第17回 “古代人のゲノム解析”は現代に何を語りかけるのか

 本記事は、佐藤真輔嘱託研究員が本コーナーに投稿した「古代人のゲノム解析でノーベル賞」の内容を加筆・修正し、雑誌「公明」の2023年3月号に投稿した記事を紹介するものである。前回の記事はゲノム解析が中心であったが、今回はそれに加え沖縄大学院大学(OIST)についても触れている。

2022年のノーベル生理学・医学賞は日本にも関係

 残念ながら2022年は日本人のノーベル賞受賞はならなかったが、日本に大いに関係する研究者が受賞した。ノーベル生理学・医学賞受賞者であるドイツのマックス・プランク進化人類学研究所教授のスバンテ・ペーボ博士のことだ。同博士は、同時に日本の沖縄科学技術大学院大学(OIST)の客員教授でもある。

 受賞理由は「絶滅したヒトのゲノムと人類の進化に関する発見」、つまり古代人のゲノムを解析し、現代人とのつながりを発見したことによる。

 ここではその内容をできるだけ分かりやすくお話しし、同博士の業績のもつ意味について考える。またペーボ博士のような優れた研究者を招へいすることの意義も含め、日本の科学技術政策の在り方についても触れることとする。

ゲノムは生物のあらゆる性質を決める

 まず本稿で頻繁に出てくる「ゲノム」という用語について説明する。ゲノムとは、各生物がもつ、一そろいの遺伝情報のことである。遺伝情報はそれぞれの細胞中にあるDNA(デオキシリボ核酸)を構成するA、G、C、Tの4種類の文字(塩基)の並び方で決まる。DNAは核の中でタンパク質と結びついて折りたたまれて染色体になる。

 ヒトだと父親と母親からそれぞれ23本ずつの染色体を受け継いでいるが、そのうち1本は性を決めるX染色体かY染色体になっている。このため、一そろいの遺伝情報としては22本+XYの染色体に全て含まれていて、それを「ゲノム」と呼ぶのである。文字にすると約30億個にもなる。

 ゲノムは人によって違っている。大体1000文字に1文字くらい違っているから、ゲノム全体だと300万個もバリエーションがあり、その違いが人としての個性になる。目や肌の色、身長や病気のなりやすさ、性格等、あらゆるものがこのバリエーションの影響を受けている。

 バリエーションの中には、まれに生物の機能に重要な部分が変化している場合もあり、これを変異と呼ぶ。変異を親から受け継いだ場合、先天性の障害を負ったり、生まれてこなかったりする場合もあるが、一方で優れた性質が得られる場合もある。そうした変異が積み重なったり、大きな変異が起こったりすると進化につながる。

古代ゲノム学という分野

 ペーボ博士が開拓したのは「古代ゲノム学」という分野である。古代人のゲノム解読と現代人のゲノムとの比較により各種解明を行うものだ。

 今でこそ、生きている生物のゲノムを比較し、その違いから、各生物がどのような近縁関係にあるかを調べることができる。だが、ペーボ博士が研究を始めた頃(1980年代)は、そのような技術はまだまだ未熟だった。当時は古人類学という分野はあったが、それは古代人の骨の形を比較したり、骨に含まれる放射性同位元素の量を調べたりといった分析が中心だった。そこにペーボ博士は遺伝学的手法を取り入れたのである。

スバンテ・ペーボ博士 (沖縄科学技術大学院大学=OIST提供)

ネアンデルタール人は現代人と交接していた

 地球上には、現代の人類の前に、旧人と呼ばれるネアンデルタール人がいたとされる。ネアンデルタール人は約3万年前に絶滅したと考えられているが、現代人と共存した時期もあり、両者が遺伝的にどのような関係があるかは分かっていなかった。同博士は、このため発掘された古代の人骨などからDNAを抽出し、それを解析することでその関係を明らかにしようとした。

 それまでもそのような試みを行った研究者もいたが、前述のように、当時の技術ではそれは難しかった。ヒトとチンパンジーではゲノムの違いはわずか2%である。古代人と現代人の違いはもっと少ない。そのような微妙な違いを明らかにするにはゲノムの一文字一文字を読み取っていくしかない。だが、当時は個人レベルで行うのは困難で、しかも解読には多くのエラーが付きまとった。

 しかももっと大きな問題があった。見つかった骨の多くは長い年月のうちにボロボロになっていた。DNA自体が損傷し、断片化したり、さまざまな化学的な修飾を受けたりしていた。さらに、それを扱った人々のDNAも混ざっていた。同博士自身も、かつて自分が配列決定したエジプトのミイラから採ったDNAが、実は混入DNAだったことを認めている。

 しかし、同博士は、さまざまな工夫をしてこの問題を乗り越えた。DNAは細胞の核の中以外に、ミトコンドリアにも含まれている。このミトコンドリアのDNAは、核のDNA(30億文字)に比べ1万6500文字と少ない。それにいち早く目をつけたベーポ博士は、その解析により、古代人のゲノムの解析の先鞭をつけた。さらに、DNAの抽出方法を洗練させ、その後ゲノム解析を行うために急速に発達してきた高速シーケンサーを用いて核DNAを高精度に解析していった。そして同博士は2010年、ついにネアンデルタール人の全ゲノムを世界で初めて解読したのである。

 その結果、驚くことが明らかになった。なんと現代人とネアンデルタール人は共存している間に交接したことがあったのである。そうしてその遺伝子は現代人にも引き継がれ、ヨーロッパ系とアジア系の現代人は、約1~2%がネアンデルタール人由来であることが解明されたのだ。なお、日本人では割合が少なく、0.2~0.3%がネアンデルタール人由来と言われている。

新たな人類~デニソワ人~の発見

 ベーポ博士の発見はこれだけではなかった。同博士はその後、2008年にロシアのシベリアの洞窟で発見された指の骨の遺伝子を解読し、それまで知られていなかった人類であることを明らかにした。そして、この新たな人類を、骨が見つかった洞窟の名にちなんで「デニソワ人」と名付けた。これは教科書を書き換える大発見だった。デニソワ人のDNAはオセアニアや東南アジアの人々に1~6%残されており、かつてアジア広域に分布していたことが推定された。

 その結果、アフリカから移動した現代人が、ユーラシア大陸の西側ではネアンデルタール人と、また東側ではデニソワ人と交接していたことが示された。つまり、これら古代人の遺伝子が、我々現代人にも痕跡として受け継がれているということである。

ペーボ博士の研究の与えた意味 ~医学や哲学にも大きな貢献が期待~

 同博士の研究は、現代医学にとっても重要な意味を持つ。現代人が古代人から受け継いでいる遺伝子部分は少ないのだが、たとえば新型コロナウイルス感染症などへの免疫反応に関する遺伝子の一部をネアンデルタール人から受け継いでおり、感染時の重症化リスクに関与していることが明らかになった。また、チベットの人々に受け継がれた遺伝子は、標高の高いところでの生活を有利にしていることも分かった。

 さらに、現代人は統合失調症の関連遺伝子の一部を引き継いでいるほか、実験室で作った脳のオルガノイド(細胞を培養・生育して器官としての機能をもつようにしたもの)を用いた研究により、現代人になって起きた遺伝子変異がより大きな神経細胞の成長に関係していることが分かってきた。

 現代人は古代人に比べ脳が発達し、それがヒトをヒトたらしめていると言える。それがどこから生じたかを知るには、古代人とのゲノムの比較が不可欠である。それによりヒトは何処から来て何処に行くのか分かり、人間の尊厳等の哲学的・倫理学的問題の解決の糸口となるかもしれない。

 こうして、古代ゲノム学は今や大きな学問分野となり、Nature、Science等にも頻繁に論文が発表されるようになっている。その創始者であるペーボ博士にノーベル賞が授与されるのは自然ななりゆきだったと思われる。

日本の科学技術の発展のためには

 以下は、ベーポ博士の受賞から考えたことである。

 まずベーポ博士の研究は、前述の、ゲノムを高速度で解析するシーケンサーの発達と相まって進展した。各国の協力により初めてヒトの全ゲノムの解読が行われたのは今から20年前の2003年だが、その完成までに10年以上もかかった。そのための費用は膨大で、中心となった米国は38億ドルも拠出した。だが現在では高速シーケンサーにより、1ゲノム10万円以下で、わずか1~2日で解析ができるようになっている。

 シーケンサーは今や研究に不可欠な有用なインフラであるが、これまでその開発は欧米を中心に進められてきた。日本は初期にはリードしていたにもかかわらず、現在は取り残された感がある。政府も最近になってようやくこのことに気づき、大型のプロジェクトを始めようとしている。やや遅すぎた感もあるが、今後もこのような研究の基盤となるような設備や機器を見出し、その開発を支援していけるような方策を、公明党や各党に打ち出してもらいたい。

 次に考えたいのは、海外研究者の招へいによる日本の研究力の増強である。

 研究のため海外に留学等を行う日本人研究者が減ったことが最近問題となっているが、同時に留学・研究のため来日する海外研究者も減少している。コロナ下のやむをえぬ事情もあったものの、活発な交流により科学技術の発展がもたらされることは間違いない。

 研究者招へいは単なる知識の伝授だけでなく、その研究者のノウハウや考え方そのものの伝授である。ペーボ博士は、競争している他のチームが功を焦って中途半端な解析で誇らしげに成果を発表する中、あくまで着実に一つ一つ段階を踏んで問題を解決したことで、最後に栄冠を得た。急がば回れの精神である。そのような研究者の研究スタイルや考え方が、招へいした国における研究者らの地力や研究の質の向上に与える影響は大きい。

 中国の科学技術政策を専門とする林幸秀ライフサイエンス振興財団理事長(元文部科学省文部科学審議官)によると、「中国は最近、論文の量だけでなく質でも米国を抜いて世界一になっているが、それは各国に大量に留学させて知識を吸収させて国内に帰国させているほか、海外から著名な研究者を高給で雇い、直接国内の研究者を指導させている点も見過ごせない」と語る。

 日本では2004年の大学の法人化以降、経営の基盤となる運営費交付金が削減されてきた。人件費が減り、不安定な任期付き雇用が増えた結果、若手研究者が苦労を強いられている。そのような中、海外からの研究者を雇い入れるのはなかなか大変だが、公明党や各党には適切な支援策の検討をお願いしたい。

OISTからの教訓

 ペーボ博士が客員教授を務める沖縄科学技術大学院大学(OIST)は、今から10年前、沖縄において国の世界最高水準の教育研究を行うことにより、沖縄の振興・自立的発展や世界の科学技術の発展に寄与するよう、国が主導で開設されたものである。その開設に際し、公明党をはじめとする議員らが大きな働きをしたと言われている。

 同博士の受賞はOISTの名を一躍有名にし、日本の関連分野の研究にも大きな弾みを与えることが期待されるが、実はその土壌は既に整っていた。

 OISTは進んだ教育や豊富な資金を長期間にわたり与える研究支援方策を取り入れており、今や機関の研究指標であるNature Indexで世界のトップレベルに躍り出ているのだ。これはペーボ博士だけでなく、招へいされた海外研究者全体の力により大学の研究力が底上げされたからに相違ない。

 OISTはゲノム関連では、海洋資源のゲノム解読等で進んだ成果を挙げている。またペーボ博士自体も、来日後、先述のような古代人由来の遺伝子とコロナ重篤化の関係等いくつかの成果を出している。これも優秀な研究者と、それに触発された優秀な学生が世界から集まっていることによる。OISTでは教員の6割、また学生の8割が海外の出身である。

 では、優秀な海外研究者に日本に来てもらうためにはどうしたらよいか。

 OISTの加藤重治副理事長によると「海外研究者を惹きつけるには何よりも研究環境を整えることが重要。High Trust Funding、すなわち競争的資金の獲得にあくせくするのでなく安心して一定の研究費を使える環境が用意されていなければならない。これはグルース学長をはじめOISTのモットーである。」と語る。これに倣い、海外研究者にとって魅力ある研究環境を整えていくことが必要だ。

 研究環境を改善していくための一方策として、政府は最近、10兆円規模の大学ファンドを設け、いくつかの大学に大規模な支援を始めることとしている。このような基金も活用しつつ、海外研究者にとって日本の各大学や機関の魅力が増していけば、研究交流や研究者交流がいっそう活発になり、それが日本の研究力のレベルアップにもつながる。そうした視点も持ちつつ科学技術政策を考えていく必要がある。

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔