第53回 次のパンデミックは何になるか
1.はじめに
世界保健機関(WHO)は本年7月末、次のパンデミック等を引き起こす可能性のある病原体について、従来のリストを更新し、大幅にその数を増加したものを報告した。今回はそれを踏まえつつ、各病原体の特徴や最近の状況、対応の在り方等について考察することにする。
2.WHOのリストの経緯と概要
WHOは、パンデミックや、その前段階である「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEICs)」につながる可能性のある病原体について検討してきている。
これまで2017年と2018年にそれぞれ約10種の病原体をその候補(優先病原体:priority pathogens)として公表した。両年に発表された病原体の種類はほぼ同じであり、2018年には、ラッサ熱ウイルス、MERSコロナウイルス、SARSコロナウイルス、エボラ出血熱ウイルス、マーブルグ熱ウイルス、ジカウイルス、クリミアコンゴ出血熱ウイルス、ニパ・へニパウイルス、リフトバレー熱ウイルスといった9つのウイルスのほか、これまで知られていない新たな疾病(X)を引き起こす病原体が候補として挙げられている。
その後、そのような優先病原体の公表はなく、検討も小休止していたと思われる。だが、2020年にCOVID-19として世界的パンデミックを引き起こした新型コロナウイルス(ウイルス名SARS-CoV-2)のような病原体が今後も出てくる可能性も踏まえ、WHOは、2022年後半から新たなリストを作るべく作業を開始した。
そしてその成果が取りまとめられ、今年7月30日、報告書として公表されたのである。
同報告書の作成に際し、54か国から200人以上の科学者が参画し、1,652種の病原体(ウイルスと細菌)について検討を行った。
そして、その中から、感染性や毒性が非常に強く、しかも現段階では広範囲にわたる被害を防ぐための医療介入(ワクチン、治療方法等)がないか遅れているものとして、33種を抽出し、パンデミック等のリスクがある優先病原体として提示した。2018年版と比べると3倍以上の数になったのである。
WHOは、研究者はワクチン、治療法、診断法を開発する際に、まずはこれらの病原体を優先すべきであるとしている。
下図は、WHOの表から優先病原体を抽出して和訳したものである。ウイルスや細菌の国際的な分類・命名はかなりの頻度で変わっているため、英文では各年の表の記載に微妙な違いが見られるものもある。だが、ここでは分かりやすくなるよう、厳密には英語の学名とは対応しないが、主に日本語の慣用名で記載している。
さらにWHOは、上の表には含まれていないが、パンデミックやPHEICを引き起こす可能性のある科(ファミリー)から37種の病原体を、潜在的なプロトタイプ病原体として選定した。同じ科の病原体は遺伝子をはじめ多くの類似点があり、科内の1つの株に対する治療法やワクチンが別の株にも転用できる可能性がある。
プロトタイプ病原体は、そのような科全体に適用できる医療対策を開発するための基礎研究のモデルとして選ばれた、科の代表的な病原体である。たとえばヘパドナウイルス科からはオルソヘパドナウイルス・ホミノイデイ(Orthohepadnavirus hominoidei)(遺伝型C)が、パルボウイルス科からはプロトパルボウイルス・カルニボラン(Protoparvovirus carnivoran)が、それぞれの属のプロトタイプ病原体として選定されている。
報告書では、科学者や公衆衛生当局者を、無くした鍵を探す人に例えている。上図で、街灯で照らされた部分は優先病原体を表し、また、プロトタイプ病原体の研究により、その周辺の明るい部分を拡大することができる。ただ、どの部分が実際に次のPHEICやパンデミックを引き起こすか分からないため、それ以外の暗い領域も無視できないとしている。
3.主な病原体の特徴や最近の状況
以下、今回新たにリストアップされた主な病原体の特徴や最近の状況等を科毎に簡単に述べる。なお名称や分類の変更によるものについては省略する。
(1)細菌
従来の優先病原体のリストではウイルスしか対象になっていなかったが、今回のリストではウイルス以外に、コレラ菌(血清型0139)、ペスト菌、志賀赤痢菌(血清型1)、非チフス性サルモネラ菌、肺炎桿菌の5つの細菌が掲載された。
コレラ菌、ペスト菌、赤痢菌は、非衛生的な環境等で古来から大規模な感染を引き起こしてきたことでよく知られているが、衛生環境や衛生理念の改善、抗生物質の投与等により、最近では大規模な感染は減ってきた。しかし今後、災害や戦争、貧困等により衛生環境が悪化し、さらに抗生物質が十分供給できないような場合、大きな感染を引き起こす可能性がある。
サルモネラ菌は、汚染された食品や、ヒトからヒトへの接触を通じて広がり、特に幼児にとって重篤な下痢性疾患を引き起こす可能性がある。血清型によっては、侵襲性で命を脅かす疾患を引き起こすものもある。これらの細菌を治療するためのワクチン候補がいくつか臨床試験の初期段階にあるが、まだ有効なものはない。
肺炎桿菌は通常、腸内にいる細菌であるが、体内に広がると疾患につながる可能性がある。病院やその他の医療現場で、ヒト間の接触や感染した器具を介して広がり、肺炎、髄膜炎、血流感染、傷口や手術部位の感染等を引き起こす。特に一部の細菌が抗生物質に耐性を持つ「スーパーバグ」になりつつあり、懸念されている。
(2)コロナウイルス科
コロナウイルス科には、2000年代初頭のSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルス、2010年代のMERS(中東呼吸器症候群)ウイルス、そして先述の2020年に世界的パンデミックを引き起こした新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)等が含まれる。
従来のリストではこれら特定のウイルスが優先病原体として掲載されていたが、今回のリストではMERSコロナウイルスが含まれるメルベコウイルス亜属、SARSコロナウイルスやSARS-CoV-2が含まれるサルベコウイルス亜属といった、亜属全体として掲載された。これは、既に流行したものだけでなく、コウモリ、ラクダ、センザンコウ等、一般に動物を宿主としているコロナウイルスが変異等することによりヒトへの感染力が強まりパンデミックにつながる可能性も考慮してのことである。
(3)フラビウィルス科
フラビウイルス科では、従来のリストではジカウイルスのみ掲載されていたが、新たなリストではデングウイルスとフラビウイルスが追加された。
デング熱は蚊が媒介するウイルス性疾患で、症状がない場合もあるが、重篤な病気を引き起こし、入院や死亡につながることもある。東南アジアや西太平洋地域の人々は熱帯気候のため感染リスクが高くなるが、デングウイルスは世界中に存在し、日本でも最近では2014年に蚊を媒介とした感染がみられた。
(4)ハンタウイルス科
ハンタウイルス科では、シンノンブレウイルスとハンタウイルスが掲載された。
ネズミ等から感染し、腎症候性出血熱やハンタウイルス肺症候群といった重篤な症状を引き起こす。死亡率は40-50%と高い。
(5)オルトミクソウイルス科
オルトミクソウイルス科は、インフルエンザウイルスを含む科である。このうちアルファ(α)インフルエンザ属に含まれるウイルスは一般にA型インフルエンザウイルスと呼ばれるが、今回のリストでは7種類のA型インフルエンザウイルスが掲載された。
同ウイルスには、2009年に大流行を引き起こしたブタ由来のインフルエンザウイルス(H1亜型)や、今年米国で牛や酪農従事者の間で発生した鳥インフルエンザウイルス(H5亜型)等が含まれる。(本ニューズレターでも紹介(第16回、第46回))。
専門家らは、同ウイルスが変異を繰り返していることから、パンデミックを引き起こす可能性のある新たな病気Xが同ウイルスから出現する可能性が高いと警告している。
(6)ピコルナウイルス科
ピコルナウイルス科では、コクサッキーウイルスが掲載された。同ウイルスは、手足口病の原因となるウイルスが含まれる。
(7)ポックスウイルス科
ポックスウイルス科では、エムポックスウイルス(旧名称サル痘ウイルス)と天然痘ウイルスが掲載された。
エムポックスウイルスは、昔から中央アフリカの一部で風土病として知られていたが、2022年に世界的に大流行した。現在、コンゴ民主共和国(DRC)でより危険な株が蔓延しており、WHOは本年8月、本ウイルスの流行についてPHEICの宣言を行った。
天然痘ウイルスについては1980年に根絶されたが、これにより人々が天然痘の予防接種を受けなくなり、免疫ができなくなったため、研究用のウイルスの漏洩や意図的な放出等によりパンデミックを引き起こす可能性が出てきている。
(8)レトロウイルス科
レトロウイルス科ではフミンデ・レンチウイルスが掲載された。
フミンデ・レンチウイルスは、世界的な緊急事態を引き起こすリスクが中程度に分類されているが、WHOは、種を超えて感染し、症状は遅れて出るものの、発症した場合は壊滅的になるとしている。これに対するワクチンはないが、抗ウイルス治療はある程度有効であり、アフリカ地域では特に重要である。
(9)トガウイルス科
トガウイルス科では、チングニアウイルスとベネズエラウイルスが掲載された。
チングニアウイルスは蚊によって媒介され、発熱や関節痛を引き起こす。
ベネズエラウイルスも蚊によって媒介され、発熱や頭痛、筋肉痛のほか、脳炎を引き起こす場合もある。実験室レベルではあるが、エアロゾル噴霧による感染も報告されており、生物兵器としての可能性も示唆されている。
4.日本の対応
では、日本は今後のパンデミックに対し、どのような対策を講じているか。著者の把握している範囲で述べる。
日本では今年7月、新たな「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」が閣議決定された。
従来の計画は2009年の新型インフルエンザの世界的流行を受けて2013年に策定されていた。主に新型インフルエンザを念頭に、流行は比較的短期間で終息するとの前提に策定されていたが、新型コロナ等他の感染症対応では十分機能しないとの指摘があった。
このため、新たな行動計画では新型インフルエンザ、新型コロナ以外も含めた幅広い感染症による危機に対応できる社会を目指すことになった。
新計画では記載全体を大幅に充実させた。流行の波が繰り返すことを念頭に、医療体制の整備等、平時の備えを充実させることを掲げた。また政府は、科学的知見が十分得られていない段階でも緊急事態宣言を含めた措置を講じることができるとされた。さらに、国と都道府県がどのように役割分担をするかも明確化し、国についてはワクチンや診断薬・治療薬の早期開発や確保に向けた責任も定めた。
なお、これを支える体制であるが、政府は2023年9月、内閣感染症危機管理統括庁を発足させ、それまで厚労省や内閣官房等に分散していた感染症対応機能を一元化した。同庁はパンデミックに対し、平時からの備えや初動対応、政府全体の方針立案といった司令塔機能を担うことになった。
また、2025年4月には国立感染症研究所と国立国際医療研究センターを統合した新たな専門家組織である国立健康危機管理機構(JIHS)も創設される。JIHSは米国の疾病対策医療センター(CDC)をモデルとし、情報収集や分析で得られた科学的知見を提供することになる。
5.おわりに
WHO報告書に述べられているように、リストはパンデミックやPHEICの可能性の高いものを抽出したものであるが、これらとは違う、全く思いもよらない病原体Xが出現する可能性は否定できない。
しかし、こうした枠組みを一つの目安として示すことにより、監視や治療・ワクチン研究等をやみくもに行うより、はるかに効率的に実施することが可能となる。これらリストを踏まえつつ、世界各国が共通認識を持って研究や監視の国際協力や情報交換を推進していくことが必要だと考える。
日本の新たな体制での取組みも見守っていきたい。
参考文献
・ “Pathogens prioritization” (June 2024), WHO R&D Blueprint
(https://cdn.who.int/media/docs/default-source/consultation-rdb/prioritization-pathogens-v6final.pdf?sfvrsn=c98effa7_7&download=true)
・S. Mallapaty (2024) “The pathogens that could spark the next pandemic”, Nature; Vol.632, 488
・G. Galvin, “Here are the global pathogens that health officials say could cause the next pandemic”, euronews (2024/08/06)
(https://www-euronews-com.translate.goog/health/2024/08/06/here-are-the-global-pathogens-that-health-officials-say-could-cause-the-next-pandemic?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc)
・国立感染症研究所ホームページ(https://www.niid.go.jp/niid/ja/)
ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔