集ではなく、別の方法が考えられてきた。それは着床前遺伝学的検査(PGT)、すなわち、胚を子宮に移植する前に、染色体や遺伝子の異常を調べるものである。
これは理論的には多くの場合において効果を発揮する。疾患遺伝子が優性遺伝の場合、体外受精した胚の細胞をとってきてゲノムを調べ、疾患遺伝子が含まれていないことを確認できた胚を子宮に戻してやればいい。また劣性遺伝の場合は相手がその疾患に対し相同染色体の両方が健常ならば、そもそもPGTそのものが必要ない。ゲノム編集がどうしても必要になるのは、相同染色体の両方に優性の疾患遺伝子をもつ患者に限られるが、極めてレアなものだと思われる。
ただし、限られた数の胚しか利用できない場合、確実に健全な赤ちゃんが生まれるためには、ゲノム編集が必要となる場合もあると考えられる。そのような場合には、なおさら安全性の面で万全を期する必要がある。
4.今回の研究について
(1)研究の方法
米国コロンビア大学の研究者らは、ヒト胚に対し、これまで通常使われてきたゲノム編集(CRISPR/cas9)に代わって塩基編集という方法を用いた。
塩基編集については、ニュースレターでも紹介済みだが(第10回 一塩基編集技術による遺伝子治療の幕開け)、米国ハーバード大学の研究者らが開発した、遺伝子の一文字(塩基)を置換して修復する方法である。従来のCRISPR/Cas9によるゲノム編集がDNAの二本鎖を完全に切断して修復するのに対し、塩基編集の場合は二本鎖のうち一本のみを切断して修復し、残りの一本はそのまま残しておく。すると完全切断に比べ、エラーの可能性は相当低下する。
こうしてコロンビア大学の研究者らは、ヒトの2細胞期の胚において、塩基編集技術を用いて、3つの遺伝子(PCSK9、HBG1、HBG2)をそれぞれ1文字だけ変更した。このうちPCSK9は血液中の悪玉コレステロールの値を調節する働きがあり、またHBG1とHBG2は胎児ヘモグロビンの生成や、鎌状赤血球症やβサラセミアの発症に関与している。

(2)研究の結果
上記で施された塩基置換により、PCSK9遺伝子についてはヒト胚中での遺伝子の働きが遮断された。また、HBG1とHBG2については、正確に塩基編集が行われていることが確認された。また何よりも、前述のように胚へのゲノム編集で懸念されていた大規模な染色体異常やDNA欠失は起きなかった。また、意図しない変異もあるにはあったが限定的だった。
しかし、問題もあった。ゲノム編集は細胞全体で均一に行われたわけではなかった。一部の細胞では塩基配列が改変されたものの、他の細胞では元の配列が保持された。これはモザイク現象と呼ばれる。また、研究者らがDNAエディターを胚細胞に導入するために使用されたmRNA断片のため細胞分裂が停止したものもあった。
こうした点に鑑みると、本技術の臨床応用はまだまだ安全面で壁がありそうだ。なお、記事によると、研究者らは今後、モザイク現象を減らすための手順を検討したり、通常PGTが行われる約100個の細胞になった段階の胚に対し、塩基編集を行う予定のようだ。
今回の研究成果としての論文はbioRxiv誌に提出されており、現在査読中である。
5.考 察
今回の研究により、ヒト胚のゲノム編集の安全性についてネックになっていた大きな課題がある程度クリアされたのは間違いない。ただし、モザイク現象や胚分裂の停止といった問題点は依然として存在する。そうした安全問題が存在する以上、まだまだPGTに比べ現実味は薄いと言わざるをえない。
なお、安全問題が完全にクリアされた場合はどうか。その場合は、PGTの場合は目的に適した胚を選択することから、場合により受精を何度も行い、分裂した胚から細胞をとってきてゲノムを調べるという操作を繰り返さなければならず、卵子の数が少ない場合とか、母体への負担を考えた場合、むしろゲノム編集の方が適する場合も出てくるかもしれない。しかし、単純に確率を考えた場合、それはあくまでもニッチな領域である。現在、各種のヒト胚ゲノム編集企業が創設されつつあるものの、あくまで単一遺伝子による疾患に限定している以上、市場は広がらず、投資家に頼り続けなければならないようにも思われる。
ただし、その枠をはみ出してデザイナーベビーの領域に踏み出していくとなると話は別である。たとえば身長とか知能とか、多くの遺伝子が関与するものである場合はどうだろうか。その場合、PGTを行っても適切な組合せを選ぶことができる数の受精卵を用意することは難しいし、そもそも両親のゲノムにそのような良質な?遺伝子が含まれていないかもしれない。そうなれば、選択ではなく、改質を行う必要が出てくる。ただしそのためには、関与する全ての遺伝子の働きと、それらの協調による効果を詳細に把握する必要があり、倫理的問題は置いても、技術的な障壁は極めて大きいと思われる。
6.おわりに
日本はヒトゲノム編集胚の臨床研究や医療については一律法律で禁止していく予定だが、安全面でもまだ確実ではなく、倫理面でも許容されるものとそうでないものの境界設定が明確でない現段階では当然だろう。しかし将来的にはどうか。安全性が十分担保された上で、特定の重篤な疾患に限っては医療として認められていくという選択肢はありそうだ。ただ、現に生まれ、苦しんでいる患者ではなく、将来生まれてくる赤ちゃんが対象ということなら、プライオリティはそれほど高くないだろう。あとは倫理面での線引きである。いわゆる能力増強型のデザイナーベビーは、認められないものとして最後まで残るかもしれない。
一つ、著者が気にかかっているのはAIの進化である。AIが今後、ヒトの能力をはるかに超えたものになっていき、それを人類が受け入れていった場合、完全無欠を目指して進化し続けるAIに比べ、不完全なヒトというものに対する考え方が変わってこないだろうか。まさしく美容整形のように、自分の好みに合ったより完全なものを求めてどこが悪い、という考え方が出てこないだろうか。ただしそれは自分ではなく、次の世代のヒトなのである。検討を始めたとしても、結論が得られるかどうかは分からない。
今後の検討に、そのようなヒトの考え方の変化が反映されていくかどうか、興味深く見守っていきたい。
参考文献
・M. Basu et. al. (2026) “‘Base editing’ of human embryos triggers praise and alarm”, Nature; Vol.654, 577-578
・C. Zimmer, “Scientists edit human embryo genes with startling precision” (2026/6/4), New York Times HP
https://www.nytimes.com/2026/06/04/science/embryos-gene-editing-crispr.html
・H. Ledford (2020), “CRISPR gene editing in human embryos wreaks chromosomal mayhem” Nature; Vol.583, 17-18
・日本医学連合 ゲノム編集解説ウエブサイト
ライフサイエンス振興財団理事兼嘱託研究員 佐藤真輔

