第63回 新たなゲノム編集技術により重い代謝疾患の乳児が治癒か
1.はじめに
米国のPrecision BioSciences社は、新たなゲノム編集技術を用いて、OTC欠損症という重篤な遺伝子疾患を持つ乳児が治癒した可能性があることを発表し、Science誌等に記事が掲載された。今回はこの内容について、背景や意義等も含めて分析・考察する。
2.遺伝子治療の経緯とゲノム編集技術の適用について
ゲノム編集技術を用いた遺伝子治療については、本ニューズレターでも何度か紹介してきた(「一塩基編集技術による遺伝子治療の幕開け(第10回)」、「ゲノム編集を用いた遺伝子治療が進展(第35回)」)。
簡単におさらいすると、遺伝子治療技術は以下の順で改良・進化してきた。
①遺伝子組換え技術を用いる方法
②アデノ随伴ウイルス(AAV)等のウイルスを用いる方法
③ゲノム編集を用いる方法
このうち③のゲノム編集として、大雑把に言って3つの方法が開発されてきている。
③-1「CRISPR/Cas9(ZFN、TALEN等も)」:目的とする原因遺伝子のところでDNA二本鎖を切断し、遺伝子の機能を喪失させる方法。
③-2「一塩基編集法(CRISPR2.0)」:遺伝子の一文字(塩基)を置換して修復する方法。二本鎖を完全に切断するのではなく、片側の鎖だけを切断する。
③-3「プライム編集」:一塩基ではなく遺伝子そのものを編集する。
以上はあくまで大雑把な流れであり、実際にはこれら以外、又はこれらを組み合わせたさまざまなバリエーションが開発されてきている。
3.今回の研究までの経緯
今回の臨床試験は、ARCUSという手法をOTC欠損症という疾患に適用したものである。そこで、ARCUSとOTC欠損症について説明する。
(1)ARCUSについて
ARCUSは藻類由来のプロテアーゼ、つまりタンパク質分解酵素で、20年前に特定された。そして、研究者らはそれをカスタマイズ、すなわちニーズに応じて改変可能な遺伝子エディターとして仕立てた。
CRISPR/Cas9ではヌクレアーゼ(DNA切断酵素)を標的部位に運ぶために、標的と相同配列を持つガイドRNA配列が必要だが、ARCUSではこのプロテアーゼ酵素だけで染色体の特定の場所に狙いを定めることができる。その特定の場所というのを、染色体上で組み込んでも害のない部位(これをセーフハーバーと呼ぶ。)にしておけば、CRISPR/Cas9で懸念されるようなオフターゲット変異、すなわち目的外の部分の変異が起こる可能性は低くなる。
また、CRISPR/Cas9を体内の目的部位に効率よく届けるには人工のカプセル等に入れてやらねばならないが、AUCUSはCRISPRよりも小さいため、AAV等のウイルス中にパッケージ化するのも簡単である。
これらの利点もあり、AUCUSはCRISPRよりも使いやすく、精度も高くなる可能性がある。
(2)OTC欠損症について
OTC欠損症とは、オルニチントランスカルバミラーゼ(OTC)という酵素活性が低下・欠損することで発症する病気である。そうなるとアンモニアを排泄可能な尿素に変えることができなくなる。その結果、アンモニアは血液中に蓄積し、発作、脳損傷、さらには死をもたらす可能性がある。
OTC欠損症は尿素サイクル異常症の中でも最も頻度が高く、特に乳児の患者に対しては、完治のためには肝臓移植だけが有効な治療法とされている。
なおOTC遺伝子はX染色体上にあり、「X連鎖性遺伝形式」で遺伝する。女性にはX染色体が2本あり、1本の染色体上のOTC遺伝子が異常でも、もう1本の染色体上のOTC遺伝子が正常ならあまり問題はない。だが男性ではX染色体が1本しかないため、症状が重くなる。
OTC欠損症は、実は遺伝子治療の歴史において重要な位置づけにある。
1999年、米国ペンシルバニア大学で、この疾患を患うゲルシンガーという名前の当時18歳の患者に対し、アデノウイルスを用いた遺伝子治療が行われた。患者の症状自体は比較的軽かったが、遺伝子治療の結果、患者は重篤な感染症を起こして死亡した。その後、動物実験で同様な感染症が見られていたにもかかわらず、それが当局に報告されていなかったこと等が明らかになる等、物議を醸した。
この事件はゲルシンガー事件として知られ、それ以降、遺伝子治療は長期間停滞することになった。
さらに、今から8年前、サンガモ社がZFNを使用して、代謝障害や血液凝固障害の見られるOTC欠損症の成人患者の肝臓のセーフハーバー部位に治療遺伝子を導入した。だが追加された遺伝子は時間経過とともに、症状を緩和するのに十分なタンパク質を産生しなくなった。
(3)ARCUSのOTC欠損症適用
デューク大学の科学者らが設立した企業であるPrecision Biosciences社は、さまざまな病気の治療に、このARCUSを利用したシステムを開発している。それを今回、OTC欠損症の治療に用いたのである。
実際には米国のiECURE社がPrecision BioSciences社からライセンスを取得し、各種試験を行った。用いたのは、コレステロールを調節する肝臓酵素PCSK9をコードする遺伝子の近くにOTC遺伝子を挿入するように設計されたもので、彼らはこれをECURE-506と呼んだ。PCSK9遺伝子は、それがなくても生活に支障がない。そこで、ECURE-506では、正常OTC遺伝子の挿入によってPCSK9遺伝子を無効にし、PCSK9遺伝子のプロモーター等遺伝子のスイッチのオンオフに関わる部位を利用して正常OTC遺伝子を強制的に発現させるというものである。

iECURE社は、まず、乳児を含むサルを対象にした研究でこの方法を試みた。すると、肝細胞の最大30%で導入した遺伝子が発現した。これは、アンモニアを分解するのに十分なOTCを生成していると考えられた。また、導入遺伝子の働きは、導入1年後も低下しなかった。こうして、ヒトに適用するための準備が整った。

なおiECURE社の共同創設者であるJ. ウイルソン氏は、先述ゲルシンガー事件の際、ペンシルバニア大学で、遺伝子治療の治験の共同責任者だった。同氏にとっては、OTC欠損症はまさに因縁の疾患であり、今回の新たな治療法の適用により、捲土重来を期していると言えるだろう。
4.ヒトへの適用と現在の成果
(1)方法と成果
ECURE-506のヒトOTC欠損症患者への適用は、昨年、1/2相臨床試験(OTC-HOPE試験と呼ばれる)として、男の乳児を対象に開始された。前述したように、OTC欠損症は男性の方が重篤になる。
最初に遺伝子導入を受けた乳児は、ARCUSのDNAとOTC遺伝子を含む2種類のAAVを投与された。これによりAAVは細胞中に侵入し、さらにARCUS遺伝子がセーフハーバー部位に組み込まれる。
成果はどうなったか。
正式なデータは今年3月に発表される予定だが、現在まで知られていることとして、この乳児は治療前に2回のアンモニア誘発性発作を起こしており、かなり重篤な症状だったが、治療から3か月後には乳児の血中アンモニア濃度は低下した。このため特別なアンモニア制限タンパク質食をやめることができたほか、アンモニア除去薬の服用を中止することができたのである。そしてこの症状は、これまで6か月間は維持されており、良好な状態を示している。
なお、iCURE社はこのOTC欠損症の臨床研究を米国のほか、英国、オーストラリア、スペインでも実施しており、2026年上半期には完全なデータが提供される予定である。
(2)懸念
この治療にはリスクが伴う可能性がある。
被験者である乳児は、AAVに対する免疫反応の一般的な副作用である肝酵素(トランスアミナーゼ)の上昇が見られた。ただその症状は免疫抑制療法によりやがて治まった。
長期的な懸念としては、細胞がARCUSヌクレアーゼを作り続け、酵素が標的外のDNAの切断を起こし、がん遺伝子の誘発や、逆に重要な遺伝子を消失させる可能性があることである。
また、藻類のタンパク質が継続的に存在すると、問題のある免疫反応を引き起こす可能性もある。
こうした懸念は、上述データ発表等により検証がなされることになると思われる。
5.おわりに
遺伝子治療技術には次々と新たな手法が導入され、各種疾患に適用されており、今年から来年にかけて、その成果が多数報告されることが予想されている。これによりこれまで治療法のない疾患の治療につながり、それが汎用化されれば価格も下がり、いっそう安全性も向上していくと思われる。その進展に期待したい。
なお遺伝子治療分野では日本独自のものをあまり聞かない(筆者が知らないだけかもしれない)が、それが日本の研究開発システムのせいか、規制のせいかよく分からない。一方で、治療手法として似たような位置づけにある再生医療では、日本が実用化で世界の最先端を行っているものも多い。
それとの比較も含め、今後、分析してみたい。
参考文献
・J. Kaiser (2024) “‘Safe harbor’ gene therapy approach may have first success”, Nature; Vol.387, 234-235
・.(2025/01/09) “Precision BioSciences Announces Complete Clinical Response in First Infant Dosed by Partner iECURE in Ongoing Phase 1/2 Clinical Trial in Ornithine Transcarbamylase (OTC) Deficiency”, Precision Biosciences HP
・“iECURE:Clinical Trial for OTC”, Metabolic Support UKのHP
(https://metabolicsupportuk.org/information-and-advice/research-ready-hub/take-part-in-research/otc-clinical-trials/iecure-clinical-trial-for-otc/)
ライフサイエンス振興財団嘱託研究員 佐藤真輔