第14回 現在の中国におけるライフサイエンス研究5~サルの脳へのヒト遺伝子の導入~

1. サルの脳へのヒト遺伝子の導入(中国科学院昆明動物研究所の例)

 2019年3月、中国科学院昆明動物研究所と米国ノースカロライナ大学らの共同研究チームは、中国科学誌『ナショナル・サイエンス・レビュー』において、ヒトの脳の発達において重要な役割を担うマイクロセファリン(MCPH1)の遺伝子を組み込んだアカゲザル11匹(うち8匹が第1世代、3匹が第2世代)を誕生させ、誕生したサルは野生のサルに比べ短期記憶がよく、反応時間も短くなるという結果が得られたとの論文を発表した。

 本件は遺伝子を導入する際にサル免疫不全ウイルス(SIV)のベクターを用いており、厳密に言えばゲノム編集技術を用いたものではないが、仮にゲノム編集技術を用いて用いても作出された動物の性質は今回のものと差はないと考えられる。

 同チームは、今回の研究における他の霊長類へのヒトの遺伝子の移植は、「何がヒトを特異的にしているのか」という基本的な問いを解き明かす上で重要な手がかりをもたらす可能性があるとしている。たとえば、ヒトは他の霊長類と比べ脳の発達時間が緩やかで長いことにより高度な知能を形成できると考えられるが、今回MCPH1遺伝子を移植したサルは、脳の発達速度が緩やかになった。

 なお研究上の倫理問題に関しては、アカゲザルは遺伝的にマウスなどのげっ歯類よりはヒトに近いが倫理上の問題が生じるほどの近さではなく、実験内容については大学の倫理委員会で審査を受けて承認を受けており、動物の権利に関する国際基準にも従った旨主張している。

2. 本件の影響

 中国を中心に、ゲノム編集を用いたサルの作出はこれまでも行われてきている。今回注目を集めたのは、ヒトの知能に関わる遺伝子を導入したところにある。

 2011年9月に、米コロラド大学デンバー校の研究チームが「チンパンジー等の類人猿はヒトと非常に近いため、ヒトの脳で機能する遺伝子を類人猿に移植するべきではない」との研究論文を発表しており、同論文の共同著者であるコロラド大学デンバー校のジェームズ・シカラ教授は本件の情報に接し、「脳の進化にまつわるヒトの遺伝子を研究する目的でヒトの遺伝子をサルに移植することは非常に危険だ」と、強く本研究を非難している。

 本実験の信頼性についても議論があり、米国の科学雑誌MCI Reviewでは、MCPH1遺伝子を移植されたサルが5匹しか実験過程において生存しておらず、一般のサルとの比較しての明確な結論は得にくい旨述べている。

 なお、日本では2009年5月、慶応大学・実験動物中央研究所の研究グループが小型のサル「コモンマーモセット」を用いて遺伝子組換えザルを誕生させている。手法としては外来遺伝子としてGFP(緑色蛍光タンパク質)が組み込まれたウィルスをマーモセットの胚に導入し、遺伝子が組み換えられた胚を7匹の代理母の胎内に戻したところ、4匹が妊娠し、計5匹の子供を産んだが、子供にはいずれもGFPが受け継がれていた。(GFPはノーベル賞学者の下村博士がクラゲから抽出したもので、マーカーとして用いられており、一般には害がないと考えられる。)
 こうした霊長類を用いることで、マウス等では困難なアルツハイマー病やパーキンソン病といった精神・神経疾患のモデル実現が期待できるが、現在、日本ではそのような遺伝子の導入は行われていない。
 日本ではこうした動物への遺伝子導入はカルタヘナ法上、第二種使用(施設内での利用)となるが、一般には機関内承認のみでよく、(たとえヒトの知能に関する遺伝子でも)大臣確認までは不要な実験となっている。また使用する実験動物の制限もない。
 ただし実態としては類人猿については行われておらず、また、組み込む遺伝子も現場では倫理的な歯止めがかかると思われる。

 しかし、このような実験が中国で堂々とやられることで、先述の受精卵のゲノム編集同様、国際的に物議を醸す可能性があり、各国が手をこまねいている間に同国で研究が進展するかもしれない。さらに万一、類人猿を用いた研究が行われた場合、ヒトの遺伝子が組み込まれることで、ヒトに近いサルが生じる可能性がある。この点、中国が暴走しないよう、見守っていかねばならない。

3.その他

 この他、中国のゲノム編集に関し、トピック的なことをいくか述べる。

 2019年1月、中国科学院神経科学研究所の研究チームは、ゲノム編集によってできたサルの体細胞を使い、同じ遺伝情報を持つクローンのサルを5匹誕生させたことを同国科学誌に発表した。その前年にも中国科学院のチームはクローンのサルを誕生させているが、ゲノム編集したサルをもとに、クローンを作製したのは世界初であった。
 具体的には、まずサルの受精卵にゲノム編集技術を用いて体内時計に関わる遺伝子を働かないようにした。それが働かないと、睡眠障害や糖尿病などになる可能性がある。次に、この受精卵をメスの子宮に移植し、サルを誕生させた。そしてこのサルの体細胞から核を取り出し、あらかじめ核を抜いた卵細胞に移植。メスザルに移植したところ、クローンのサルが生まれたという。
 チームはこの手法で、病態モデルとなるサルを作出することで、世界で医学研究に利用されるサルを減らせるとしている。

 2020年6月、中国陝西省西安市の空軍軍医大学西京医院は、ゲノム編集したブタからアカゲザルへの肝・心・腎移植を行った。研究チームはブタ内在性レトロウイルス(PERV)をノックアウトして13個の遺伝子を組み換え、免疫を働きにくくしたブタをドナーとし、肝臓、心臓、腎臓をそれぞれ別のサルに移植。なかでも肝移植を受けたサルは術後16日間生存しており、ブタとアカゲザルの補助的肝移植における生存期間の世界記録を更新したとの報道があった。
 この研究は、臓器不足の問題を解決する役割を果たすと考えられるが、既にライフサイエンスニューズレター第1回で紹介したように、米国メリーランド大学医療センターは2022年1月、心疾患の末期状態の患者に対し、遺伝子操作したブタの心臓移植手術を世界で初めて行った(その2か月後患者は死亡)。
 患者への適用は米国が一歩先んじたわけだが、中国の研究者らがこれに追随する可能性は高い。

参考資料

○L. Shi, et, al. (2019), “Transgenic rhesus monkeys carrying the human MCPH1 gene copies show human\like neoteny of brain development ”, N.S. Review; Vol.6, 480-493
○E. Coors, et. Al. (2010), “The ethics of using transgenic non-human primates to study what makes us human”, Nat Rev Genet.; 11(9), 658-662
○A. Regalado (2019), “Chinese scientists have put human brain genes in monkeys – and yes, they may be smarter”, MIT Technology review (April 10, 2019)
○「サルの脳に人間の遺伝子、中国の研究者が移植実験 批判も」CNN(2019.4.13)(https://www.cnn.co.jp/fringe/35135707.html
○「遺伝子改変霊長類の作出に成功(霊長類を用いたパーキンソン病などの難病研究が可能に)」JST(2009,5,28)(https://www.jst.go.jp/pr/announce/20090528/index.html
〇「ゲノム編集サルでクローン」日経新聞(2019.1.24)(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40424500U9A120C1CR8000/
〇中国の専門家、ブタからサルへの多臓器移植に成功」新華社(2020.7.4)(http://jp.xinhuanet.com/2020-07/04/c_139188091_2.htm

 以上で、中国における遺伝子編集技術の近況についての記事は終了とし、次回以降は中国が世界に誇る遺伝子シーケンス企業であるBGIについて取り上げる。

ライフサイエンス振興財団理事長 林 幸秀
ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔