第100回 ヒト人工精子の作製が近づきつつある

1.はじめに

 米国ペンシルバニア大学の佐々木耕太郎教授らのグループは、血液由来のiPS細胞をマウス腎臓内の人工精巣組織で培養することにより、精母細胞まで誘導した。その成果は本年7月、セル・ステムセル(Cell Stem Cell)誌に掲載された。今回はこの研究を巡る背景、研究の内容や結果、意義や課題等について分析・考察を行うこととする。

2.ヒト生殖細胞の作製に関するこれまでの経緯

 本ニュースレターで何度か紹介したことだが、ヒトの生殖細胞ができていく過程について簡単に説明する。

 まず受精から2週間後、胚発生の過程の中で、精子や卵子の大元の細胞である始原生殖細胞ができる。そして受精6~10週後になると、男の胎児の精巣では精原細胞、女の胎児の卵巣では卵原細胞に、それぞれ分化する。それらは分裂を繰り返し、最終的には男の場合は、誕生後に精母細胞を経て精細胞、さらに精子となる。また女の場合、誕生後に卵母細胞を経て卵子(卵細胞)となる。

図 卵と精子の形成過程。なお実際にはもう少し細かい段階がある。(生物ⅠB 第一学習社 より)

 既にマウスにおいては、iPS細胞からの生殖細胞づくりが進展している。
 2011年、京都大学の斎藤通紀教授らのグループはマウスのiPS細胞から精子を作り、それを普通の卵子と受精させて仔マウスを誕生させた。また2016年、九州大学(当時)の林克彦教授らのチームは、逆にマウスのiPS細胞から卵子を作り、それを普通の精子と受精させて仔マウスを誕生させた。さらに2023年、大阪大学と九州大学のグループは雄のマウスのiPS細胞から卵子を作り、別の雄マウスの精子と受精させることで、雄のマウスだけから仔を誕生させた。(第21回ニュースレター参照)
 このように、マウスにおいては、日本の研究者を中心に、ある程度、自在に生殖細胞が作れるようになってきている。

 一方、ヒトではマウスに比べ、種としての発生様式の違いがあることや、倫理的に胎児発生の研究がしにくい等の問題があり、あまり研究は進んでいなかった。
 だが、2024年5月には、京都大学の研究者らが、ヒトのiPS細胞から、卵原細胞と前精原細胞を作出した(前精原細胞は上図では示されていないが、精原細胞になる前の細胞)(第48回ニュースレター参照)。つまり卵子と精子の前段階まで分化させたのである。
 ただし、これまではマウスのようにiPS細胞から精子や卵子まで作出することはできていなかった。

3.今回の研究について

 ペンシルバニア大学の研究者らは、まず、ヒト血液細胞から作出したiPS細胞を始原生殖細胞様の細胞(primordial germ cell-like-cells)に分化させた。そして次に彼らは、それをマウスの胎児から採取した精巣細胞と混ぜた。ただ、そうして試験管内で培養しているだけではその混合細胞中のヒト細胞はそれ以上の発生は行わなかった。

 そこで彼らは、この混合細胞を免疫不全マウスの腎臓の皮膜下に移植した。そこは血液や酸素の供給が豊富で、移植組織の生着に適していることが知られていた。つまり、この混合細胞に生きた培養器を提供したわけである。

 すると、腎臓皮膜下で、何とこれらの混合細胞は自発的に集まり、異種再構成精巣(xrTestis)と呼ばれる、精巣そっくりの管状の立体構造を形成した。そして、その精巣様の組織の中でヒトiPS由来の細胞は成長し、前精原細胞(prospermatogonia)、精原細胞(spermatogonia)を経て、移植から6か月後、細糸期精母細胞(preleptotene spermatocytes)という、精母細胞の初期段階へと分化したのである。同細胞は、前図にあるように、その後減数分裂を経て、尾のある精子になる細胞である(下図参照)。
 ただし、今回の研究では、飼育を続けてもそれ以降の分化は起こらず、精子にまで成熟することはなかった。

 彼らはマカクザルでも同じ方法で精母細胞を作ったが、精子にまで成長しないのは同様だった。

図 研究の概要。(上)ヒトやマカクザルのiPS細胞から作出した始原生殖細胞様の細胞をマウス精巣細胞と混ぜ、マウスに移植すると、移植細胞塊は異種再構成精巣(xrTestis)に再構成。(下)移植された始原生殖細胞様細胞が細糸期精母細胞に分化
(セル・ステムセル誌の論文より)

4.今回の研究の意義・課題

 この手法は、生殖細胞の発生を人為的に行う実験系として、ヒト精子発生の初期段階の研究や、男性不妊の原因究明に利用できる可能性がある。男性不妊症例の約40%は原因不明である。また、絶滅が危惧される動物にも利用できるかもしれない。その意味で、今回の研究のもたらす意義は大きいと言える。

 ただ、今後に向けては、まだ課題がある。

 技術面では、今回の研究で何とか精母細胞までは作れたのだが、それ以降は減数分裂等を起こすことはできず、成熟した精子へ分化することはできなかった。マカクザルも同様だった。
 これについては、研究者らは、ヒトの精母細胞が、ヒトと種の異なるマウスの環境で成長したことが原因だと考えている。精子に成長していくには、周辺の細胞だけでなく、離れた他の臓器・器官からのホルモンによる刺激等も必要であり、これがマウス由来だと問題が生じるのではないかとのこと。
 これを克服するには、ヒト由来のホルモンを直接与えたり、ヒトホルモンを放出する器官をマウスに移植したりといった方法が考えられるが、結構難しそうだ。

 また、倫理面の課題もある。研究チームは今後、iPS細胞で作ったヒトの精母細胞が実質的な精子機能を果たせるかどうかを検証する計画である。しかし大半の国では幹細胞と卵子、精子を用いた研究は厳格に制限されている。
 研究者らはこのような法的規制や倫理的論争を避けるため、当面は主にマカクザルを対象として研究を継続していく計画である。

 そんな中、企業では実用化を見据えて研究を進めるところも出てきた。本年6月、米国のコンセプション社は、幹細胞を用いて実験室で未成熟なヒト卵子を培養したと発表した。また本年5月、米国パテルナ・バイオサイエンシズ社は、成熟した精子を培養したと発表した。同社はiPS細胞の代わりに精巣から採取した未成熟精子細胞を使用した。

 なお日本では、ヒトのiPS細胞から精子や卵のような配偶子を作製したり、それらを用いた受精卵の作製自体は厳格な制限のもと、容認されることになっている。しかし、そうして作製された受精卵の培養期間は最長14日以内に制限され、またそれをヒトや動物の子宮に移植し、出産することは法律で禁止されている。

5.おわりに

 iPS細胞からのヒト精子や卵づくりは、上述のように、発生の仕組みの解明や不妊症の原因究明等に役立つと思われる。

 だが、それをさらに超えて、実用に供することを目論む場合はどうだろうか。
 たとえば無精子症の男性が、何としても自分の子を設けたいと願い、自分自身の体細胞からiPS細胞を作り、それに無精子症の原因を取り除くゲノム編集等の措置を行った上で、人工的に精子を作出させるのはどうか。それがもし許されるなら、次に、閉経した女性が、是が非でも自分の子供を設けたいと考え、iPS細胞を通じて卵を作るというのはどうか。さらに、自己愛が強い、年老いた男性や女性が、他とのかかわりにならずに自分の子を残そうとして、iPS細胞を通じて精子と卵を作り、それら同士を受精させて、クローンとまでは言えないが、自分自身の遺伝子を掛け合わせた子を作るというのはどうか。
 どれがデザイナーベイビーで、どれがそうでないか。

 現在は上述のように歯止めがかかっているが、その上で、いろいろ頭の中でケーススタディをしつつ、理解を深めていくことも必要かもしれない。

参考文献

・H. Ledford, “Lab-grown sperm: scientists inch closer to fertility breakthrough” (2026/7/10) Nature HP 
 https://www.nature.com/articles/d41586-026-02172-6

・E.C. Whelan, et al., “Generation of spermatogonia from human and non-human primate pluripotent stem cells”  (2026/7/10) Cell Stem Cell HP
 https://doi.org/10.1016/j.stem.2026.06.001

・山形方人「【新研究】ネズミの腎臓で「ヒトの精子」を育てる」 (2026/7/15) NEWS PICKS HP
 https://newspicks.com/news-in-app/17097750/

追記~連載100回目を迎えて

 今から4年前の2022年7月から始まった、世界のライフサイエンス動向についての連載ですが、おかげさまで今回、100回の節目を迎えることができました。

 ライフサイエンスの対象は基礎研究から医療、環境、農業、工業への応用・実用化まで、実にさまざまです。ライフサイエンスに関する論文や記事も日々、各種雑誌や新聞、インターネット等で更新されています。その中には基礎研究として重要なもの、応用や実用化の観点から重要なもの、さらに、ライフサイエンスを巡る規制や政策として見逃すことができないもの等、いろいろあります。

 そのような膨大な情報の中から、重要なもの、興味深いものを吸い上げてわかりやすく紹介していこうと考え、この連載を始めました。単に事実を伝えるだけでなく、背景や意義についてもできるだけわかりやすく紹介することで、読者の理解を深めてもらうということを目指しました。

 ということで始めた連載ですが、実際には、取り上げる論文や記事の選定は著者自身の裁量によるため、どうしても著者が得意だったり関心があったりする分野に偏ったものになってしまったことは否めません。研究分野としては、オミックス関係、再生医療関係、脳、老化、合成生物学、AI関係等が中心で、それ以外の分野はあまり取り上げてきませんでした。
 このため、毎年末に各誌で発表される重大ニュースの的中率がひどく悪く、意気消沈することの繰り返しでした。自分は名伯楽にはなれないなあと、その都度、痛感したものです。

 また、重要な規制や政策の動きについても取り上げてきました。生命科学の規制は研究の進展とともに複雑さが増しています。各種の法律や指針が入り組み、二重、三重に枠がかかることもあり、理解が追い付かないことも度々あります。かつて著者が文部科学省に所属していた際は、担当者にもよく確認していただいていましたが、退職後はそんなわけにもいかなくなり、自分自身、責任をもってよく調べねばならないと実感しています。

 これまで出した記事の中で、比較的評価が高かったのが、NIHをはじめとする米国の政策動向です。特にトランプ政権では生命科学を中心とする科学技術への理解のなさからか、たえず、政権の関心の低い研究分野を中心とした研究資金の削減や人員削減を狙っており、それに抵抗する議会の超党派との対立は、他国とはいえ日本にも影響が及ぶ可能性があり、興味深いです。
 また、年末の重大ニュースの記事は、前述のようにいつも予想を外し、情けない思いをしてきましたが、それでも各誌の重大ニュースを横並びでまとめて掲載するため、ライフサイエンス関連の動きがよく分かると、それなりに評価をいただいているものと思います。

 今後、この連載を継続していく上で忘れてはならないのは、AI関連の動きとその利用です。AIやロボティクスは、ライフサイエンスの世界にも大いに進出してきました。今まで多くの時間を費やしていたいくつもの研究作業が、コンピュータの中やロボットにより短時間で正確にできるようになりつつあります。これからも、いっそうその能力は増し、研究者の世界を脅かす存在になるかもしれません。しかし、研究にはAIを活用できることは活用したうえで、AIにはできない部分に翼を広げていってもらえればと思います。

 それは本連載についても同様だと思います。最近、海外文献でもほとんどの場合、AIによる日本語翻訳ができるようになり、しかもかなり正確であるため、読むのがずいぶん楽になりました。さらに、基本用語や過去の経緯等で分からない部分は、AIに頼めばあっという間に分かりやすい要約を提示してくれます。
 これには感謝するとともに、一方で、今後はこのニュースレターも全てAIで代替されることになるのではないかとの思いがあります。ただ、著者としてはそれに焦燥感を持つことなく、AIを活用した上で、本ニュースレターでしかできない部分を求め、模索を続けていければと考えています。

 皆様、今後とも引き続き、どうぞよろしくお願いします。

ライフサイエンス振興財団理事兼嘱託研究員 佐藤真輔