第10回 一塩基編集技術による遺伝子治療の幕開け

 少し前になるが、今年7月28日のNature誌に、「CRISPRの『いとこ』が画期的な心臓の試験で試される」という記事が掲載された。CRISPRの「いとこ」とは、遺伝子編集の中でも一塩基編集という遺伝子改変技術のことを指し、今年は同技術を用いた遺伝子治療の始まりの年になるとしている。今回は遺伝子治療全般の経緯も含め、この新たな技術の状況について紹介することとしたい。

 まず遺伝子治療について大雑把に説明する。遺伝子治療とは、疾患の原因となる遺伝的な問題を修正することで治療や予防を行う方法である。具体的には、疾患の症状を抑える新たな遺伝子を導入したり、疾患の原因となる遺伝子の代わりに異常を伴わない遺伝子を導入したりといった方法が開発されてきている。

 遺伝子治療は2000年頃には盛んに試みられていた。ただその方法は、遺伝子組換え技術と呼ばれる、今から50年ほど前に開発された技術を用いたものだった。大腸菌などで増やしたヒトの疾患の治療に関わるDNAを、ヒトの細胞に導入し、たまたまヒトのゲノム中に組み込まれてうまく機能したものを選んで治療に用いるというものだった。ただ、これは患者の持つ疾患の原因遺伝子に置き換わるというわけでなく、新たに導入された正常遺伝子の持つ働きを付け加える(補充する)だけだった。原因の遺伝子がそのまま残り、また、導入された遺伝子がゲノムの不適切な位置に組み込まれ、そこにあった大切な遺伝子を壊したりする可能性も懸念された。そのような中、免疫不全の患者に治療を行ったところ、重大な副作用が起こり、それをきっかけに遺伝子治療は下火になった。

 次に開発されたのはAAV(アデノ随伴ウイルス)というウイルスをベクター(遺伝子の運び屋)として利用し、そうして運んだ遺伝子をヒトの細胞内で増やす方法だった。この方法は、導入された遺伝子がゲノム中に組み込まれないでゲノム外で独立して増殖するため、導入されたヒト側のゲノムの破壊が起こらず安全だとされた。だが、これも治療遺伝子の補充だけで原因遺伝子は取り除けず、しかも細胞の増殖とともにAAVが細胞から抜けたりするため不完全だった。

 その様な状況の中で、期待が寄せられたのは遺伝子編集技術だった。これはターゲットとなるゲノム中の目的の部分にピンポイントで作用し、ゲノムDNAの一つの文字(塩基)を置き換えたり削除したりすることができるという優れものだった。これに大きな期待が込められて遺伝子治療への応用が進められてきた。

 主体になったのは、CRISPR/Cas9を用いて目的とする疾患の原因遺伝子を切断し、遺伝子の機能を喪失させるという方法だった。それにより、いくつかの疾患において有効な成果が得られてきている。ただこの手法では対象部位で二本鎖DNAの両方の鎖を切断するため、細胞のDNA修復プロセスにより鎖をつなぎ合わせた際に間違いを起こすことが懸念された。また、原因遺伝子を切断により完全に機能をなくすことで本来の働きまで喪失してしまう懸念もあった。

 それを改善したのが一塩基編集法という、遺伝子の一文字(塩基)を置換して修復する方法である。ハーバード大学の研究者らは、二本鎖を完全に切断するのでなく片側の鎖だけを切断する方法に成功し、それにより一塩基編集法の開発につなげた。

 同大学の研究者らは、一塩基編集薬を開発するためにビーム・セラピューティクスという会社を共同で設立した。そして、鎌状赤血球貧血に対する治療法を開発してきた。

 鎌状赤血球症は、赤血球中のヘモグロビンを構成するアミノ酸が置換されていることで、異常なヘモグロビンを産生することが原因とされている。患者のほとんどがアフリカ系黒人で、毎年世界で約30万人の鎌状赤血球症の新生児が誕生すると言われているが、しばしば致命的となる。患者数が多いにもかかわらず、現時点では造血幹細胞移植以外の根治的な治療はないため、アフリカでは特に大きな問題となっている。

 このような血液系の疾患の患者であれば、造血幹細胞を取り出して塩基編集によりそれを修復して患者に戻してやれば治療ができる。彼らは鎌状赤血球貧血患者に対し、今年末には最初の臨床実験を行う予定である。

 一方、米国ヴァーヴ・セラピューティクス社は、先述のビーム・セラピューティクス社との連携の下、血中コレステロール値の重要な調節因子であるPCSK9と呼ばれるタンパク質をコードするDNAのアデニン塩基(A)をグアニン塩基(G)に変換した。これは、高コレステロールを引き起こし、心臓病につながる可能性のある「ヘテロ接合性家族性高コレステロール血症」の患者の機能的PCSK9の量を減らすことを目的としている。日本においても200~500人に1人がこのヘテロ接合体をもち、30万人以上の患者がいると言われている。

 PCSK9の働きを抑えるとコレステロール値が低下し、心臓病のリスクが低下することが知られており、既に市場化さている治療法のいくつかは、このPCSK9の活性を低下させるものである。一塩基編集により原因遺伝子を変えてやれば、根本的な治療になる可能性がある。

 同社では患者のDNAを編集するために、編集用の薬剤を新型コロナウイルスのmRNA製剤に使用されるものと同様の脂質ナノ粒子に入れ、それを注射により肝臓に届けるようにした。そして、マカクザルによる実験により血中のPCSK9濃度やコレステロール濃度の低下が見られ、有害な副作用は見られなかったことを発表し、それを踏まえて臨床試験を開始している。

 これらの一塩基編集を用いた臨床試験については、2023年には成果が発表されるものと期待される。またこれら以外にも、白血病のほか、希少代謝疾患である糖原病、失明を引き起こす可能性のあるスターガルト病等、各種疾患での一塩基編集による方法が開発されている。まさに一塩基編集技術による遺伝子治療の幕開けの感がある。

 こうした技術開発や応用が進むに従って、これまで不治とされてきたさまざまな遺伝性疾患の予防・治療に大きな希望が寄せられている。既に先述のハーバード大学の研究者らは、ウイルスが宿主のDNAに自分の遺伝子を挿入するのに使うタンパク質にCRISPR/Cas9分子を連結することにも成功した。この新しい方法はプライム編集と呼ばれる。これにより標的の配列のDNAを1本だけ切断して思いどおりの配列を挿入でき、さらに対象とする疾患が広がることが期待される。

 なお、遺伝子治療は患者一人一人に行われるものであり、通常の治療法に比べ多額の費用がかかる。また、オフターゲットの遺伝子つまり目的の場所以外の配列が似た部位も、間違って編集される可能性も残る。そのような状況では、既に有効な治療法が存在するものについて、あえて遺伝子治療を行う必要性はあまりない。たとえば高コレステロール血症の場合、既に有効な医薬が開発されており、遺伝子治療はコレステロール値の相当高い重度の患者に絞って適用すること等が現実的な利用法かもしれない。

 一方、骨髄移植しか治療法のないような疾患の場合、ドナーが不足している他人からの骨髄移植に頼ることなく、自己の血液幹細胞を取り出して遺伝子治療で修復し元に戻すことで迅速に治療が行えるなら、患者にとって大きな福音となるだろう。今後の技術開発により、さらなる安全性やコスト面での改善を図りつつ慎重に進めていくが望まれる。

 なお今回は紙面の関係でこれ以外の遺伝子治療、特に最近の大きなトピックであるCAR-T細胞療法やRNA療法等については省略したが、また別の機会に紹介することとしたい。

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(参考文献)

・H. Ledford (2022)“CRISPR cousin tested in landmark heart-disease trial” Nature Vol.607, 647-16

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔