第27回 霊長類のゲノム解読
各国の科学者が参加する「霊長類ゲノムプロジェクト」等の成果がScience誌、Science Advances誌、Nature Ecology & Evolution誌等に一連の論文として発表され、絶滅に瀕したものも含め、各種の霊長類のゲノムデータが公開された。今回はこの内容について解説する。
まず予備知識として、霊長類(primate)とは何かについて述べる。生物は学問上では一般にドメイン・界・門・鋼(類)・目・科・属(族)・種として分類される。種は一番下の単位で、種が違うと普通は交配により子供を作ることはできない。「霊長類」とは慣用名で、正式には霊長目である。我々ヒトは、真核生物ドメイン・動物界・脊椎動物門・哺乳鋼(類)・霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒト(種)、ということになる。
霊長目はサル目(サルもく)とも呼ばれ、ヒト以外の霊長目の動物の総称を「サル」としていることが多い。霊長目は16科、55属からなる(異説あり)。ちなみに、ヒト上科に属するものは「類人猿」と呼ばれ、ヒト以外に大型類人猿としてオランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、小型類人猿としてテナガザルとフクロテナガザルがある。
世界には500種以上の霊長類が存在するが、これまでに、ゲノムが解読・公開されているのはヒト以外ではチンパンジー、ゴリラ等代表的な23種だけであった。属の単位でみても、その72%は解読されておらず、進化の歴史を理解するためのデーターとしては十分でなかった。
このような霊長類のゲノムを全て解読することを目的として設立されたのが霊長類ゲノムプロジェクトである。同プロジェクトは2018年に中国科学院(CAS)傘下の昆明動物研究所の主導により開始され、現在、中国を中心に米国、英国、ドイツ、スペイン等の科学者が参加し、日本からも北海道大学や日本モンキーセンターの研究者らが参加している。
同プロジェクトでは、3期に分けて、10年間で500種余りの霊長類のゲノムを解読することを目指している。今回はその第一期が終了したということで、野生及び飼育されている霊長類から血液を採取してゲノム解読を行った。そして既に解読された23種と新たに解読された27種を合わせ、計50種のゲノムがリファレンス・ゲノム、すなわち今後同様なゲノム解読を行うための参照となるゲノムとして公開された。これにより、霊長類の14科、38属を代表するゲノムがカバーされたことになる。
一方、Science誌には、同時に、シーケンサー製造・塩基配列決定業者であるイルミナ社の研究者が主導することにより、より大規模なシーケンスを行った論文が同時に掲載され、それによると233種のゲノム解読が行われ、霊長類の16科全てと、属のうち86%を代表するゲノムがカバーされた。このプロジェクト(正式な名称は分からなかった)の規模は、上記の中国を中心とするプロジェクトより大きく、約20か国の50以上の機関から100人以上の研究者が参加している。タンザニア、マダガスカル、ペルー等の希少霊長類の生息地の研究者も参加しており、ゲノムの収集に精力が傾けられている。
両プロジェクトは互いに連携しており、中国中心のプロジェクトで得た試料やデータはイルミナ社中心のプロジェクトでも利用されたほか、研究者も重複している。このため両プロジェクトに分けず、今回の一連の論文で得られた成果について、以下に記載する。
なお中国中心のプロジェクトは収集した断片を長い断片に分けて読み取る、いわゆるロングリードのシーケンスであるが、イルミナ社中心のプロジェクトでは短い断片に分けて読み取る、ショートリードのシーケンスである。著者の推測だが、前者には中国のシーケンス企業であるBGIが参加しており、イルミナ社に対抗して開発した長い断片を読み取れるBGI製シーケンサーを使用している可能性がある。このため繰り返し配列も含めて正確なリファレンスゲノムが作成しうる。一方、イルミナ社のプロジェクトではAIが多用され、より進んだ比較解析がなされていると考える。
○研究成果としては、まず、完全なゲノムデータに基づき、系統発生を精密に分析し、その結果、白亜紀と第三紀の境界である6,495万年~6,829万年前に霊長類の共通祖先が出現したことが推定された。
○系統発生のさまざまな段階で、自然選択を受け生き残ってきたとみられる霊長類に特有な、数千の遺伝子が解析された。その中には骨格系、消化器系、感覚系の発達に重要な遺伝子が含まれており、霊長類の進化に貢献したものと考えられる。
○AIを利用して、系統分岐の時期をより正確に決められるようになった。たとえば系統分類上、チンパンジーとボノボはヒトに最も近い種であり、ヒトとDNAの98.8%が共通である。だがヒトのゲノムの15%はそれらよりむしろゴリラのゲノムに近い。
これは不完全系統分類仕分け(ILS)と呼ばれる現象である。すなわち進化において、種の分岐とは別に遺伝子の分岐が起こり、種を超えた表現型の進化につながっている。その分析結果は化石記録による年代測定と非常によく一致しており、これは、化石記録による補正がなくても、ゲノムの比較による分子年代測定により種の分化時期の正確な推定値が得られることを示唆している。
実際にこれにより、ヒトにつながる系統と、チンパンジーやボノボにつながる系統はこれまでの推定よりわずかに古い、690万年前から900万年前に分化したことが明らかになった。
○もともと霊長類の祖先は夜行性だったが、昼間に活動するようになるとすぐに赤、緑、青の視覚が進化して熟した果物を識別できるようになり、甘味を感知する遺伝子が変化し始めたことが分かった。
○霊長類は他の生物に比べ、集団として社会生活を営む性質を持つが、その根本にある生物学的メカニズムはあまりよく分かっていなかった。
今回、アジアのコロンビアザルについてゲノムデータを用いて種の分化プロセスを再構築した結果、環境温度と種のグループサイズの間に強い相関関係があることが分かった。そして古代の氷河期は霊長類の社会形態の発達を促進したことが分かった。
また、テングザルは進化に際し寒冷適応や神経系に関する遺伝子を保有した。その一つはDA/OXT受容体という、社会的な絆を媒介する神経ホルモンで、その結果、社会的な結束や協力が促進され、子供の生存率も高まったことが推測された。
○今回決定した種の中には、個体数が激減し、絶滅の危機に瀕しているものもある。そして、種の個体数が減少すると、生き残った種の間で近親交配が起こり、遺伝的多様性は狭まる。ところが驚いたとこに、今回調べた多くの種は、比較的高い多様性を維持し、ヒトより高いものも多かった。
これは、霊長類の個体数が激減が最近になって起こったことで、近親交配による種の多様性を低下させる時間がなかったことを示唆しており、種の絶滅が急速に進行していると考えられる。
参照とした記事には、野生の種も含め、試料の収集・利用に、政府の許可等も含め、膨大な時間と労力を伴ったことが書かれれていた。今後、まだ未解読の種のゲノム情報を埋めていく作業はますます困難を極めることが予想される。
しかし、これらプロジェクトは、霊長類、特に人類の起源を知るのに大いに役立つものである。また脳の発達や人類に特有の病気の起源等も知ることで生命科学や医学の発展につながる。さらに、それら希少種を絶滅から救うことが可能となるかもしれない。
このような意味で、今後の国際協力のさらなる進展、とりわけ現在、少々存在感の薄い我が国の貢献も期待したい。
(参考文献)
・E. Pennisi (2023)“Primate genomes offer new view of human health and our past”, Science; Vol.380, 881-882
・D. Lewis (2023/6/1) “Biggest ever study of primate genomes has surprises for humanity”, Nature(https://www.nature.com/articles/d41586-023-01776-6)
・“The primate genome project unlocks hidden secrets of primate evolution”, BGI Group (2023/6/1)(https://phys.org/news/2023-06-primate-genome-hidden-secrets-evolution.html)
・「中国人科学者主導プロジェクトで大きな進展、霊長類27種のゲノムデータ公開」新華網(2023.6.5)(https://news.livedoor.com/article/detail/24368364/)
ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔