第1回 動物臓器のヒトへの移植~世界初のブタ心臓移植のもたらした衝撃

 米国メリーランド大学医療センターは本年3月9日、遺伝子操作したブタの心臓移植手術を世界で初めて受けた患者が死亡したと発表した。移植を受けたのは心疾患の末期状態にあった同国メリーランド州在住の57歳の男性であった。 この患者は、担当の医師から通常の心臓移植や人工心臓ポンプでの治療は適さないと診断され、生存のための唯一の選択肢としてブタの心臓を移植する手術を受けることを決断した。

 そして米国食品医薬品局(FDA)からの緊急許可を受け、本年1月7日、移植手術が行われた。移植手術後、懸念されていた拒否反応は見られず、リハビリなどを進めていたが、病状が急変し数日後に亡くなったとのことである。亡くなったことは残念であったが、末期症状の患者が2か月延命できたことは大いに意義があり、今後死亡原因の究明とさらなる手術の改良が期待される。

 ブタの心臓は、ヒトの心臓と構造がよく似ている。ただし、ブタは成長すれば体が大きくなり、心臓もヒトの心臓と比較してかなり大きなものになる。しかし、子ブタだと心臓の大きさはヒトのものとほぼ同じくらいである。そこで子ブタの心臓を用いた移植手術が検討されたのである。
 ブタの心臓をヒトに移植すると、通常、強烈な拒絶反応が起きる。そこで研究者らはブタに遺伝子操作を行い、ブタの細胞から拒絶反応に関係する物質を取り除いた。すると、ヒトに移植しても拒絶反応が起こらず、スムーズにくっつくことができたのである。少し詳しく言うと、ブタのゲノムから、免疫の働きによる拒絶反応(抗体関連型拒絶反応:AMR)を引き起こす3種類の遺伝子を取り除くとともに、ブタの心臓組織の過大な成長を防ぐためにもう1つの遺伝子を除去した。さらに、免疫受容にかかわるヒトの遺伝子6種類を挿入した。そのような遺伝子組換えブタを作り、そこから心臓を取り出してヒトへの移植に用いたのである。
 このように動物の臓器を移植することが可能となれば、脳死患者からの移植を考えなくてもすむことになる。移植先進国の米国でも移植用の臓器は不足している。米国保健資源事業局(HRSA)によると、2021年には移植待機リストには全米で10万人以上が登録されており、全米で4万回以上の臓器移植が行われているものの、移植が間に合わず年間6,000人以上が死亡している。我が国ではもっと状況は深刻で、日本臓器移植ネットワーク(JOT)によると、現在、臓器移植を希望してJOTに登録している患者は約1万5,000人いるが、2020年度の心臓移植の件数はわずか48件に過ぎず、これに肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸を加えても300件余りである。

 ブタの臓器利用ということで近年有名になっていたものに、「ブタ工場」というアイディアがある。これはヒトのES細胞やiPS細胞を特定臓器を作る遺伝子が欠失したブタの胚(胚盤胞)に移植することにより、誕生したブタの内部にヒトの臓器を作る方法であり、大きな期待がかけられた。このブタ工場は理論的には可能で、マウスとラットなど、いくつかの動物では既に成功している。だが、ヒトとブタでは実現していない。また、たとえできたとしても、その膵臓には血管や神経がブタのまま残る可能性が高く、また、それ以外の部分でも純粋なヒト細胞が100%集まったものでなければ、混入したブタの細胞により拒絶反応が起きる。さらに、膵臓については膵臓でだけ働く不可欠な遺伝子が発見されているので、当該遺伝子を除去することで膵臓のできないブタの作出が可能だが、心臓や他の臓器ではそのような遺伝子は見つかっていないため、このような巧妙な方法はとれない。
 今回の移植手術で用いられた、拒絶反応の元になる物質を取り払ったブタは、このブタ工場の欠点を克服した方法と考えられ、一挙に期待が高まったのである。一般の人々だけでなく、再生医療の研究者らも盲点を突かれた形である。

図 ブタ工場の概念図と今回の移植方法  作成:著者(佐藤真輔)

 ヒトの脳死者などの臓器を用いた移植手術で、最大の問題は倫理的観点である。代替手段の検討はいろいろ行われてきている。人工臓器の開発は従来から行われているが、生体臓器の代替となるにはまだまだ開発が必要である。近年、臓器を細胞から人工的に構築する、オルガノイドと呼ばれる手法に期待がかけられているが、これは細胞を3次元的に培養することによって、自己複製・分化を行わせ、自己組織化により形成させるものである。拡大すると本物そっくりの解剖学的構造を示すが、現在は数ミリメートル大が上限である。現在は創薬研究等が中心であるが、その技術は急速に進歩している。

 これらさまざまな英知を組み合わせ、臓器移植を求める患者によい未来がもたらされることを大いに期待したい。

参考文献

・S. Reardon “First pig-to-human heart transplant: what can scientists learn” Nature news, 14 January 2022
・松岡由希子「世界初のブタ心臓移植を受けた男性が死亡」Newsweek日本版、2022年3月15日
・「世界初のブタ心臓移植を受けた男性が死亡、術後2か月アメリカ」 BC NEWS JAPAN、2022年3月10日

2022年6月2日

ライフサイエンス振興財団嘱託研究員  佐藤真輔