第9回 中国のライフサイエンス研究の歴史9 ~21世紀における科学技術の発展~

世界トップレベルへ

 現在、中華人民共和国が成立して70年以上が推移し、改革開放以降の弛まぬ努力を経て、中国の科学技術は世界的な注目を集めるほど大きな成果を挙げており、科学技術の全体的な能力は向上し続けている。中国の科学技術のレベルは、重要な分野で世界の上位に躍り出ており、一部の先端分野で先進国をリードする段階に入るようになった。とりわけ論文や特許などの面では、現在欧州諸国や日本を圧倒し、世界ナンバーワンの米国をも凌駕する勢いとなっている。

 ライフサイエンス研究も同様であり、20世紀末までは動植物学や中医学を中心とした医学、農学といった新中国建国以前から存在していた学問が中心であり、近代臨床医学や基礎生物学の中でも細胞生物学、分子生物学、再生生物学などの分野では、欧米がはるかに先を行っていて、文革の空白期の影響もあって中国の研究は後れている状況にあった。
 しかしその後の中国政府の積極的な政策もあり、欧米や日本で研鑽を積んでいた有力な研究者が続々と帰国し、21世紀に入ってからは中国国内の基礎生物学、医学、農学などの分野の研究を世界的な水準に押し上げている。とりわけ最先端のゲノム科学やゲノム編集の研究は、世界でも米国と同等の成果を挙げていると言われている。
 さらに、近年発生したゲノム編集技術による人間のベビーの誕生など、他の国では忌避されている研究が行われてきたことなどが、国際的な話題となっている。

屠呦呦のノーベル生理学・医学賞受賞

 近年の中国におけるライフサイエンス関係のレベルを示すエピソードを紹介したい。 2015年、中国の科学技術界に朗報がもたらされた。中医科学院の屠呦呦(とようよう)研究員が、日本の大村智博士らとともにノーベル生理学・医学賞を受賞したのである。

ノーベル賞を受賞する屠呦呦 百度HPより引用

 屠呦呦は、1930年に浙江省の寧波(にんぽー)に生まれ、1951年に北京大学医学部薬学科に入学し、漢方薬の生薬を専攻した。1955年に卒業した屠呦呦は、中医研究院(現在の中国中医科学院)に配属を命ぜられた。
 大きな転機が訪れたのは1969年で、政府により開始されたマラリア特効薬の開発プロジェクトへの参加である。1960年代に入って徐々に本格化したベトナム戦争において、中国はソ連とともに北ベトナムの同盟国として軍事的な支援を行った。北ベトナムでは中国の南部地方と同様に、マラリアは兵士や一般庶民を苦しめる病気であり、従来から特効薬として用いられていたクロロキンでは原虫に耐性が出始めていた。そこで中国は、自国民の治療だけでなく同盟国の北ベトナムを支援すべく、関係機関にマラリアに対する新薬開発を命じた。
 マラリア新薬の開発を命ぜられた機関の一つが中医研究院であり、屠呦呦はプロジェクトチームのリーダーに指名された。屠呦呦は、約2,000の伝統的な漢方の調剤法を調べた。その過程で1971年に、ヨモギの一種「黄花蒿(日本名はクソニンジン)」から抽出された物質が、動物体内でのマラリア原虫の活動を劇的に抑制することを突き止めた。翌1972年に、その純物質を取り出し「青蒿素」と名付けた。これは、欧米で「アルテミシニン」と呼ばれており、この物質の発見がノーベル賞受賞につながったのである。

三無科学者という批判

 ところが、ノーベル賞受賞後の中国科学界の反応は、必ずしも屠呦呦に対し好意的なものではなかった。それは、彼女が「三無科学者」と呼ばれたことでも判る。彼女は博士号取得者ではなかった。また海外に滞在しての教育・研究経験がない。そして中国科学院の院士ではない。これらは、現在の中国科学界における正統派の学者・研究者とはかけ離れた経歴であり、そういった正統派の人たちから嫉妬を含む反感が、彼女に浴びせられたのである。

 しかし、屠呦呦が教育を受け精力的に研究を進めていた時代を考えると「三無科学者」という蔑称はいわれなき中傷に近い。
 まず博士号であるが、屠呦呦が北京大学に在籍していた時代には、中国国内で博士号の授与制度が確立していなかった。確立したのは文化大革命後の1981年で、「学位条例」の施行以降である。
 海外での経験がないという批判も、彼女が活躍していた時代を考えるといわれなき中傷と考えられる。当時中国は東側陣営に属しており、西側への留学や研究滞在はほとんど不可能であった。また漢方医学という専門分野から見ても、あえて海外での経験を求める必要性がなかったであろう。
 三つ目の院士ではないと言うのも、彼女の業績云々ではなく中国科学界の度量の狭さを示すものであろう。女性であり、研究分野が比較的マイナーな漢方医学であり、所属する研究組織が有名大学や中国科学院傘下の主要研究所ではないことに起因していると想定される。

 ただ、時間が経つうちにこのような反感が徐々に収まってきており、2017年1月には国家最高科学技術賞を受賞している。現在も屠呦呦は、中国中医薬研究院中薬研究所の終身研究員として、後進の指導に当たっている。