第101回 中国で遺伝子治療を受けた女児が死亡
1.はじめに
中国の上海交通大学の研究チームは、世界初となる脳での遺伝子編集治療を6歳の女児に施したが、患者は施術後1週間で死亡した。しかしその事実は1年以上隠蔽され、また治験にもかかわらず家族から治療費を受領していたことが分かり、国際的に反響・批判を呼んでいる。
今回はこれを巡る背景、治療の内容、それを巡る問題点等について分析・考察を行うこととする。
2.これまでの遺伝子治療の経緯
(1)遺伝子治療の変遷
遺伝子治療の経緯については、これまでこのニュースレターでも何度か説明してきたが、今回の事件の論点を明確化するため、ポイントを詳細に説明する。
遺伝子治療は1990年代はさかんに行われていた。当初のやり方としては、遺伝子組換え技術を用いて外部で増やした遺伝子を、患者から取り出した細胞に導入し、それがたまたま患者の細胞のゲノムに取り込まれてうまく機能するようになったものを選んで患者に戻して治療を行うというものだった。しかしこの方法だとゲノムへの取り込みは確率的に極めて小さく、また、患者側の原因遺伝子は取り除けず、また取り込みにより患者のゲノムの関係ない遺伝子が破壊される可能性がある等、欠点があった。
そこで考えられたのは、アデノウイルス(AV)というウイルスに遺伝子を組み込んでそれを患者の細胞に感染させるという方法だった。これだと患者に高い確率で新たな遺伝子を導入できた。しかし、落とし穴があった。それは組換えAVの感染により、患者に強い免疫反応が生じる可能性があることだった。実際、1999年にこのAVベクターを用いて米国で肝疾患の治療を行った少年が免疫反応により死亡した(ゲルシンガー事件)ことで、遺伝子治療は停滞した。
その後、AVに替わって、アデノ随伴ウイルス(AAV)を利用する方法が開発された。AAVはAVに比べ患者の免疫反応が起こりにくく、安全だとされた。また、AAVは患者の細胞内でゲノムには取り込まれないが、長期間安定して遺伝子を発現させることができた。これにより停滞していた遺伝子治療は再開された。しかし、この方法でも患者の原因遺伝子は取り除けず、また細胞増殖とともにAAVが細胞から抜けたりする等の欠点もあった。
その後出てきたのが、CRISPR/Cas9をはじめとするゲノム編集だった。当初、この技術は目的とする原因遺伝子のところでDNA二本鎖を両方とも切断し、遺伝子の機能を喪失させる方法として開発されてきた。だがこの方法だと、二本鎖切断に伴う修復時の誤りが起きたり、遺伝子の本来の働きまで喪失してしまったりする危険があった。
それを改善したのが塩基編集(CRISPR2.0)である。これは遺伝子の1文字(塩基)を置換して修復する方法であり、二本鎖を完全に修復するのではなく、片方の鎖だけを切断して一塩基の置換ができるようになった(「第10回一塩基編集技術による遺伝子治療の幕開け」参照)。
さらに、プライム編集という方法が出てきた。これは、やはりDNAの片方の鎖だけを切断して新たなDNAや遺伝子を導入するものだった(「第73回プライム編集による初の臨床試験が行われる」参照)。
そして、これら遺伝子編集を用いることで、より正確・安全に遺伝子治療が行えるようになったが、一つ課題があった。それは、遺伝子編集のツールを直接、目的の臓器・器官・組織に届けることが困難だったことである。このため例えば、遺伝子編集ツールを脂質ナノ粒子に入れたり、AAVベクターに搭載したりして目的の臓器等に届けたり、さらに、非ウイルス性のベクターを新たに開発する試みも行われてきた。

(2)希少疾患に対する遺伝子治療
希少疾患とは、患者数が極めて少ない病気の総称であり、日本では一般的に、患者数が5万人未満(人口の約0.04%未満)の疾患と定義されている。このような疾患は、世界では約6,000〜7,000種類以上が存在する。
希少疾患の大部分が遺伝子突然変異によるものであるため、遺伝子治療が適用できることが期待される。これまでもデュシェンヌ型筋ジストロフィー症(DMD)、脊髄性筋萎縮症(SMA)、レーバー先天性黒内障(LCA)等、いくつかの希少疾患について遺伝子治療の臨床試験の報告があり、いずれも結果は比較的良好である。
なお、それよりさらに患者数の少ない、たとえば世界に数人から数百人程度の超希少疾患についても進展が見られている。
2025年3月、米国ペンシルバニア州フィラデルフィア小児病院の研究者や医師らは、カルバモイルリン酸合成酵素(CPS1)欠損症という代謝疾患を持つの赤ん坊に対し、その変異に特化した塩基編集を用いた治療を行ったところ、その症状が改善した。この成果は各患者に特化したカスタムメイド医療として、2025年のブレイクスルー・オブ・ザ・イヤーの次点に選出された(「第86回2025年の科学10大ニュースとライフサイエンス」参照)。
3.今回の治療について
(1)対象となった疾患
今回の治験は、スナイダース・ブロック・カンポ症候群という超希少疾患を対象としていた。これは、CHD3という、細胞内でDNA鎖が染色体に巻き込まれる方法に影響を与える遺伝子に関する異常で、2018年にオランダの研究者が初めて報告した。本疾患のうち、これまで学会に報告された症例は100件を超える程度であり、世界全体でも患者数は250人に満たないと考えられている。
特に、患者である女児が持っていた変異は、その中でも繰り返し現れるR1025W(c.C3073T)という変異で、CHD3遺伝子を構成する塩基の一つが正常なシトシン(C)からチミン(T)に変わっていた。この変異により、CHD3タンパク質は急速に分解し、機能を果たさなくなる。そうなると、発達障害や言語・運動障害を引き起こすことが考えられた。実際、対象となった女児は同年代よりも言葉や行動の発達が遅れ、簡単な文章しか話せなかったとされている。
(2)治療方法と動物実験の結果
同チームは、遺伝子編集技術のうち、塩基編集を用いた。それにより、変異した塩基(T)を元の正常な塩基(C)に戻すことを試みた。そして彼らは、この治療薬の塩基編集ツール(TeABE)を、アデノ随伴ウイルス(AAV)に搭載し、患者の脊髄液に注入することで、まず脳の神経細胞まで届けることを目指した。つまり、AAVが神経細胞に感染すれば、その後塩基編集ツールが神経細胞のゲノム内の目的の位置に移動して置換を起こすことを想定したのである。また、ウイルスの血液ではなく脊髄液への注入は、腎臓や肝臓を経由しないため、免疫反応のリスクを抑えることができると考えた。
ただ問題は、この方式が構造的に大量のウイルスを必要とする点だった。研究チームが開発した塩基編集ツールは、遺伝子サイズが大きく、AAV1個に収まらない。このため編集ツールを2つに分割し、2種類のAAVに分けて搭載し、細胞内で再び1つに結合させる、「デュアルベクター」という戦略をとらねばならなかった。
なお、今年2月にネイチャー誌に掲載された研究チームの論文によると、同一のCHD3変異をもつマウスにこの治療薬を投与した結果、脳内のCHD3タンパク質が回復し、認知・社会性・運動異常が緩和される効果が確認された。
一方、論文には掲載されていないが、霊長類を用いた試験も実施され、小脳に遺伝子編集ツールが届いていることが示唆された。しかし、治療を受けた4匹のサルすべてに中等度から重度の肝臓障害が発生し、また高容量のウイルスを投与されたサル一匹に腎臓障害が見られた。これらはいずれも、今回の患者への治療が行われる1か月前には判明していた。
(3)治療の結果
この治療を施された女児はどうなったか。
施術3日後に患者は発熱。これはAAVに対する一般的な反応で、数日間は続くと予想された。その後、熱は下がり始めたが、一方、点滴後から尿がずっと出ず、腎臓が深刻な損傷を受けている兆候とされた。医師たちは水分摂取量を制限し、患者は喉がひどく乾いた。血小板数も危険なレベルまで低下した。
そして治療後1週間で、患者は亡くなった。死因は血栓性微小血管症だったが、病院の報告書によると、原因として最も可能性の高いのは組換えAAVに対する免疫反応とのことだった。
4.今回の治療の問題点
今回の治験は、超希少疾患に対する遺伝子塩基編集治療、特に、たった一人の患者のためにカスタムメイドで治療を行ったという点で、先述米国フィラデルフィア小児病院の事例に続き、かなり斬新な試みだった。ただ、結果的に患者が亡くなったことでさまざまな問題点が噴出した。
実際には、サイエンス誌とリトラクション・ウオッチが共同で調査を行い、今年7月23日に患者の死亡を含め事実関係を公表した。今回、その内容も含め、問題点を記す。
まず、治療効果の面で言うと、遺伝子が編集される割合は治療効果を発揮するにはあまりに低かった。つまり脳の中には修正されていない、遺伝子変異を含む細胞が大量に残っていた可能性がある。このため、脳全体にウイルスを届けるには、上記デュアルベクターのことも考えると、いっそう膨大な量のウイルスを投与する必要があった。しかし、そのような量のウイルス投与は免疫反応を考慮するとそもそも不可能だったはずである。
しかも、研究チームは、治験開始前に、霊長類での試験で副作用が出てきていることも分かっていた。ヒトで治験を行う場合、いくらマウスでうまくいったからと言っても、よりヒトに近い霊長類での試験結果を重視すべきなのは当然だろう。だが、研究チームはそれを考慮せず、ヒトでの臨床試験を断行したのである。
では、そうした研究チームのやり方は、手続き的には問題がなかったのだろうか。
2018年の賀健奎氏によるゲノム編集ベビーの誕生を受け、中国国家規制当局は遺伝子編集をはじめとする生物医学的治療に対しては、事前承認を得ることを原則とするよう規制を強化した。だが、同国は最近、ヒト治療研究を加速させるための制度変更を行い、主要病院で行われる非営利の研究者主導の臨床試験では、病院内の承認だけで革新的治療を例外的に行えるような規定を設けた。
研究グループとしては、今回の臨床試験はその規定に従ったとしており、患者の死亡により研究グループが手続き面での責任を問われることはなかった。ただし、2025年9月、地区保健局は病院に対し、臨床試験を適切に監督せず、また、商業スポンサー付き研究としてとして国のデータベースに登録しなかったとして、約3600ドルの罰金を科した。
また、患者が死亡した事実が1年以上隠蔽されていた。先述のように、研究チームはネイチャー誌に動物実験の結果を発表たが、その段階では既にヒト臨床試験が実施され、患者は死亡していた。
しかしそうした事実関係については発表された論文には一切記載されていなかった。試験自体は国際臨床試験登録サイト(ClinicalTrials.gov)に投与直前の2025年3月に登録されたが、それ以降は患者の死亡の事実を含め、一度も更新されていない。
さらに、治験であるにもかかわらず、患者側がその費用を負担していた。希少疾患の場合には、普通なら治験をバックアップする製薬企業等は二の足を踏む。なぜなら適用患者が少なく治療法を開発しても採算が合わないからである。今回も費用の出どころが見いだせず、患者の両親は非公式の取り決めの下、86万ドル(1億円以上)を治験も含む開発費としてかき集めた。しかし、集められた費用は、研究グループに一括して支払われるのではなく、個々のメンバーに個別に支払われたことで、不可解な金の流れになった。
こうしたさまざまな問題が投げかけられており、今後、中国政府や世界の研究・医療界がどのように対処していくか、興味深い。その対応によっては、遺伝子治療全体の進展に影を差す可能性もないとは言えない。

5.おわりに
遺伝子治療は、モラル上問題となる、生殖細胞や胚の操作と違い、成体に対するものは、生殖系列まで入り込むものではないため、疾患の治療目的としての開発は大いに進めるべきものだと思われる。ただそのためには、何よりも安全性が不可欠となる。だからこそ、動物実験も、ヒトに近い霊長類で試し、その結果を慎重に解析した上で、副作用が出ないような投与量等、判断を下さねばならない。
今回の臨床試験はそうした基本的な理念が決定的に欠けていた。 遺伝子治療は、前述のゲルシンガー事件に端を発する世界全体での長期の中断があり、それを繰り返さないためにも、中国政府も事件の構造を詳細に解明したうえで適切な措置をとらねばならないはずだ。だが、同国政府の今回の対応はどうも手ぬるいような気がしてならない。確かに同国の規制の枠組みは大きく逸脱はしていないが、そもそも詳細な部分で規制そのものが緩いのかもしれない。
規制緩和は先を行く米国に追いつくための措置だとされているが、やったもん勝ちだという風潮が醸成されてしまいそうな気もする。それは世界全体の遺伝子治療の進展にとってはマイナスであると思われる。これも含め、中国の生命科学の安全・倫理規制は、他国に比べ緩いということも言われているが、著者自体もあまりよく分かっておらず、真にそうなのか、今後、調べていきたい。
参考文献
・Science News Staff, “Four takeaways from our investigation into a hidden gene-editing death” (2026/7/23) Science HP
https://www.science.org/content/article/four-takeaways-our-investigation-hidden-gene-editing-death
・B. Borrell, “A fatal reaction” (2026/7/23) Science HP
・「中国で6歳女児が脳遺伝子編集治療後に死亡、Nature論文で隠蔽疑惑」(2026/7/26)Finance Big Go HP
https://finance.biggo.jp/news/85e0e533-33fa-44d7-b49e-d7816faaf668
ライフサイエンス振興財団理事兼嘱託研究員 佐藤真輔

