第6回 中国のライフサイエンス研究の歴史6~文革による後れの回復~

1. 回帰政策と科教興国戦略

 文革時代の約10年間の空白は大きく、1980年代や1990年代の中国においては、中堅若手の人材が決定的に不足していた。そこで政府が取り組んだのは、海外にいて優れた成果を上げた中国人研究者の呼び戻しであった。この呼び戻し政策は「海亀政策(回帰政策)」と呼ばれ、1994年に中国科学院によって開始された「百人計画」がその最初を飾る。中国政府の求めに応じて、優れた人材が続々と帰国し、非常に若くして研究責任者、研究室長、大学教授などに就いた。

 さらに中国政府は1995年に、主に科学技術と教育によって経済の発展と社会の進歩を促進すべきであるとする「科教興国戦略(科学・教育立国戦略)」を示した。1997年、重点基礎研究発展計画(973計画)を開始し、経済・社会発展における重大な科学問題を解決しようとした。1998年、21世紀に向けて高等教育を発展させる「211」プロジェクトならびに世界一流レベルの大学を建設する「985」プロジェクトを開始した。

 ライフサイエンス研究も、この時期から画期的に拡大していく。欧米や日本において、分子生物学、構造生物学などの新しい生物学を学んだ気鋭の科学者や研究者が帰国し、大学や研究所の研究責任者に就いていった。政府は設備装置や研究費の面で彼らを支援し、それに応えて彼らは優れた成果を上げていった。鄧小平が主導した改革開放路線による経済政策が成功し、2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟すると経済がさらに急激に発展し、研究成果が質量ともに急激に増大するとともに、海亀組の人材が研究所長や大学学長に続々と就任していった。

2. 百人計画

 「百人計画」は、中国科学院が主導して1994 年に開始された最初の「高目標、高基準、高強度」人材の招致、育成政策である。計画立案の当初、20世紀末までに国内外の優秀な若手学術リーダーを毎年100人抜擢することを目標として掲げたことから「百人計画」と名付けられた。1997年より「海外傑出人材導入計画」と「国内百人計画」とに分けられ、2001年には「海外有名学者計画」が追加された。

 対象となった人材の要件は次のとおりである。

・「海外傑出人材導入計画」:博士号取得後、海外で2年間以上の経験を持つ者、国内外の学術界で一定の影響力を持つ者、国際レベルの研究成果を挙げた者、重大発明を持つ者等

・「国内百人計画」:中国科学院内部で影響力のある成果を挙げた者、または中国科学院外部で「国家傑出青年科学基金」(後述)を取得した者等

・「海外有名学者計画」:海外で助教授以上または相当するポストにあった者、当該研究分野に造詣が深く国際的にも高い知名度と影響力を持つ者等

 処遇として、海外傑出人材と中国科学院外部からの国内人材には、給与、医療保険、手当てなどが支給されるほか、200万元の研究費が与えられた。また、海外有名学者と中国科学院内部からの人材には、100万元の研究費が与えられた。

 任期は3年間であった。

 3. 高福博士~中国版CDCの責任者

 ライフサイエンス関係でも、多くの優秀な研究者が中国科学院の百人計画で帰国し、国内の大学や研究機関の幹部に登用されていった。以下にその中の一人で、最近まで中国版CDCの責任者であった高福博士を紹介したい。

高福博士(右)と筆者

 高福博士は1961年山西省に生まれ、1983年山西農業大学を卒業し、1991年に英国オックスフォード大学で生物化学の博士号を取得した。その後、米国ハーバード大学などでポスドク研究者となり、2004年に百人計画の一つである国家傑出青年科学基金を受賞して、中国科学院の微生物研究所所長として帰国した。2013年に中国科学院の院士となり、2017年に中国疾病予防制御センター(中国版CDC)のトップである主任に就任した。

 主な研究分野は、T細胞認識、インフルエンザウイルスなどのエンベロープウイルスの侵入の分子メカニズム、鳥インフルエンザなどの動物由来の病原微生物の種間感染メカニズム及び分子免疫学である。2005年には、微生物研究所と東大医科研との間で協力研究を開始しており、これらの成果により2014年に日経アジア賞、2018年には日本の外務大臣表彰を受けている。

 高福博士は、2019年末から2020年初頭にかけて新型コロナが武漢で蔓延した時期に、防疫の責任者である中国疾病予防制御センター(中国版CDC)主任としてマスコミに対し率直な物言いをしたことで、一時消息が不明となった。マスコミでの発言が政府首脳の怒りを買ったため失脚したとの噂もあったが、その後同センター主任のポストが維持された形で姿を現し、陣頭に立っての指揮を継続した。2022年7月には、無事役目を終えて同センターの主任を退任している。

 高福博士は、中国におけるライフサイエンス研究の重要人物の一人であり、現在、国家自然科学基金委員会(NSFC)副主任、英国オックスフォード大学客員教授である。また、米国、ドイツ、英国などのアカデミーの会員となっている。

参考資料

・日経アジア賞受賞者2014年 https://nikkeiasiaaward.org/jp/pastwinners/index.html  

・高福退任の記事 中国疾病预防控制中心领导班子调整