第8回 中国のライフサイエンス研究の歴史8~食品の安全性への対応~
1. 食品の安全問題
前回取り上げたSARSに加え、中国社会を大きく揺るがしたライフサイエンス関係の事件として挙げられるのが、食品の安全性問題である。計画経済時代の食料政策では量的確保が重視されたため、衛生面や品質面は軽視され制度的整備も十分ではなかった。改革開放以降の1995年になって、ようやく食品衛生法が制定された。2001年にWTOに加盟し経済が発展するにつれ、都市部の消費者を中心とした国民が生活の質への向上を強く求めるようになり、食生活の高度化・多様化が急速に進み、肉製品、乳製品、缶詰の生産額が増大した。
その様な中で経済的利益追求のために悪徳業者が横行し、人体に健康被害をもたらす有害な食品が多数流通し、食品汚染問題が多発するようになった。具体例を挙げると、2003年に各国で使用が禁止されているDDTが中国茶から検出され、2004年には安徽省で偽粉ミルクにより幼児が死亡する事件が発生した。同年、四川省で作られた漬物から残留農薬が検出され、また理髪店から回収された人毛からアミノ酸を抽出加工して作られた人毛醤油が日本など外国へ輸出されていると報道された。2005年には禁止されている着色料スーダンレッドが、食品添加物として使用されていることが判明した。
2. 政府の対応
中国政府は、2003年3月に「食品安心プロジェクト」や「食品安全行動計画」を策定したが、相次ぐ事件の発覚で国民の不安は収まらず、2007年6月、当時の高強衛生部長(現在の国家衛生健康委員会主任、日本の旧厚生大臣に当たる)を降格させ、陳竺(陈竺)中国科学院副院長を同部長に抜擢した。陳竺は中国共産党党員ではなく、無党派の閣僚就任は建国以来3人目であった。陳竺部長の尽力もあり、2007年に国家食品薬品安全第11次5か年計画が発表され、2009年には食品安全法が施行された。
3. 陳竺~研究者から大臣へ
陳竺は1953年に江蘇省に生まれ、1981年に上海第二医科大学(現在の上海交通大学医学院)で修士号を取得の後フランスに留学し、1989年パリ第7大学で博士号を取得した。その後1990年に上海に帰国し、上海第二医科大学附属瑞金病院の教授となり、2000年10月から中国科学院副院長を務めていた。専門は血液学、分子生物学で、臨床経験も持つ。
日本との関係も深く、上記の写真は東京大学と中国科学院の協力プロジェクト発足式のものである。
陳竺は2013年に衛生部長を退任したのち、中国共産党以外で認められている党派の一つである農工民主党主席として、中国の国会に当たる全国人民代表大会の常務委員会で14名いる副委員長を務めている。また、2015年からは中国の赤十字組織である「中国紅十字会」の会長でもある。