第106-2回 2026年ノーベル賞特集 鏡像異性体の謎に迫る不斉合成研究で硤合博士ら2氏にノーベル化学賞
1.はじめに
2026年のノーベル化学賞に、不斉合成の非線形効果と自己触媒作用に関する発見により、東京理科大学名誉教授の硤合憲三博士ら2人が選ばれた。その内容や背景、意義等について考察する。
2.受賞者と授賞理由について
今回、ノーベル化学賞を受賞したのは東京理科大学名誉教授の硤合憲三(そあいけんぞう)博士と、フランス・パリ南大学名誉教授のアンリ・カガン(Henri B. Kagan)博士である。
授賞理由は「不斉有機合成における非線形効果及び自己触媒作用の発見」、すなわち、右手と左手のような、鏡に映したよう対称的な有機分子の立体構造を作り分ける手法の開発に関してだった。
彼らは1,200万スウェーデンクローナ(2026年10月1日の為替レートで約1億8,900万円)の賞金を分け合うことになった。

3.鏡像異性体と生物におけるホモキラリティーの謎について
今回の受賞に関係の深い用語として、鏡像異性体について説明する。
まず、異性体とは、分子式が同じだが、原子の結びつき方や空間的な配置が異なる物質のことである。例えば、エタノールとジメチルエーテルは、どちらも分子式が C₂H₆O だが、原子の結びつき方が違う。エタノールはCH3-CH2-OH、ジメチルエーテルはCH3-O-CH3であり、分子式は同じでも、原子のつながりの違いにより、性質の違いが生じる。
そして、鏡像異性体(光学異性体)とは、異性体のうち、分子式も原子の結びつき方も同じだが、右手と左手のように、互いに鏡像関係にある有機分子のことである。このような性質をキラリティーと呼ぶ。例えば、乳酸という物質には、互いに鏡像関係にある鏡像異性体が存在する。

鏡像異性体は、通常、融点などの物理的性質は同じだが、生体内では異なる働きをすることがある。 これは、鏡像異性体と作用する酵素や受容体なども立体的な形を持ち、それに合った鏡像異性体と反応するためである。このため、同じ分子式でも、一方は薬として有効なのに、もう一方は作用が弱かったり、異なる作用や副作用を示したりする場合がある。
たとえば、かつて胎児に重大な障害を引き起こす薬害事件の原因となった、サリドマイドという睡眠薬がある。サリドマイドには、互いに鏡像関係にある2種類の分子が存在する。それぞれの鏡像異性体によって生体内での作用が異なることが知られているが、サリドマイドの場合は体内で両者が相互に変換されるため、一方だけを投与すれば安全というわけではない。このように、医薬品の開発では鏡像異性体の作用を慎重に検討する必要がある。
アミノ酸などの分子を通常の化学反応によって合成すると、通常、鏡像異性体が同じ割合(1対1)でできる。ところが、生物の体内では、タンパク質を構成するアミノ酸は原則として左手型(L型)、核酸を構成する糖は右手型(D型)というように、特定の鏡像異性体が選択的に利用されている。
このような性質をホモキラリティーといい、そのような偏った物質が作られる反応は不斉反応と呼ばれる。だが、生命を構成する分子に、なぜこのような左右の偏りが生じたのかは、長年の謎だった。今回の受賞者らは、化学反応によって、わずかな左右の偏りが大きく増幅され得ることを示し、そうした謎の解明に大きく寄与したのである。
4.受賞者らの研究とその背景
(1)鏡像異性体を巡る研究の進展
不斉反応については、これまで約180年に及ぶ長い歴史がある。それを一覧表にしたのが以下である。

最も重要な疑問は、先述のように、なぜ生命は、右手型と左手型のうち、ほぼ一方だけを利用しているのかということだった。この謎を解明するために、長年にわたって、光、鉱物表面、触媒、自己増殖反応等、さまざまな可能性が研究されてきた。そして、これまで、いくつかの大きな進展があり、それに応じてノーベル化学賞が授与されている。
2001年には、不斉触媒による水素化反応に関する研究でウィリアム・K・ノールズ博士と日本の野依良治博士、また、不斉触媒による酸化反応に関する研究でK・バリー・シャープレス博士がノーベル化学賞を受賞している。また、2021年には、不斉有機触媒の開発でベンジャミン・リスト博士とディヴィッド・M・C・マクミラン博士が受賞している。
(2)今回の受賞者らの研究
さて、今回の受賞研究であるが、カガン博士と硤合博士は、それぞれ異なる観点から、左右の偏りを増幅する仕組みを明らかにした。
① カガン博士の研究:非線形効果
カガン博士は、金属原子と鏡像体の片方を結合させた、左右の区別がある触媒を用いて反応を行わせた。すると、触媒の左右の比率がわずかに違うだけでも、生成物はその差が大きくなる場合があることを示した。これを非線形効果という。そして同博士はさらに実験を進め、金属原子に2個のキラルな配位子を結合させた。すると、左左、左右、右右という3種類の複合体(錯体という)ができ、触媒を構成する分子の組合せによって、錯体の反応性や生成物の左右の比率が大きく変わることが分かった。

② 硤合博士の研究:不斉自己触媒反応
硤合博士は、生成物の量に偏りが生じる不斉化学反応を研究する中で、反応時の触媒と生成物の構造を分析した。その類似性から、生成物自体が自己触媒となって同じ生成物が合成されるような反応を設計できるのではないかと考えた。そして、様々な分子を用いて実験を重ねた末、1995年、独自の「硤合反応」を設計して発表した。そして2003年には、わずか0.00005%程度の左右の偏りを、反応を繰り返すことで99.5%を超えるエナンチオマー過剰率(Enantiomeric Excess:2種類の鏡像異性体の量の差を、その合計量に対する割合で表したもの)まで増幅させることに成功した。

なお、2001年にノーベル化学賞を受賞した野依博士らとの違いは、次の通りである。
・2001年のノーベル化学賞の研究:適切な不斉触媒を用いて、目的の鏡像異性体を選択的に合成する技術を発展させた。
・2026年のノーベル化学賞の研究:非常に小さな左右の偏りが、化学反応によって大きく増幅される仕組みを明らかにした。
つまり、2001年が、目的とする型の分子を効率よく作る技術の進展だとすると、2026年は、そもそも、なぜ一方の型が優勢になるのかという、より根本的な疑問に迫った研究ともいえる。
5.本研究成果の意義・方向性
硤合反応についてスウェーデン王立科学アカデミーは「これまでの化学実験の中で最も驚異的なものの一つだ」と高く評価した。また硤合博士ら2人の業績を、「1世紀以上も未解決だったホモキラリティがどのようにして自然発生的に生じるのか、という問題に解決策をもたらした」と讃えている。
今回の研究は、隕石中の有機分子や、円偏光などに由来するわずかな左右の偏りが、化学反応によって大きく増幅され得ることを示した。実際、硤合博士らは、極めて小さな初期の偏りを、ほぼ一方の鏡像異性体だけが存在する状態にまで増幅することに成功している。ただし、実際の初期地球で同じような反応が起こり、生命を構成する分子のホモキラリティーにつながったかどうかは、まだ解明されていない。今回の成果は、生命の起源という大きな謎に迫る有力な化学的モデルを提供したものと評価できる。
また、今回の研究成果は、医薬品開発にも新たな知見を与えるものと思われる。医薬品では、鏡像異性体によって薬効や安全性が異なる場合があるため、目的とする鏡像異性体を選択的に合成することが重要である。これまでも不斉金属触媒や有機触媒、酵素等を用いた技術が開発されてきたが、今回の研究によって明らかにされた、わずかな左右の偏りを大きく増幅する仕組みは、将来、新たな不斉合成技術の開発につながる可能性がある。今後の進展に期待したい。
6.おわりに
今回の硤合博士の受賞で、昨年の北川進博士に次いで、日本人10人目のノーベル化学賞受賞となった。その背景には、我が国が長年にわたり蓄積してきた化学研究の基盤や、基礎研究を重視する伝統、さらには日本人のものづくりの精神や、研究する上での手先の器用さなどもあるのかもしれない。
ただ、それとは別に、近年のノーベル化学賞では、生命科学と密接に関連する研究も数多く受賞している。その一例が、2024年のAIによるタンパク質の構造予測や、計算科学によるタンパク質設計の研究である。これには、最近の生物学は、オミックス等、いろいろな手法を駆使して生命の謎を網羅的に解明しようという研究が広がっているがゆえ、その手段である各種手法の開発が重要となり、その手法はまさに化学的手法によるところが大きいがためだろう。
このように、生命科学と化学、物理学、情報科学などの境界が薄れ、分野を横断した研究が重要になってきている。だからこそ、研究者はより広範な知識を身につけた上で、いろいろなアプローチができるよう知見やノウハウを増やしていく必要があるだろう。
参考文献
・Soai, K. et al. (1995) “Asymmetric autocatalysis and amplification of enantiomeric excess of a chiral molecule”, Nature; 378, 767–768
・Sato, I. et al. (2003) “Amplification of Chirality from Extremely Low to Greater than 99.5% ee by Asymmetric Autocatalysis” Angewandte Chemie International Edition.
・F. Graham, “Chemistry Nobel goes to mirror-molecule researchers” (2026/10/7), Nature website
https://www.nature.com/articles/d41586-026-03212-x
・「ノーベル化学賞に硤合憲三氏ら2氏 鏡像異性体の不斉自己触媒作用発見」(2026/10/07)Science Portal website
https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20261007_n01/
・彩恵りり「2026年ノーベル化学賞について分かりやすく解説! 『不斉有機合成における非線形効果と自己触媒作用の発見』」(2026/10/9)Lab BRAINS website
https://lab-brains.as-1.co.jp/enjoy-learn/2026/10/87604
ライフサイエンス振興財団 理事・嘱託研究員 佐藤真輔

